【「力の使い手」の育成方針】
「力の使い手」さんからとってもうれしい褒め言葉をいただいた。
榎本先生、
本当にいろいろ、ありがとうございます。
榎本先生は人(子供から大人全て)を育てる天才だと思います。
本当の「先生」なんですね。‼
榎本先生に出会えて本当に良かったです。
神様に感謝します。❤T(2017年11月21日 8:54)
実は私の人生のキャリアの大半は教育
私は学生の時の塾の講師のアルバイトで「自分が教えることが非常に好きであり、得意でもある」ことに気づいた。
私は塾では高校受験の社会を担当したのですが、教科書や問題集を何冊か読んでいるうちにすぐにパターンを見抜いた。
「歴史は時代ごとにまずは3人だけ覚えればいい。例えば室町時代なら足利尊氏、足利義満、足利義政の3人だけだ。それぞれ創設者、全盛期、衰退期の人物だ。尊氏は武士だから質実の禅宗を保護したし、義満は全盛期だから金閣寺キラキラだろ?義政は衰退期だから銀閣寺、わびさびでシブイじゃないか!」
そんな感じで、まずは3人を中心にそれに関する文化などの頻出事項をイメージで教えた、それでだいたい社会は7、8割とれるようになる。
トップ校を狙うにはそれ以上が必要だが、上位校、中堅校に入れるにはそれで十分だった。
私は記憶を増進するためにあることを塾で毎回やったのだが、生徒に聞いたところによると、私がやっていることを中学の先生が始めたということを何校かで聞いた。
要点を押さえ、ジョークで沸かし、授業が終われば同僚(の学生アルバイト)と豪快に飲みに行く。社会人に出たときの方が給料が安いくらい稼いでいた。今から振り返れば、私たちがいたときがその塾の全盛で、卒業後しばらくして遊びに行くと、内部で分裂して2つの塾にわかれ、もうしばらくのちにはその塾はなくなってしまった。
「教える内容をまずは独力で習得し、それを要点・筋だけを明確にしてシンプルに教える」ことに関しては日本一クラスの才能をもっている。
私は仕事で日商簿記や、情報処理技術者の国家試験も教えたことがある。
だいたい要領はいつも同じで、私は自分自身は誰にも教わることなく独学で勉強する。
いつもそうだ。
そして、パターンを見抜き、できるだけシンプルに教えることを心がけた。
私は情報処理の国家試験の合格率では日本一の成績をたたきだしたことがある。
ある合格率日本一のその筋では非常に有名だった学校があったのだが、そこと提携し研修を受けていたことがある。1、2年後のことだったと思うが、私の教え子たちが、その学校のどのクラスよりも合格率が高かった。その学校は非常に自信がある学校なので、すべてのデータを提供してくれたので、それがわかったのだ。
だから私は、「教える内容をまずは独力で習得し、それを要点・筋だけを明確にしてシンプルに教える」ということにかけては今生の生涯をかけて訓練してきたし、私はことそういうことに関しては日本有数の才能をもっていると自負しているのである。
こういうことに関して、私よりこいつの方がうまいなという人物には私はリアルには今生であったことがない。
もちろん、ある分野については私より才能のある人はごまんといる。
私より〇〇ができる人はいくらでもいるし、それは私も知っている。
しかし、「教える内容をまずは独力で習得し、それを要点・筋だけを明確にしてシンプルに教える」ということに関して、私ほど得意な人、私ほど生涯をかけてこういう能力を訓練してきた人はそういないのではないかと思っている。ことこういうことに関しては私は日本一クラスの才能をもっている。
私が現在関心を集中しているのはご存知の通り「遠隔浄化」
さて、私が現在関心を集中しているのはご存知の通り「遠隔浄化」である。
よく「いい師」に出会うことで人生を向上させるという話しを聞くし、私自身もそうだなと思うのだが、私自身の今生を振り返ってみると「いい師」と呼べるような人は特にいない。
もちろん、お世話になった先生はたくさんいるし、いい方はたくさんいたが、それが「師匠」と呼べるような心酔できる師弟関係かということそういうことは、この生涯では一度もなかった。
私はそういう人がいる人が羨ましくもあったし、そういう人がいた方がいいと思っていたのだが、今生ではついぞ出会わなかった。
しかし、今思えば私は「遠隔浄化」みたいなことになる運命にあったのだと思う。
そうなると「遠隔浄化」の師匠と呼べるような人は生きてる人ではまずいないのである。
ちなみに「本」ではたくさんの「師匠」に出会っている。
もう10代の頃から私の「心の叫び」を満たしてくれる大人は周囲にはいなかったので、本にその知識を求めるしかなかった。だから、心のおもむくままに本は非常にたくさん読んできた。つい最近まで非常にたくさん読んできた。ようやくこのごろ、全体像が見え、そろそろ知識がを学ぶステージから、それを自分で習得した内容の筋・要点をシンプルに取り出して、伝えるステージになってきたのではないかと感じている。
「独力で習得するステージ」と「要点・筋だけを明確にしてシンプルに教えるステージ」
私は今までもずっとそうしてきたし、そういうことが非常に得意でもあるのだが、いよいよ「遠隔浄化」についても「独力で習得するステージ」から、「要点・筋だけを明確にしてシンプルに教えるというステージ」に以降しつつあると感じている。
その成果を今回の東京セミナーでなどでもお伝えしたいし、今回初めて「力の使い手」専用掲示板を設置したのもそういう思いが強くなってきたからだろう。
私は「独力で習得するステージ」では、わき目もふらず、外部の情報に惑わされず、本質をつかみ取ろうと集中する。
そして、「要点・筋だけを明確にしてシンプルに教えるというステージ」では、ではいったいそれをどう教えるのか?ということに集中する。
だからこの2年間の「力の使い手」さんにはある意味ご苦労をかけたと思う、何しろ私自身が「遠隔浄化とは何か」「いったいどうすればよりよい浄化ができるのか」という方法論を探し求めて、関係するあらゆる本を購入し、メモをとりながら読み込み、自分の遠隔浄化で実践し検証するということを繰り返してきたからだ。
そのメモたるや膨大なもので、おそらく本が何冊も書けるくらいのメモをとっている。
しかし、今まで「力の使い手」さんだったことは感じておられると思うが、私はほとんどごちゃごちゃしたことは言わない、例えばチャクラと症状の関係なども名著をだいたい調べ尽くして、症状とチャクラの関係を把握したが、複雑になるし、そういうことを意識しなくても浄化できるので、伝えていない。
「要点・筋だけを明確にしてシンプルに教える」というのが私のやり方なので、「知らなくてもできる」という知識をいたずらに教えるということをしたくないのである。
だから、基礎がわかったら実践を通じて経験を通じて学ぶことを求めるが、ある意味「知識」を教えることの方が非常に楽なのである。だが真に役立つ要点・筋から入るべきだし、それをものにしてから、「それ以外」の内容に幅を広げるというのが常に私のやり方だったし、それが最良であるというのは私の人生経験が教えるところだ。
だから、この2年間は私自身が走りながら「要点・筋だけを明確にしてシンプル」に取り出すという作業に、重点があったように思う。
「力の使い手」さんから見たら、先生は「みんなちがってみんないい」と自主性に任せながら、わき目もふらずに自分の課題に集中しているのだから、やりにくいところもあったと思う。それでも「力の使い手」になりたいというのだからしかたがない。(笑)
さて、今の私はおおよそ「要点・筋だけ」をつかんだ感がある。
これからは、「それを明確にしてシンプル伝える」ということをに比重を移していく。
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。」
ただひとつ。
高校受験社会科を教えていた時も、日商簿記を教えていた時も、情報処理技術者の国家試験を教えていた時も、共通している点がひとつだけある。
社会科の成績をあげたいと思っていない者、
日商簿記を取得したいと思っていない者、
情報処理技術者の国家試験を取得したいと思っていない者に教えることはできないということだ。
私は意欲のある者に対しては、その時点の知識がゼロでも、適性があまりないように見えても、「意欲」さえあれば、「要点・筋だけを明確にしてシンプルに教える」ことで、大量の合格者を出してきた。
しかし、学習する「意欲」がない者に教えるのは非常に難しい。
あなたもご存知の通り現実問題として、どのクラスにも「意欲のない」「親に言われて」「なんとなく」入ってきたような生徒がいて、私も最初はそんな生徒でもなんとか身に付けさてやろうと、時に厳しく、時に優しく、手を変え品を変え、あらゆる手を尽くして試みてきたが、私の結論は、「意欲のない者」に時間と労力を使うのは無駄だということだ。
その同じ時間と労力を「意欲のある者」に注ぐとどれほどの成果がでることか!
私はそれを実践経験を通じて身をもって知っている。
人を馬に例えて恐縮だが、
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。」というのは名言である。
本人が水を飲みたいと思っていなければどうにもできないのだ。
私は先生という仕事が好きだし向いてる
だからそれがわかったあとは「水が飲みたくない生徒」がいたらできるだけ「水を飲みたい生徒」の邪魔にならないように刺激しないように、上手にかまってやりながら、水を飲みたるなるような言葉をかけてできるだけ自信をもたせ、現実問題としては「水を飲みたい生徒」たちに自分の持てる能力と情熱を集中するという方法で、クラスの平穏とバランス、そして成果を両立させてきた。
これが私が体得した現実の教育の最適解なのである。
ここで注意してもらいたいのは、私は常にできれば全員に、自分の持てる能力と情熱を集中したいと思っている。しかし、必ず「水が飲みたくない生徒」が混ざっているのが現実世界だ。
その点、学生時代の塾の講師は「社会の成績をあげたい」と思っている生徒しかほぼ集まっていないので、その熱気と私の情熱のぶつかり合い、私が毎回用意するジョークへの中学生の反応性のよさ(私がジョークを飛ばして教室中を沸かすと、教卓の両サイドから毎回ふたりくらいが私に飛び蹴りを食らわしにくる!(笑))
それが楽しくて楽しくて、授業準備とジョークの仕込みを毎回夢中になってやったものだ(笑)私は先生という仕事が好きだし向いてるなと実感したものだ。
そして、そんな熱気と活気のあふれる教室で生徒がメキメキ成績をあげて、どんどん志望校に受かるのだから、生徒たちも「塾が楽しい!」と大挙して友達を誘ってやってきて大笑いしながら授業を受けたものだから、今から振り返れば私たちがいた時代がその塾の全盛期だった。
その頃の塾の同僚は(学生アルバイトだが)みんな今では新聞社のデスクとかになったりして立派になっている。
今でもたまに会うと、あの時は楽しかったなという話になる。
話がそれた。
この文章で私が伝えたいこと
私はこの文章で何を伝えたいかというと、
・私は「教える内容をまずは独力で習得し、それを要点・筋だけを明確にしてシンプルに教える」ことに関しては日本有数の能力を有している。実際情報処理技術者試験の合格率日本一で有名な学校のどのクラスよりもいい成績をたたき出し、日本一になったことがある。
・私自身は遠隔浄化は非常に得意であり、私はこと遠隔浄化では日本一だ。
(私は以前いたところでも最も浄化がうまく、7年間唯一中心地で教える立場にいたし、現在は当時を大きく上回るパフォーマンスを発揮している。そういうことに関して私は謙遜しない。ただ、私が本当にたくさん調べている本などでは、私よりも浄化のうまい大先輩がいることはもちろん知っている。私はこういう方々から毎日謙虚に学んでいる。)
・私は「教える内容をまずは独力で習得する」ステージにおいては、ほぼいいところまで来ている。もちろん毎日学び研鑽することは必要なことだし、私もそれが好きだ。
・また「要点・筋だけを明確する」ステージにおいても、自分の中ではほぼつかめている。
ここが私の偽らざる現状だ。
さて、今の私はどこにいるかということ、「シンプルに教える」というステージに入ったところだ。
「要点・筋だけを明確にしてシンプルに教える」ということに情熱を傾けたい。
私はそうすることが好きだ。
私に何が伝えられるかというと、自分が習得してきたことだけだ。
「遠隔浄化の実際」を見て欲しい。
このような成果を出すための、「要点・筋」を私は明確に知っている。
ただそれをまとまった形でアウトプットしているかと言うと、今からだ。
そのために、「【力の使い手】専用掲示板」を作った。(閲覧にはパスワードが必要です。)
2017年11月20日に設置して、1日少々しか経過していないが、すでに24本の投稿があり、なかなかいい感じで立ち上がった。今後はここが「力の使い手」の育成のメインの場になっていく。
もちろん、メールや個別の電話相談、直接おみえになればお会いしている。
これらを使って、「要点・筋だけを明確にしてシンプルに教える」ということを心がけていきたい。
これが「力の使い手」の育成方針であり、現状である。
「力の使い手」になることを希望される方は、この現状をよく認識してください。
つまり「シンプルに教える」ということに関しては今からです。
すでに確立されたものがあるわけではありません。
私から見たら、今の「力の使い手」さんは一期生みたいな感じです。
先生もまだ粗削りだけど、情熱だけはある!みたいな感じです。
これから洗練させていきたい。
求む!「本当の力の使い手」候補生!
そのために私が希望するのは「水が飲みたい」生徒に来て欲しいということです。
私が何ができるかということは、「遠隔浄化の実際」あたりをしっかり研究していただくとして、それがぜひできるようになりたい!という人に来てもらいたい。
そして、目に見えない力あけあって、自ら実践の場を求め、切り拓き、経験を積み重ねる意欲をもって欲しいということです。
そのために、私のできることはすべてを伝えたいと思っているし、それを伝えることに私は非常に情熱を感じているのです。
ぜひ、この現状をご理解いただき、「こういう意欲」をもつ方を「力の使い手」候補として、大いに歓迎したいと思います。
ただ、入門しただけで遠隔浄化はできますが、それだけで「本当の力の使い手」になったと思ってもらったら、困ります。
私くらいに応用し、実践に使い続ける人だけを私は「本当の力の使い手」と呼びたい。
もちろん、自分や家族を浄化できるだけでいいという「力の使い手」さんがいてもいいし、それはそれで尊いことだと思います。
しかし、私の真の情熱は、 「本当の力の使い手」を育成することにあります。
そういう「水が飲みたい」人を一番求めています。
思考は現実化します、「本当の力の使い手」になることを日々思考していない人が「本当の力の使い手」になるはずがないのです。
求む!「本当の力の使い手」候補生!
その入り口が「力の使い手」です。
私は「水が飲みたい」という方はこちらからご連絡ください。
2017年11月22日