最近出費が多く、支払いなどでお金が足りない!という
ことが常に頭にこびりついています。
よくはないと思っているのですが、どうしても頭から
離れません。前に榎本さんにご相談させて頂いて、
段々上昇思考になっていたと思っていたのですが、
やはりお金に関する事柄は上昇〜下降を行ったり来たりの
ような感じです。 I(2017年7月13日 6:08)
思考の現実化は常に「本音」が作用する
思考は現実化しますから、実はそういうことを思えば思うほど、苦しくなります。
思考の現実化は常に「本音」が作用するのです。
「お金に対して苦しい」という本音があれば、その現実を引き寄せますから、
それを「違う見方」に転換することが必要です。
>最近出費が多く、支払いなどでお金が足りない!という ことが常に頭にこびりついて
ということなら、必ず苦しくなります。
それが「本音」だからです。
出費が多く、支払いがあるというのは事実ですから変えられません。
しかし、それに対する「見方を変える」ことはできるのです。
見方の変更が最大の鍵
実は、この見方の変更が最大の鍵なのです。
繰り返しますよ。
実は、この見方の変更が最大の鍵なのです。
「支払いがある」というのは事実ですから変えられません。
いいですね。
しかし、その見方は変えられるのですよ。
それに対して「お金が足りない!」と思うのは一つの見方です。
しかし、そう思っていては豊かになれないのですよ。
支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」
そういう見方もできるのです。
何かを支払うたびに、毎回「お金が足りない!」と思って、しぶしぶ払うのと、
何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と思うのは、
途方もない違いを生むのですよ!
これが、途方もない違いを生むんです。
すべてに感謝することは実際非常に有効
すべてに感謝しなさい。とよく言われます。
すべてに感謝することは「実際非常に有効」です。
多くの人が、ええ私は両親にも感謝しているし、主人にも感謝しています、私は感謝していますとも、というんですよ。
しかし、その人の内面は「常に」その人の現実に現れています。
実際に常に何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と真の部分で、腹とハートからの湧き上がる「本音」で感謝し続けていれば、必ず豊かになっていきます。
「最近出費が多く、支払いなどでお金が足りない!ということが常に頭にこびりついて離れない」という思い続けていたときと、
何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と思い続けているときでは状況は必ず変わってきます。
それはもう法則なんですよ。
頭で「考える」感謝と、本音の「フィーリング」が違っている
実際には、頭では「ええ私はすべてに感謝しています。」と口では言いながら、腹とハートの本音の「フィーリング」において、そうではないから、苦しくなるのです。
自分で自分はこうだと「考えて」いることと、実際が違うからです。
しかし、本人は「ええ私はすべてに感謝しています。」と「考えて」いるから、そのことに決して気がつかない。
その人が豊かになれない、その人の人生が好転しないのはそのせいなんですよ。
何かを支払うたびに、毎回「お金が足りない!」と思って、しぶしぶ払うのと、
何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と思うのは、
はっきり言って途方もない違いを生み出します。
思考を変えたら定着するまで継続しないといけない
それを1週間、1か月、3か月、半年、1年、3年、・・・続けないといけない。
それが自分の揺るぎない「本音」になるまで続けないといけない。
そころが実際には多くの人が、日々「お金が足りない」と思って生きているだから、豊かになれないのです。
思考が現実化しているんですよ。
何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と思うことを自分のマントラにしてください。
どんな時でも必ず、「支払うことができる豊かさを祝う」と。
それはただ単に見方なんですよ。
それは「同じ現実に対する違う見方」ですから、「誰にでも思うことができます」
しかし、現実にはそう思っていないんですよ。
人が自分の思考を変えない理由
なぜ、人々がそれをしないのか。
真の意味で思考の現実化の恐ろしさを知らないからです。
それが現実に働いていることに気づいていないのです。
ですから、そんな恐ろしいことを平気で思えるんですよ。
そして、つい、「支払いなどでお金が足りない!ということを常に頭にこびり」つかさせているのです。
思考の現実化の恐ろしさを知っていたら、そんなことは決して思えないはずなのです。
これは火傷すると知っていれば火に触らないのと同じです。
まだそこのことを知らない赤ちゃんは、ストーブに触ろうとすることもある。
ただ単に、知らないのです。
思考の現実化の恐ろしさを知らないのです。
思考の現実化は「常」に働いている
今は豊かになる思考の現実化本が大はやりです。
思考の現実化は真実です。
しかし、それは本を読んで、本の内容に従って、イメージングしたり、アファメーションした時だけに、思考の現実化が働いているんじゃないんですよ。
常に働いているのです。
プラスにもマイナスにも、常に働いているのですよ!
思考の現実化というのは思考の現実化であって、プラスであろうと、マイナスのあろうと、思考すれば、現実化するのは避けられません。
それが法則だからです。
ですから、思考の現実化は、「自分の思考を選ぶことが出来る人」だけが現実化を選べるのであって、「自分の思考を選ぶことが出来ない人」は現実も選ぶことができないのです。
それが真実です。
思考の現実化の恐ろしさをわかっていないのです。
何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と本音で思うこと、思い続けること。
誰が何と言おうと、実際の状況がどうであろうと、何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」という見方を選び続けること。
選んで、選んで、選びつづけること。
それが「自分の人生を自分で選ぶ」ということの正体なんですよ。
思考は現実化しますから、現実を選ぶということは、思考を選ぶということなのです。
豊かになりたければ、感謝することなんですよ。
本音の感謝です。
それはとても大事なことです。
それは、何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」という見方を選び続けることなのです。
それを1週間、1か月、3か月、半年、1年、3年、・・・続けないといけない。
なぜなら、あなたの本音は、「最近出費が多く、支払いなどでお金が足りない!ということが常に頭にこびりついている」ということが無意識の習慣になっているからです。
それが、何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」という見方が習慣にならないといけない。
それが「思考を変えた」ということです。
今まで思い続けていたことが、今現実化されつつありますから、それがすっかり新しい見方、何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」という見方によって覆い尽くされるまで、続けなくちゃいけない。
現実を変えるというのは思考を変えるということです。
実際には「最近出費が多く、支払いなどでお金が足りない!ということが常に頭にこびりついている」から豊かになれないのです。
ええ榎本さん、私は何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と頭にこびりついて離れないんですよ!
とならないと現実は変わらないのです。
思考が何も変わっていないからです。
思考が現実化しているこの世界において、思考を変えることができなければ、自分の現実は何も変わらないのです。
そして、思考を変えるとは「最近出費が多く、支払いなどでお金が足りない!ということが常に頭にこびりついている」状態を、
ええ榎本さん、私は何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と今頭にこびりついて離れないんですよ!と変えることなのです。
それが自分の思考を選び、自分の選びたい現実を創造するということなのです。
「見方」を変えることは、ある意味とても簡単
それはただ単に「見方」を変えるだけですから、ある意味とても簡単です。
その人の思いをコントロールできるのはその人だけですからね。
外部の要素は何も関係ないのです。
ただ単に選ぶだけです。
そしてそれは「同じ現実に対する別の見方」です。
現実を変えろと言っているのではありません。
見方(思考)を変えろと言っているのです。
今、支払いがあるという現実は何も変わりません。
ただ、その「同じ現実に対する別の見方」を採用するということなのです。
それが思考を選ぶということです。
無意識にやっていることを変化させることはできない
すべてにおいて「無意識にやっていることを変化させることはできない」のです。
自分の現実はすべて自分が作っているということを「認める」ことが第一歩なのですよ。
しかし、多くの人が自分の現実はすべて自分が作っているということを実は「認めていません」
「何か私が気に入らないことがあるのは、あの人のせいだ!」といつも言ってる。
それが自分の現実が動かない真の理由
実は、それが自分の現実が動かない真の理由なのです。
その言葉の裏には、本音のところで「私の現実は私が作っているのでなはない!」「あの人のせいだ!」と言っているのです。
ですから、何か気に入らないことがあることがあれば、「あの人のせいだ!」と言っている人の人生は好転しないのです。
そもそも「私の現実は私が作っているのでなはない!」=「外部に翻弄されている」と思っているからです。
思考は現実化しますから、「外部に翻弄される」人生を生き続けているわけです。
そして、「そういう見方を自分で選んでいることに気づいていない」
それを無意識というのです。
無意識の部分を変化させることはできないのです。
これが、多くの人の思考が現実化しない理由です。
いえ、すべての人の思考は今現在も、すべて現実化し続けているんですよ。
何か気に入らないことがあることがあれば、「あの人のせいだ!」=そもそも「私の現実は私が作っているのでなはない!」=「私は外部に翻弄されている」
という思考が現実化し続けているだけなのです。
それがその人の「本音」なんですよ。
で、「外部に翻弄される」という人生を生き続けているのです。
それは自分の思考による選択なのです。
自分が意識的に選んだ選択ではなかったかもしれない
私は、こんな外部に翻弄される人生を選らんだ覚えはない!と言いますが、
何か気に入らないことがあることがあれば、「あの人のせいだ!」という発想が、
「私の現実は私が作っているのでなはない!」=「私は外部に翻弄されている」ということを前提としているのです。
それは自分が「意識的に」身に着けてきたことではないかもしれません。
きっと親や学校や社会で、生きていくうちに「無意識に」身に着けたものなのでしょう。
実際に多くの人が、何か気に入らないことがあることがあれば、「あの人のせいだ!」と毎日口にしています。
それは「私の現実は私が作っているのでなはない!」=「私は外部に翻弄されている」という自分の人生に対する「見方」を、毎日宣言しているのと同じなのです。
自分の周囲の人がそういう発想をしていれば、無意識にそういう発想法を身に着けてしまいがちです。
しかし、無意識であれ、それはあなたがただ単に「自分で選んでいる」思考に過ぎないのです。
思考の現実化を知っているということは、何か気に入らないことがあっても決して「あの人のせいだ!」と言わないということです。
そんな、自分の人生に対するコントロールを放棄するような恐ろしい宣言は口が裂けても言えない。
それが、思考の現実化を知っているということです。
外部に翻弄される人生を生きている人も、その人の思考が現実化しているだけ
ですから、すべての人の思考はすでにすべて現実化しています。
外部に翻弄される人生を生きている人も、実はその人の思考が現実化しているだけなのです。
もちろん、その人は認めません。
私はそんなことを選んだつもりはない!
だから、何も変わらないのです。
あなたは「外部に翻弄される人生」を自分で選んだことを自分で認められますか?
何か気に入らないことがあることがあれば、「あの人のせいだ!」と毎日口にすることによって、「私の現実は私が作っているのでなはない!」=「私は外部に翻弄されている」という思考を選び続け、そういう現実を自分で生み出していることを認められますか?
思考の現実化とは、そのことを認められる真の勇者にだけ、はじめて道が開かれるものです。
これが鍵なんですよ。
思考は現実化しますから、人生において「あの人のせいだ」と誰かに文句を言うことがなくなって、初めて「私は自分の現実を自分で作っている」ことを本音の部分で受け入れたということなのです。
すべてにおいて作用するのは「本音」の部分なのですよ。
本日は朝からネガティブな発言ですが、榎本さんとのメールが
精神安定剤的な感じなので(笑)宜しくお願いします。
私はこのメールのやり取りを大いに楽しみましたが、それは私が気づいたことを分かちあることに喜びを感じるからです。
私はただ単にあなたの精神安定剤になりたいのではありませんよ。
あなたに自分の人生を、自分の好きなように創造できるマスターになってもらいたいのです。
私はそのことを日々研究しているし、私のセミナーのテーマもそのことばかりです。
それが私の今の主要な関心事です。
まずはたったひとつのことをやり抜くことが大事
豊かさの現実化について私は言いたいことが本当にたくさんありますが、
ここに書いたことだけでも「実行」できれば、すごい変化が人生に起こります。
ですから、まず何かを支払うたびに「すごい、私はこれの支払いができるほど豊かだ。ありがたい。」と思うことを自分のマントラしてください。
まずはたったひとつのことをやり抜くことが大事です。
たったひとつの思考が変えられないのに、他の多くのことに手を出しても無意味です。
ほかの多くのことに手を出す前に、私がこのことに関して思考を変えられないのはなぜなのか?を探究した方がいい。
それが私の今の主要なテーマのひとつです。
私は今そのことについてすごく探究していますよ。
そういう建設的な探求を大いに歓迎します。
しかし、ただ単にあなたの精神を安定させることには私はまったく興味がありません。
いえ、もちろん必要とあればそういうメールを書くこともしばしばあります。
しかし、私は、あなたに自分の人生を、自分の好きなように創造できるマスターになってもらいたいし、常にそれを見据えています。
私は自分でもそうなりたいし、あなたもきっとそうなりたいだろうと思うから、このようなメールのやり取りを大いに楽しんでいます。
それは私の純粋な喜びです。
私はあなたの精神安定剤になりたいのでは決してないということは覚えておいてください。
そんな人生はたいくつですよ!(笑)
あなたが自分の人生を、自分の好きなように創造できるマスターになることはたいへんエキサイティングなことです。
私もそうなりたいし、あなたもそうなりたい。
ですよねっ!