不満の源

 なぜ不満に思うのか、不満の源は自分が「何かそれを得ることが当然」と思ってることにあります。

 おもちゃを買ってもらえない子供は不満です。そのおもちゃを自分に買ってもらうことが当然と思っているからです。
 奥さんは亭主の給料が少ないのが不満です。それは亭主がお金を稼いで来て自分が受け取るのが当然と考えているからです。
 ご主人は奥さんが家事をしないのが不満です。それは奥さんが家事をするのが当然と思っているからです。

 自分が「何かそれを得ることが当然」と思ってる時、必ず不満が出てくるのです。

 私たちに与えられているもので、当然のものは何一つありません。
 空気がこの世に存在することさえ、当然でもなんでもありません。
 他の惑星や宇宙空間に空気がほとんどないことを考えれば、私たちは空気が存在するごく稀な奇跡的な宇宙空間に生きています。

 あらゆるものは神さまに与えらえています。

 自分の家族や子供、恋人でさえもです。

 私は「自分の彼女」ということ言葉はとてもおこがましいと思っています。
 それは何か、自分が彼女を所有していて、彼女が〇〇であることは当然だと考えるニュアンスが感じられるからです。

 彼女は自分のものではなくて「神さまのもちものです」、たまたま今、神様が自分に素敵な彼女を与えてくださっているだけです。

すべては神さまの創造物です。

自分の子供もそうです。

 たまたま、神さまの創造物である子供を自分がお預かりしているだけです。

 自分は気持ちよくHをしただけで、子供の脳や神経、身体の細部にわたって精巧に創造したわけではないのです。

 その創造は神さまの御業です。

 あらゆる人も神様の創造物です。

 それが今、たまたま自分の周囲に与えられているだけです。

 あらゆるものが神様の創造物であるこの世において「何かそれを得ることが当然」なものなど何ひとつありません。

 この要点がわかる時、あらゆるものは自分のものではなく、神さまに今、それをお借りしているだけであり、感謝しかなくなるのです。

 「何かそれを得ることが当然」と思っている時、何であれその何かは、神様のもちものです。

 私たちは神さまに対して、それを私によこすのは当然だ!なぜ私によこさないんだ!と文句を言っているのです。

 ですから「何かそれを得ることが当然」と思ってる時、不満が生じ、神さまに属している魂さえも失ってしまうのです。

 「何かそれを得ることが当然」と考えていること、それが不満の源です。

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