京都鴨川【売茶翁】「あれー? これって榎本さんやんか〜」

昨日「売茶翁」がテーマの新幹線の車内誌を読んでメールをくださいました。

「・・・
新幹線の車内誌をパラパラしてたら、売茶翁が、ひとつのテーマになってました。
榎本さんならご存知かも、ですね。
私は知りませんでした。

バイサオー?
何?

でも読んでみると、ちょっと榎本さんに通じるところがあるように感じました。
ググっていただけばわかりますが、売茶翁は佐賀県の位の高い禅僧でしたが、還暦過ぎてから出奔し、京都鴨川のほとりでしたが茶屋を始めてしまいます。

かといって、さほど儲けるつもりもなく、いくらでもいい、タダでもいい、、、というノリ。
その人となりに惹かれ、多くの人が共感を得て彼の茶屋に集まります。でも人々に難しい説法をするでなく、柔軟性に富む禅問答で、自由な風吹くいわゆるサロンだったようです。集まった人達には、当時の文化人であった大観やら伊藤若冲もいたようです。

当時の腐敗した宗教家に対し厳しい意見も持ち、お布施の多い信者を優遇したり、お金を得るために小細工をしたりする僧侶には疑問を感じ、自らは、粗末な、でも自由な、お茶売りで人生を思ったように生きていったのです。

あれー? これって榎本さんやんか〜

そう思って新幹線に乗ってた私でした。

富士山、くっきりきれいに見えましたよ。
あーー、楽しかったーー(๑˃̵ᴗ˂̵)(2017年5月1日 20:12)」

売茶翁ですか!知りませんでした。

一瞬「バイオハザード」かと思いましたよ!

今でいう喫茶店のような簡素な席を設けて、そこで禅道と世俗と融合した話をして煎茶を出していたそうですね。

ああ、しかし私はこういう人は好きですね~(笑)

彼の言葉にこういうのがあります。

「僧の中には貪(むさぼ)りの心を持ち、施しの多い信者にこびへつらったり、布施を求めてはかりごとをしたりする者もいる、それよりは茶売りをしながら修行をする方がよい。」

いいね~

素敵!

京都鴨川と言えば、私の大好きな禅師、大燈国師は五条大橋の下で乞食をしていたんですよ!(笑)

それで花園天皇がどうしても大燈国師に会いたい、探し出せと命じます。

大燈国師は瓜が好きだったんですよ。大好物なんですね。

それで瓜でおびき寄せようということになりました(笑)

ところが当時、写真などはありませんし、ただ瓜を配っても乞食が群がるだけで、誰が誰だかわからない。

で、大燈国師は多数の禅の公案を作った禅師ですからね。

一計を案じました。

花園天皇の使者の役人が鴨川のほとりで乞食に瓜を配る時に「脚なくして来たれ!」と言ったんですね。

するとその乞食の群れの中の目つきの鋭い一人が、「無手で渡せ!」と答えたために大燈国師であることがバレて天皇の元に連れていかれます。

まさに禅の公案!(笑)

もっとも大燈国師というのは後に天皇から与えられた名前で、当時は「妙超」として知られていました。

その後、花園天皇と後醍醐天皇が大燈国師に帰依し、大燈国師は大徳寺を開山しています。

当時の天皇は乞食に帰依するくらい度量があったんですね~。

先日京都に行った時、五条大橋の下に行ってみましたが、今は乞食は誰もいなかったですね。

きれいなもんですよ。本当に鴨がいっぱいいて。

そうですか、売茶翁は鴨川のほとりで茶屋をしていましたか。

まあ私が似ていると言えば鴨川のほとりのスタバでナンパしてきたくらいのものですね。(笑)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Loading Facebook Comments ...