この秋、中二の時の友達が卒業以来で発見してくれて連絡をくれていた。
卒業以来である。
一体彼らはどんな人生を歩んできたのか?
年末、彼らにあってきた。
私は公立の小学校、公立の中学校に通った。
そこに住んでいれば誰でも行ける無選別の小学校、中学校である。
いわば日本という国のある地域に自然に生まれ、生えてきた雑草だ。(笑)
いわばごく普通の無選別の一般的な日本人なのである。
ごく普通の無選別の一般的日本人は、一体どんな人生を歩んだのだろうか?
それにとても興味があった。
集まったのは私を含めて6人、男女半々である。
すでに中二の同じクラスの連中は、40人中30人近くは発見され、20人くらいはLINEでつながっているという。
そのうち地元にいるのやたまたま帰省していたのが6人集まってくれた。
で、どうよ!
表面上はまぁ色々変化したかもしれないが、内面としては中二の頃の印象とほとんど変わらない。
話してみるとあのころのままなのである。
お互いに中二で出会った時よりも、その後はるかに長い時間を生きてきたのだが、人間の本質というのはそんなに変わらないものかもしれない。
そんな時間のギャップは会った瞬間消え去っていた。
話も弾む。
逆に言えば、中二くらいでも相性の合う人と結婚などしても、その後そう主なキャラは変わらないのかもしれない。
それで私を含む無選別の雑草である彼ら一般日本人はいったいどんな人生を歩んできたのか。
紆余曲折はあったようだが、全員が結婚し、子供がいて、そろそろ子育てを終える時期を迎えていた。
男は二人が大学で教えていて、ひとりは大型バスの運転手になっていた。
これはびっくりだ。
お互いにそんなに勉強が好きなようには見えなかったが(笑)
女性も結婚し、専業主婦だったり、パートをやったり、仕事をしていたりする。
お互いの子供はだいたい今大学進学の時期だった。
この6人の子供の大学は実際にはどこに行っているのか?
結果は、
慶応大学
京都大学
大阪教育大学
島根大学
関西大学
立命館大学
あとはまだ高校生と、中学生だ。
結婚が遅かったそう。
学歴がすべてというわけではないが、無選抜の雑草である一般公立中学の中学生である私たちクラスメイトは、なかなか堅実に人生を歩み子育てを終えつつあった。
立派なもんである。
これは日本という国の素晴らしさというか、日本が今まで培ってきた文化、価値観などが、無選抜の雑草である私たち公立中学の生徒であっても、人生がなんとかなることを証明している。
これはとてもありがたいことだ。
ただの無選別の雑草の日本人というのはとても立派なのである。
ただ単に生まれて、生きたというだけで、どのような人生行路を歩もうとみなそれぞれに立派に生き抜けるのである。
それが確認できたことはとてもうれしいことだった。
つまりただ単に生を受け、夢中になって生きていくだけで、人生というのは「みな」なんとかなっていたのである。
よかった!
社会に出てからお互いにあったこともなく、連絡もとったこともないのに、こうして久しぶりに再会すると、すぐに以前のように話ができる存在というのはとてもいいものだ。
お互いに誰かと結婚し、子供も作り、子育ても終盤だ。
私たちの関係は、男女のバイアスをはるかに超えたものだ。
ただ単にそこに生まれ、そこに住んでいただけという無条件のつながりなのである。
男だからとか、女だからとか、かわいいとか、美人とか、頭がいいとか、そうでないとか、そんなことはまったく関係がない。
ただ同時代に生まれて、生きただけの無条件のつながりだから、つながりが失われる理由は何もない。
そして、もちろんお互いに自立して、お互いの人生に干渉しない。
ただ同時代を生きぬいてきた戦友のように、お互いのこれまでの人生の健闘を喜び合うだけの関係だ。
みんな元気でなにより。
いつまでも話しが尽きることがなかった。
よく男女で友情が可能かという議論があるが、もちろん男女の友情は可能だ。こういう関係は男女の関係をはるかに超えたつながりであり、相手が誰とつき合おうと、子供を生もうと、何年時が経とうと、まったく色褪せない無条件の友情なのだ。
こういう関係はとても心地いいものだなぁと改めて思った。
私は大好きだ。
無条件の友情、無条件の関係はとても心地がいい。
生まれも育ちも、顔も頭も、社会的地位も考え方も何もまったく関係ない。
ただ生まれ、ただ生き、あるとき無選別に出会っただけなのである。
無条件に受け入れられる友情だ。
誰も仲間外れにしないし、ならない、その可能性さえない。
素晴らしいね。
〇十年ぶりにあっても、その時間のギャップを一瞬で超えてしまう。
何十年も、何の連絡もなく、生死も不明だったのだが、そんなことはお互いの友情にみじんも影響しない。
やあ!元気そうで何より!なのである。
私は性善説をとっている。
「みんなちがってみんないい」という考え方だ。
今回、中二の友達に卒業以来で再会することで、「みんなちがってみんないい」ことは本当であることが確認できた。
無選別の雑草たちはとてもよくやっていたのである!
そして、ただ、生まれて、ただ生きてたまたま出会っただけという連中と、こんなに長い間時間が経っても、まったく変わらない友情を感じあえることがとてもうれしい。
よかった。
今回はたまたま中二のクライスメイトでそれが確認できただけだが、それは誰に対しても同じことだ。
この中二のクラスメイトだって、ただ生まれてただ生きた、たまたま袖振り合っただけの関係なのである。
だからこれを読んでるあなたも、ただ生まれて、ただ生きているだけで、とてもいいやつなのである。
私は、そのことを実地に学んだ。
ただ生まれて、ただ一生懸命生きている無選別の雑草のような連中はみんなとってもいいやつなのである。
ある特定の尺度で、人をいい悪いと判断することはない。
どんな考えに従って生きてきた連中もみななんとかやってきていた。
それがわかった。
ただ生まれ、ただ生きている無選別の人々はみな素晴らしいのである。
ただ生まれて、生きて、袖触れ合っただけで永遠の友情を結ぶに価するし、いつまでも話していて話が尽きることもないのである。
私は子どものころから嫌いな人がいなかった。
今も嫌いは人はいない。
この中二のクラスは、無選別の雑草だが、みんないいやつなのである。
ただみんな生きて一生懸命生きてきただけだ。
みんなそれぞれに人生があった。
みながそれぞれに自分の人生を生きてきただけで、何も問題ない。
そこに相手を嫌ったり拒否したりする理由はカケラもないのである。
何か問題あるか?
あるわけない。
みんな自分の人生を生きてきただけだ。
素晴らしいことじゃないか!
「みんなちがってみんないい」のである。
誰の人生もとても興味深いものだ。
それで、卒業以来どうしてたの?
グラスを持ってみんなのところを回り、「そうかぁ。色々あったなぁ。」と話を聞くのである。
「で、榎本はどうしているの?」と聞くもんだから、私もかくかくしかじか、今はこんなことをやっていると正直に話した(笑)
無選別の雑草の友達というのはいいもので、その話もとてもよろこんでくれた。
2次会のファミレスでは、お互いの人生についても語り終え、「実は・・・」と今の生活の悩みも飛び出してくる。
まぁ私もそういうことにアドバイスをするのはこの10年ですっかり得意になったから、そういう場合はこんな風に考えたらいいよ、あんな風に考えたらいいよ、と話をする。
まぁこのブログにいつも書いているようなことだ。
「ああ、この話を聞いて、もう一度子育てをやり直したい」というのもいた。
まぁそれはいつでも大丈夫なんである。
ただ生まれ、ただ一生懸命生きてきた、無選別の雑草たちの人生は素晴らしかったし、彼らとは卒業以来のはるかな年月を一瞬で超える男女を越えた永遠に近い友情が存在することがわかったことはとても心地よかった。
私はこれは、この中二のクラスメイトだけでなく、ただ生まれ、生きて、袖振りあったすべてにあてはまると思っている。
だってこの中二のクラスメイトもまったくの無選別の雑草のような連中なのである。
私は去年から今年(2017年)にかけて、スペイン巡礼やバリ島自転車旅行、イタリア自転車旅行、北京、上海、香港などを旅してみたが、みな生まれて生きているだけの人々はとても愉快でいい人ばかりなのである。
地球は素晴らしいところだ。
私はこの中二のクラスメイトたちのように、ただ生まれて、ただ生きてる無選別の雑草のようなデフォルトの人々と、素晴らしい分かち合いと、永遠に近い友情がみなと結べるのではないかと思っている。
私は誰も拒否しないし、誰もある判断基準でいいとか悪いとか判断したり裁いたりしない。
みなそれぞれ自分が大切にする価値観に従って生きて、それぞれが素晴らしい存在である。みんな立派に生きている。
だからこそ「お前の人生はどうだった?」と聞いて楽しい。
みんな違うからだ。
私は嫌いな人はいない。
私はすべての袖振りあった人々に永遠の友情を感じる。
たとえ、その人がどのような人生を歩んだとしてもだ。
私はすべての人の自由意志を尊重するし、自分自身の自由意志も尊重する。
だけれども、そんな自立したお互いの自由意志を尊重しあう者同志でも、分かちあうものは本当に多い。
一緒に食事もすれば、酒も飲む。
カフェで話しても話は尽きない。
かといってひとりでふらっと旅にでることもある。
お互いにまったく自由なのである。
私がスペイン巡礼やバリ島やイタリア自転車旅行の話をすると、「連れてって!」という話しも出た(笑)
普通の人は人生のいろいろしがらみがあるので、それが実現するかどうかはわからないが、話しが興に乗れば私は引率してもぜんぜんかまわない。(笑)
ああとっても自由で、ただ喜びを分かち合う、永遠の素敵な関係なのである。
とりあえず「また会おう!」ということになった。
ただ生まれ、ただ生きている無選別の雑草たちは素晴らしい。
私はそういう人生観をもっている。
私には嫌いな人はいないのである。
ただ生まれ、生きている人を嫌いになる理由など何もない。
ただお互いに自立し、自由意志を尊重し、喜びを分かち合うだけだ。
それは永遠の素敵な関係なのである。
今回中二の無選別の雑草たちに卒業以来初めて再会し、改めてそれがわかった。