ご質問をいただきました。
私には根深く
〇〇さんに対して恨みがあるんです。
あなたのせいで…と やっている私がなかなか消えていません。
ただただ
忘れようと常に逃げているようです。愛を持って接する事だと頭ではわかっているのですが…
いつまでも
振り出しにいる自分が情けないです。I(2018年1月14日 17:32)
そこから抜け出すプロセスを言います。
まずこれは〇〇さんに限らず、自分が自分でいることを許してくれない人に対してNOという強さをもたないといけません。
〇〇さんであれ、仕事上の上司であれ、友人知人であれ「自分が自分でいることを許してくれない」人に対して、怒りを感じないでいることはできません。
人が自分自身でいたいことは根源的な望みです。
人は自分自身でいさせてくれない誰かを、絶対に許すことはできないのです。
もし自分を自分でいさせてくれない人を許し愛すというのなら、
それはただの「諦めに対する言い訳」にすぎません。
そんなのは真の許しでも愛でも何でもないんですよ。
人は自分自身でいさせてくれない誰かを、絶対に許すことができないのです。
自分の期待する通りに振る舞ってくれないと、腹を立てる人をです。
簡単に言うと、自分の召使じゃないと嫌な存在です。
どういう意味であれ、自分を奴隷にする存在を人は許すことはできないのです。
それは自然な感情です。
まず、自分自身をその状況から救わなければなりません。
自分で自分をその状況から救えるほど、充分強くならないといけません。
それは自分を隷属させる存在にNOという強さです。
私を私でいさせてくれないなら、あなたに認めてなどいらない!という強さです。
私を私でいさせてくれないなら、私はあなたなど必要としない!という強さです。
それでも聞いてくれないなら、自分を隷属させる存在から、逃げ出す強さです。
自分を利用し、隷属させる存在から、自立する強さです。
もし自分が利用されて、隷属しているのなら、そこから自分を救うことは何でもないはずです。
もし、自分も相手に依存し相手を利用しているなら、そこから自分を救うことはよりパワフルにならないといけません。
相手から見返りを得ているから、その理不尽な立場にい続けているのです。
それは自分の選択です。
何も見返りを得ていないなら、そういう相手から離れていくことに何の困難もないはずです。
ですから、この理不尽な関係をいつまでも続けているのなら、「自分は相手からどのような見返りを得ているだろうか」と考えた方がいいのです。
相手の影響圏から脱出しないのは、「この人といると自分自身でいられないから嫌だけど、こういうメリットが得られるから、このままでいよう。」と考えているからです。
自分自身でいさせてくれない人の影響圏を脱することを決断したのなら、
自分が自分でいられることを妨げる人は誰もいませんから、自分の人生を自分で切り拓いていけばいいのです。
自分がそういう意志を持ち、力強く道を切り拓いていくとき、最終的にそれを妨げることは誰にもできないのです。
それができないのは、ただ自分自身が自分の力を信じず、それを選択しないからです。
自分を侵害する人の影響下から本当は誰もが脱出できます。
しかし、それができないと信じ、それを行おうとしない人にはできません。
それは厳しいようですが、ただ単にその人の選択なのです。
もし、自分がそれを選べば、それを達成するために多くの手が差し伸べられることでしょう。
宇宙はそのようになっています。
人を隷属させることを宇宙は決して望まないからです。
あらゆる革命において、「自由」を掲げる陣営が常に最終的に勝利を収めてきたのは歴史的事実です。
どんなに劣勢に見えてても必ず長期的には挽回するのです。
宇宙はそうなっているのですよ。
しかし、思考は現実化しますから、本人がそれを思考しない限り、そうはらないないのです。
すべてのスタートはご本人の選択からです。
そして、自分を自分でいさせてくれない人のあらゆる影響を脱する場所に立てて、自分は大丈夫なんだということが確認できて、
そして、お茶を一杯飲んで落ち着いて、それから何日も何日も確認し続けて、
自分が力強く、自分の人生を歩み続けていることを確認し続けて、
その喜びを何度も何度も味わい続けて、
そして、それが確かなものであり、決して失われないものであるという認識に安らぐことができたとき、
はじめて過去に自分を追い込んできた人々を許すことができます。
それらの人びとはただ自分を鍛え、自分を今の喜びあふれる自分自身の道を歩めるように追い立ててくれただけだとわかるからです。
なぜもっと早く決断しなかったのか!と自分自身がおかしくなるでしょう。
そして、その地点に立って初めて、何とか人を隷属させようとする一見パワフルに見える人々の惨めさが見えてくるのです。
彼らの不幸、不安、彼らの孤独、彼らは本当は弱い存在であったことがわかります。
弱いからこそ、人を隷属させたがるのです。
真に強い人は、人を隷属させることにはじめから何の興味もありません(笑)
「みんなちがってみんないい」に生きて何も問題ないことを知っていますし、
むしろお互いを尊重する「みんなちがってみんないい」のそれぞれの個性豊かな人生の分かち合いの中に真の喜びあることを知っているからです。
誰かを隷属させようとすることは、その喜びを破壊します。
誰かに自分の言うことをきかせようとしている存在は、その自らの思考ゆえに平穏な真に喜びに満ちた人間関係に到達することは決して出来ないのです。
その彼らの不幸、不安、孤独、弱さが理解できます。
誰かに言うことを聞かせようとするのは、ただ彼らが自分の不安、弱さを隠すための強がりであったと理解できます。
その地点に立って初めて、過去に自分を鍛えてくれた人々を許すことができます。
そして、チャンスがあれば、この喜び溢れる地点に来ることとを手助け出来たらなと思います。
それは自分自身がしっかりとその地点に立っているからそこ初めて本心で思えることなのです。
自分がその地点に立つまでは、決してその愛、許し、優しさ、思いやり、は本物ではありません。
ただの強がりであり、自分を無理に思い込ませようとしているだけです。
そういうことを愛、許し、優しさ、思いやりなどという美名で偽ってはいけません。
その実態はただの諦め、妥協、へつらいです。
真の愛、許し、優しさ、思いやりが何かネガティブな感情を呼び起こすとは一切ありません。
真の愛は喜びしか生み出しません。
何も無理に思い込むことはありません。
無理に思わないといけないようなことは全て偽りです。
ハートから自然に愛と許しと思いやりしか出て来る地点にまで、自分をパワフルにして初めて、真の理解、真の愛、真の思いやり、というものが出てくるのです。
真に強くなければ、許し愛し思いやることなどできないのです。