怒りや悲しみを抑圧していると、同じ症状を繰り返すことになります。
「度々出てくる怒りや悲しみはありませんかね。」 榎本
「怒り 悲しみ 言われて まさか まだ あるのか… そうかも しれません。思わないように、 思っては いけないと してたように 思います。」Aさま
「あ~
そんな風に思うといつまでも残っちゃいます。
思「わ」ないのではなく、
思「え」ないようにならないとクリアしたとは言えません。
それはフタをしただけでまだそこにあります。
どんなことをそう思いますか?」榎本
「涙が でてきました。
○○に対して許せない気持ちがあります。・・・」Aさま
それは随分苦しい思いをされましたね。
許せない気持ちを持つのは、しかたがないです。
許せない気持ちを持つ自分を認めてあげてください。
神様は人に「ノルアドレナリン」をお与えになりました。
それは急に襲われたりしたら、怒り、牙を向き、爪で引っかき、全速で走る力を与えてくれます。
それは緊急時に自分を守る力です。
緊急時に不安を感じ、怒り、全身を緊張させ、全力でこの状況を脱するための力をお与えになったのです。
ですから自分が「不安を感じ」、「怒り」、「許せない」気持ちを持つことは何も問題ありません。それは、とても役立つ感情です。
しかし、この「怒り」、「悲しみ」、「許せない」という感情は「一時的に」使うものです。
長期間「許せない」という「怒り」、「悲しみ」の気持ちを持ち続けると、自分の中に緊張状態を作り続け、ご自分が一番苦しいのはもう充分すぎるほどお分かりになっていると思います。
その「許せない」気持ちを手放すのは相手のためではありません。自分のためです。
「ノルアドレナリン」を生じさせ続けると、体に継続的に緊張が生じ、こわばり、凝りが生じ、痛みが生じるからです。
そこから自分を救うためには、自分のために「許せない」気持ちを手放す必要があります。
誰もが、愛にあふれ穏やかで幸せな人生を歩むことができます。
しかし、自分が「愛にあふれ穏やかで幸せに」過ごす条件に、自分以外の条件を付け加えると、その人が変わらなければ自分も幸せになれなくなってしまいます。
それはものすごく苦しいのです。
私も同じ「許せない」気持ちに4ヶ月間苦しみました。
去年自然の力で裏切り者認定されて、10月~今年の1月までですね。
今はもう普段思い出すこともありません。
これがまったく影響を受けていない状態です。
もうどうでもいいのです(笑)
私がどう捉えたかお知らせしますね。
自分の捉え方を変えれば、「自分の現実」を変えられるからです。
ご存知のように私は裏切りもの認定された翌日から今日までずっと途切れることなく浄化できています。
ですから裏切り者認定は「何かの間違い」だと考えました。
実際「何かの間違い」です。
Aさまもこの数日浄化の素晴らしい効果をお返事いただきましたね。
ですから、私は「私は浄化できてるよ」「私は神様の裏切り者じゃないよ」「昨日まで友達だったのになぜ、そんなことを言うの?」
そして「本当のことははきっとわかってもらえるはずだ」と思い続けてきたのです。「どうしてわかってくれないの?」と。
しかし、1月にマザー・テレサの「人は理不尽です。それでもなお人を愛しなさい」という言葉を知ってすごくすっきりしました。
何だ、はじめから人は理不尽なのか!
だったらわかってもらえなくてもいいじゃないか!
そう思えるようになったのです。
彼らが私を裏切り者認定することで幸せならそれでいいじゃないか!
そう思えるようになったのです。
何しろ人は理不尽なのですからね!(笑)
私は本当のことはきっとわかってもらえると「相手に期待」していたのです。
しかし、人はそもそも理不尽なんだからと、「相手に期待」すること自体を落としたのです。
それですっきりしました(笑)
彼らが私を裏切り者認定する理由はわかりません。しかし、それは私について何か真実を表しているのではありません。
それはただ単に彼らの生き様を表しているだけです。
そして、彼らがどのような生き様を表現しようとそれは彼らの自由じゃないですか。
彼らが、人を裏切り者認定して、幸せならそれでいいのです。
私には何も関係ないことです。だってずっと浄化できているんですから!
Aさまを含め、元自然の力の伝授者さんが私の「浄化依頼」されたり、「力の使い手」になられる方は多いです。
それで「なぜ裏切り者認定したのですか?」と聞くと、
「理由はよくわからないけど、顧問の先生に裏切り者認定しないと伝授が使えないと言われ、伝授を失うのが不安だったので」という以外の理由を聞いたことがありません。
要するに(よくわからない)「無知」、(伝授を失う)不安・恐怖に動機付けられているのです。
裏切り者認定は「踏み絵」であり、「一宿一飯の恩義」というはヤクザとか、幕府とか要するに「支配」の存在するところにのみある概念です。
鳥たちや動物たち、自然界にそのような概念はありません。
小鳥にすべてを与えた親鳥は、小鳥が元気に大空に飛び去って行くのを見送ることができれば幸せです。
支配者に好都合だから恩義を説く孔子や儒教の思想は、為政者に保護されたのです。
あれは支配者向けの概念です。
あれを読むなと、焚書し、聖書をラテン語で書いて人々に読めないようにし、マスコミでB層と呼ばれる人々の意見を操作し続ける。人々を無知にとどめるのも支配者のすることです。
歴史を調べてください。
知識、知ることは、今これを読んでいる情報機器など今の文明を支えるすべての源です。
わずか1.4kgほどの脳が人が呼吸する酸素の25%を使っています。
他の筋肉や臓器と比べて脳は10倍以上のエネルギーを使っているのです。
知ることがこれほど重要であり、脳で考えることがその人のあり方を決めるのです。
神が創造した脳というのはそれほど偉大な存在です。
知り、理解し、考えることほど人にとって偉大なことはないのです。
脳の酸素を使う比率がそれを示しています。
私たち「力の使い手」は「愛」と「理解」と「叡智」よってのみ結びついています。
私たちはただ、「愛」と「理解」と「叡智」を分かち合っているだけです。
「愛」と「理解」と「叡智」は神に属するものです。
「無知」と「不安と恐怖」と「支配」はエゴに属しています。
ちなみにアドレナリンが守るもの自己(エゴ)です。
身体の安全は大切です。
しかし、自己(身体)が安全であることがわかったら、私たちが幸せになるためには、「愛」と「理解」と「叡智」という神に属するものを人生に広げていかなければならないのです。
相手がそうしたことを許してあげます。
そして「許せない」気持ちから「愛」と「理解」が少しでも湧き上がってきたら、
相手の反応もそれに応じて変化してきます。
なぜなら自分が周囲に見るものは、自分の内面をそのまま反映したものだからです。
それが「思うことが実現する」ということの意味です。
実際自分がすべてを許して「愛」にあふれた状態を保ち続けると、人生でますます「愛」の証拠を経験するようになります。
自分と同じ「愛にあふれた人」を人生に引き寄せるようになるのです。
引き寄せの法則、類は友を呼ぶというのは、実に音叉と一緒です。
自分が「許せない」と思っていると、周囲は「許せない」という音波で振動し、
自分が「愛にあふれた」状態で振動すると、周囲も「愛にあふれた」状態で振動しはじめます。
それは自然の摂理です。
私たちはどのように振動を発するかを、自分の考えを変えることによって選ぶことができるのです。
それが神様が私たちに与えてくださった最大の贈り物です。
自由意志ですね。
しかし、自分が長い間「愛にあふれた」状態で振動しているにも関わらず、相手がそうならないようであれば、
(すべての人には自由意志がありますから、「支配」や「無知」、「不安」を手放せない人もいます。)
その時は相手の前から立ち去る選択もできます。
実際、もし自分が長い間「愛にあふれた」状態で振動していれば、相手が変化するか、いつか別れが訪れることになるでしょう。
それが自然の摂理だからです。
しかし、立ち去る際も相手はどうであれ、自分は愛にあふれた状態で立ち去ります。
「今までどうもありがとう。とてもいい経験になったわ。どうかお幸せに。」
そう思って立ち去ると、そのあなたの「愛」にふさわしい人たちをその後の人生でひき付けることになるのです。
そして「愛」にあふれることを選ぶとき、それに遅すぎるということはありません。
今この瞬間に選ぶことができます。
自分が愛するのに理由を探す必要はありません。
無条件に「愛」にあふれたらいいのです。
それを何があっても保つとき、次第に自分の周囲に愛の証拠を見つけ始めます。
外に愛の理由を探すと決して見つからないのです。
自分の内に愛を見つけると、そこらじゅうで愛を見つけることになります。
私たち「力の使い手」が「愛」にあふれることだけを学び続けるのもそれゆえです。