【鬼束ちひろの月光】の意味 一番多い後悔は「もっと色んなことをやればよかった」

(鬼束ちひろさんの「月光」の意味は最後にあります)

ご質問をいただきました。

人生の最後に後悔すること

質問です。
老人ホームや施設などで後先ない高齢者が口々に言うことは後悔(あの人に謝りたかった、とかあの人と仲直りしたい、とか)と、1番多いのは、もっと色んなことをやればよかった、とのことです。

「もっと色んなことをやればよかった」

私とか、あんまりそれにピンときません。好きなことやればいいじゃん?なんでやらないで我慢してきちゃったのかな?て。

肉体の維持には何もしないのが一番いい

まず自分自身を肉体としての存在と捉えているか、魂としての存在と捉えているの違いが大きいです。

人間は誰もが肉体を持っていますから、肉体意識があるのは当然です。

肉体意識というのは、肉体として「生き延びよう」という意識です。

とりあえず、雨露しのげる場所にいて、食べ物もあるなら、「あれこれ行動しない方が肉体の維持には都合がいい」のです。

だって、今の状態で肉体は維持できているのですから!

何か行動すればお金も使います。

政府によると老後のために二千万円必要だそうですよ(笑)、その老後資金が減ってしまいます。

生存のためには、何かしたりせずに家でじっとしていて、テレビを見てスマホをいじっているのが一番いいんですよ!(笑)

同様の理由で転職もしない方がいいし、引っ越しもしない方がいいのです。なぜならとりあえず今は生活出来ているのですから!何か変化が起これば「現状維持」はできません。新たな現実に対処する必要があります。

肉体の維持にとって「現状維持」はとてもいい戦略なんですね。

すると何もせずにじっと家にいる方が一番いい。

その肉体の維持にとって正しい戦略を実行したご老人たちが人生の終わりに「もっと色んなことをやればよかった」という思いを強くするのでしょうね。

それは肉体の視点から見たら「正しい選択」をした結果です。

「社会意識」「人にどう思われるか」

好きなことやればいいじゃん?なんでやらないで我慢してきちゃったのかな?

ひとつは上に書いた「肉体維持のための現状維持」思考ですね。

ひとつには「社会意識」です。

簡単に言えば「人にどう思われるか」です。

せっかく今の会社に就職して、やめたら「親になんて言わるか」「友達になんて言われるか」「家族になって言われるか」・・・

「人にどう思われるか」ですね。

それは「自分の気持ち」じゃないんですよ。

それがその人の行動をブロックしている。

人に気に入られたいがために「その人たちに許容される、いい自分を演じている」ということです。

そのために自分の人生で思いきったことができない。

例えば、日本の会社では年休を消化しない人も多いです。それは上司が年休をとらないからです。「自分だけたくさん年休を取るとどう思われるか?」というのはとても大きなブロックになっています。

自分がこれをしたら、奥さんはどう思うか、ご主人はどう思うか・・・

そういうことを気にして、本当に自分のやりたい思い切ったことができない人は多いです。

変化のきっかけ

まったり人生を過ごしてもいいし、また何か始めてもいいんだけど、どっちも私だからどっちでもいい。

キッカケとか自分でなんも動かなくても来るもんですか?

今惰性で生きてるから。(笑)

どうにか自分でやらなきゃいけない環境に投下されちゃうもの?榎本さんはどうでしたか?ここまでの人生、
自分でやらなきゃやらなきゃ!て感じだった?それとも導かれるままにやってきたらこうなった?

榎本さんの場合は好きが高じての、タイプかしら?

変化のきっかけは、人間は肉体であると同時に本質は永遠の魂なんですね。永遠の存在なんです。それを魂は奥深いところで知っている。そもそも永遠の存在なのに、ずっと何も変化せずに現状維持を続けているなんてバカバカしいと感じるんですよ。(笑)

このまま何億年もじっと現状維持し続けるのか?(笑)

何か変化しなきゃいけない。

このまま終われない。

もっといろんなことにチャレンジしたい。

こういう思いは魂のメッセージです。

人間の本質は魂ですから、いつか魂の声が優勢になります。もちろん今生ではないかもしれません。あと百回転生した後かもしれません。1億年後かもしれません(笑)しかしいつかそうなります。

自分から変化できないときは変化させられることもある

自分から変化できないときは変化させられることもありますね。

自分の会社が倒産してしまったとか、解雇されてしまったとか、長年つきあった人に離別を告げられたりとか、気候や環境の変動があって同じ生活が続けられなくなったりとか、新型コロナもそうですね。

そういう何か外部から変化を促されることもあります。

もうこれ以上同じことを続けることはできないという状況に追い込まれるんですね。

自分でやらなきゃか?導かれたか?

まず私は高校の進路以降、すべてを自分で決めてきました。人生の大きな決断で誰かに相談したことはないですね。

私にとって人生はすべて「自分でやらなきゃ」いけないことです。

誰かをあてにしたり、誰かに頼ったりしたことはほぼないですね。

導かれたか?

「導かれたか?」どうかですが、まず私の神に対する理解ですが、神は人に自由意志を与えました。自由をです。

自由というのは完全な自由です。

「導き」というのはある方向に導こうということですよね。

それって自由じゃないですよね?!

神は人に自由意志を与えました。

神は人がどちらに方向に行くかを決めることさえも自由を与えています。

そういう意味で神に「導き」などというものは存在しないのです。

神は人間にそれほどすごい自由意志を与えました。

それが人間の栄光です。

「導きというのは自分の魂の声」

導きというのは自分の魂の声だと思っています。

私たちは今生に転生する前に、今度の転生ではこういうことを経験しようという「動機」をもちます。

「動機」はとても重要です。

何かの動機がなければすべてが自由意志の宇宙において地球に転生することはできませんからね。何か地球で果たしたいことがあるのです。それは過去のカルマのバランスを取ることかもしれませんし、何か新しい経験かもしれません。この経験の星、地球で何かがしたかったのです。

しかし、肉体に転生するとすべてを忘れる仕組みになっていますので、自分が本来誰であったか、何がしたかったのか忘れてしまいます。

しかし、ふとしたことで「私の人生はこんなことのためにあるんじゃない。」という思いが込み上げてくるのです。

それが魂の声であり、「導き」かもしれません。

「導き」というのは、何か他の存在からくるものでは無くて「本当の自分」からくるものです。

肉体の維持に意識を囚われている世間では、エゴとエゴのぶつかり合いです。

肉体の維持のためには、要するに目の前のモノを独り占めすることが一番有利なんですよ。肉体意識が満ちた世界は非常に生きにくい世界になります。

魂というのは永遠です。

永遠というのは神の属性なんですよ。

日本でも魂は「神の分け御魂(わけみたま)」という言い方をしますが、私たちの本質は魂であり、その魂は神の一部であると思っています。

つまり「自分の魂の声」=「神の導き」とも言えると思っています。

鬼束ちひろさんの「月光」

鬼束ちひろさんの「月光」はそういう魂のメッセージを感じ取った人の歌だと思います。

I am GOD’S CHILD
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない

私は神(魂)の子だ。

この腐敗した世界に堕とされた

How do I live on such a field?(こんな世界でどうやって生きればいいのか?)

こんなもののために生まれたんじゃない

この鎖が許さない

この鎖とは社会意識ですね。

ここに声もないのに

一体何を信じれば?

自分自身の内面の声を信じるしかありません。

周囲は「こんなもの」の社会の鎖を構成しているのですから。

こんな思いじゃ

どこにも居場所なんてない

この生存競争の「いかに自分がより有利な立場に立つか」ということが主要なテーマになっている、such a field「こんな世界」で、「こんなもののために生まれたんじゃない」と感じている自分にとって、すべてがバカげて見えて、そんな価値観の中に自分をおき続けることができない。

そんなことばかりに関心をもっている人々の中に、自分の居場所なんてない。

不愉快に冷たい壁とか

生存競争において、すでに有利な立場を築いた人たちは、自分の立場を守るために「参入障壁」を築いています。学歴であるとか、出身大学であるとか・・・

あるところにアクセスしようとすると「冷たい壁」の存在を感じることがあるのですね。

例えば「ああ私はここではこれ以上出世することはできないんだな」みたいな感覚です。

私を救い出して

静寂から

こういう状況の中でひとりで静寂の中にいると、色々考えてしまっておかしくなりそうなのはわかります。外を見ても答えが見えません。

しかし、救い出すのは「静寂」からじゃないんですよ。

巻き込まれてきた世間のごたごたから離れて、自然豊かなところでお茶でも一杯飲んで、そのほっこりと落ち着いた静けさの中で「自分は本当は何をしたいのかな?」と問うことからすべては始まります。

それは誰かに気に入られたいとか、世間に受け入れられたとか、そういう外部から与えられた価値観やバイアスのかかっていない、ほんとの自分の気持です。

ですから静寂、ある種の静けさはとても大切なものです。

世間のごちゃごちゃした思考ではごちゃごちゃしたものしか生まれませんからね(笑)

この鬼束ちひろさんの「月光」は6千3百万回も再生されているんですよ。日本人の半数が見ていることになります。もちろん年配の人には知らないでしょうから、若い世代が繰り返し再生しているのでしょう。

How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない

こんな世界でどうやって生きればいいのか?

こんなもののために生まれたんじゃない

と感じてる人はとても多いのです。

動画で使われている十字架も象徴的ですね。

私もイエスは、二千年前に当時覆われていた社会意識に新しい希望の光をもたらすために生まれてきたと思っています。

「自分自身(の魂)で自分を導く」

ご質問は「自分でやらなきゃか?導かれたか?」でしたね。

神が自由意志を与えたこの世界において、

「自分の魂に導かれて、自分でやらなくちゃいけない」

というのが私の理解です。

「自分自身(の魂)で自分を導く」ですね。

しかし確かに人間社会は目立つところは「腐敗した こんなもののために生まれたんじゃないと思えるようなsuch a field」かもしれませんが、私は自然豊かな地球は案外いいところだと思っています。そして人々もその本質(魂)ではとてもいい人だと思っていますよ。

この地球世界を旅することは案外楽しいのです(笑)

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