白髪を黒髪に変える若返りに挑戦中の「力の使い手」さんからメールです。
> そして、昨夜、教えて頂いた一番心の底から経験したいと思っていることを勝手に実現したと思って、その感覚を味わってニタニタしながら眠りにつくのを再度やってみました。
> 若くなって、若い男性とデートする感覚を味わって、ニタニタしながら寝ました。寝起きは夢を見たけど内容は覚えておらず、相変わらず顎が疲れていました。全身も凝っている感じで、昨日とあまり変わりません。
> 私としては、若くなりたいし、経験したいことをおもいっきり味わいたいのですが、まだ、自分を許すというのが苦手なので、出来てなかったのだと思います。あと、マイナス思考を変えたいです。「私は無限の可能性がある」を毎日言っています。
いいですよ~
それです!
それは本当です。
身体の緊張というのは、「自分を守らなければ」という意識の現われです。
自分は無力だから、いつも緊張して、自分を守れるよう気を張っておかなければならないという意識の現われなのです。
「自分の中に神と同じ魂」があります。
人はみなそれに気づいていないだけです。
そして「自分は無力」という前提をもっているから、人に抑圧されて、怒り、悲しみ、憤るのです。
自分には無限の可能性がある。
自分には本来すごい力がある。
それを引き出すことに夢中になれば、人のことなどどうでもよくなります。
自分の輝きを増すことが面白くて、人と支配と従属のゲームなどバカバカしくてやってられないのです。
どうでもいいのです。
そういう支配と従属のゲームに対してまったく無関心になります。
そうすると自分が無関心なものは自分に影響を与えないのです。
現代人の問題は、「自分の中に神と同じ魂がある」ことをすっかり忘れ無関心になっていることです。
遠隔浄化で瞬時によくする力も、いったん白髪になった髪を再び黒髪に変え、若返っていく力も、
自分の経済を豊かにする力も、みんな自分の内にあるのです。
そのことに大いなる関心をよせることで、それは力を発揮し始めるのです。
自分の中にすでにあるものに気づくことによって、それは発揮し始めるのです。
すでに与えられているんですよ!
それを自分の人生に縦横に発揮する方法を学ぶことそれが「力の使い手」の学びです。
自分の中に「自分の中に神と同じ魂があり」、その無限の可能性をどこまで解き放つことができるか。
それが「力の使い手」の学びです。
そして、その力を解き放つことを妨げているのは自分の、「自己卑下」「自己憐憫」「無力感」「無価値感」・・・・
社会が「これが正しい」「よかれ」と私達に押し付け、そして自分が受け入れてきた、「自分の中に神と同じ魂がある」ということに反する、
あらゆる価値観を跳ね返すことなのです。
それらの価値感が自分にある理由はただ単に、それを自分が受け入れてきたというだけなのです。
その「自分の中に神と同じ魂がある」ことを知り、それを解き放つゲームに人生で取り組み始めたら、
人と人との支配と従属のゲームなどバカバカしくてやってられないのです。
ただ単にそういうゲームがバカバカしくなります。
そして、自分が無関心になったものは自分の人生から落ちていきます。
怒りであれ、悲しみであれ、「人と人との支配と従属のゲーム」に関心をもっている限り、それはあなたの人生の一部です。
ですから、それにふさわしい結果を自分の人生で受け取るのです。
そして、「人と人との支配と従属のゲーム」を落とし、「自分の中に神と同じ魂がある」ということを自分の人生で経験しはじめたら、
その自分の人生に対するコントロール感、自分(自分の魂)の力が自分の身体を守り、自分の人生を支配しているコントロール感、
自分以外に自分の人生をコントロールされていない感覚、自分の人生に対する一切の判断と決定権を自分が握り、実際に自分の内にある力を使って生きているこの実感こそ、自分に大いなる安らぎをあたえ、自分を外部から守らなければならないという緊張感を手放させるものです。
ですから、「自分の中に神と同じ魂がある」ことを自分の人生で発見するまでは、外部との支配と従属のゲームに生きることになります。
その間は、決して真の意味で緊張感を手放すことはできないのです。
何しろ自分の人生を誰かに委ねていますからね。
その誰かの動向にいつも気を張っていなければならないのです。
それは絶えざる緊張です。
「自分の中に神と同じ魂がある」ことに気づき、自分の人生に対する一切の判断と決定権を自分が握り、実際に自分の内にある力を使って生きていることを実感し、「人と人との支配と従属のゲーム」にまったく無関心になるとき、
「人と人との支配と従属のゲーム」は自分の人生から消えます。
無用な緊張は自分の身体から消えます。
もう自分がそのことに関心がなくなったからです。