メールをいただきました。
今まで、ひとりで楽しむことなく、誰かと一緒にとかが、
ほとんどでした。 I(2017年7月5日 9:20)
いつも誰かと一緒にいると安心なんですよ。気が楽です。守られている感じがします。
実際そうです。
幼児はいつもお母さんと一緒です。
姿が見えなくなったら泣きわめきますね。
そういう「誰かと一緒にいること」から人生をスタートします。
学校にあがると「仲良しグループ」をつくりします。
大人になると「派閥」です。
そこに属していると安心なんですよ。気が楽です。
しかし、いつも「誰かと一緒」にいると、自分というものがないのですよ。
例えば「家族」には家族のルールがあります。
「仲良しグループ」には仲良しグループのルールがあります。
「派閥」には派閥のルールがあります。
その暗黙のルールに従うことが求められています。
あなたが個性的であるかどうかということはグループにとっては関係ないんですよ。
あなたが独自の考えをし、個性的であればあるほど、そのグループにとって「うっとおしい」存在になります。
むしろグループとしては独自の考えをして欲しくないのです。
人生においてグループに属している人はそれを受け入れている人です。
人生の初期においてはそう時期もも必要ですよ。
群れて遊んだり、みんなでスポーツをしたり、・・・
それは必要な経験です。
しかし「いつも誰かと一緒」となると「自分」がありません。
「自分」というのはグループとは違う独自の考え、行動をするということです。
例えば今まではずっとお母さんと一緒だった。
ところが友達と群れて遊べるようになった。
それは今までとは違う「独自の考え、独自の行動」です。
なぜ、そうするのか。
楽しいからですよ!
自分の世界がいつまでも「家族だけ」だったら悲しいですよね。
友達と群れて遊ぶ喜びを知った。
自分の世界が広がったのです。
いつかその友達とも別れる時が来ます。
中学にあがれば別の「グループ」をつくるかもしれません。
その「グループ」ともやがて別れる時がきます。
大人になってある「派閥」に属します。
その「派閥」も永遠ではない。
結局、自分を取り巻く「グループ」は変わり続けます。
いつも一緒にいるのは誰かのか?
自分しかいないのです。
いつも自分を「グループ」にあわせてばかりいると、グループは常に変わりますからいつまでたっても「自分というものがもない」のです。
私が今属している仕事の「派閥」は強力だからずっと大丈夫だと思うかもしれません。
しかし、それに属しているのも「退職」までです。
退職すればただの人です。
退職して自分の今まで自分を支えていた役職名などのアイデンティティがなくなると急にしぼんでしまう人は実に多いのです。
結局どんなに強力に見えるグループに属していても、それは「あなたではない」からですよ。
張り子の虎なのです。
退職してしまってそのグループに属していられなくなって、初めて「自分のなさ」に気づくのです。
何も人との関係が大事じゃないと言っているのではありません。
人はひとりでは生きられませんからね。
人との関係を大切にすることは必要なことです。
しかし軸足は「グループ」に置くのではなくて「自分」になくちゃいけない。
なぜなら、「グループ」は移り変わり、決して「自分」ではないからです。
結局常に付き合い続ける人は「自分」だけです。
親も家族も、社会さえも永遠ではありません。
しかし私たちは、転生を超えて永遠に「自分」とつきあい続けるのです。
だから最終的には「自分に軸足を置く生き方」しかないのです。
自分が親を選んで生まれてきたし、今の家族や社会を引き付けてきたのです。
外部に自分をあわせていたら、永遠にそこから変化することができません。
自分に軸足を置き、自分自身の喜びを追及するなかで、自分を成長させます。
自分が変化します。
自分が変化すると、つき合う人々が変わります。
類は友を呼ぶからです。
いいですかね。
ここがポイントです。
「類は友を呼ぶ」のです。
引き寄せの法則は絶対です。
あなたが今自分を取り囲んでいる外部、家族、グループなどに「自分をあわせていたら」
「自分は変化しません」から、つき合う人びとも変わりません。
つまり人生は変化しません。
「周囲に自分を合わせるのではなく」「自分に軸足を置き」「自分自身を成長させ」「自分が変化したら」
つき合う人々も変わり人生が変化します。
新しい自分にあったものになります。
実は親も変わるんですよ!(笑)
もちろん今生の物理的な親は変わりませんが、今まで何度も同じ親子関係を結んできた因果があったかもしれませんが、もはや「その古い価値観」から抜け出しましたから、来世は新しい自分の価値観にふさわしい親の元に転生することになります。
ほら、親が変わったでしょ!(笑)
親も家族も絶対ではないんですよ。
その選択の基準は「常に自分にある」のです。
今までも「常に自分にあった」のです。
ただそれに気づいていなかったから「意識的な選択」をしていなかっただけです。
だからと言って親や家族を大事にしなくていいということではありませんよ。
しかし、家族にあわせ、自分を抑圧し、自分を犠牲にし続けていけないということです。
自分も大切にし、家族も大切にするという第3の道を見つけなくちゃいけない。
そして、もし今の家族がそれを許してくれないなら、最終的には「自分に軸足」を置かなくちゃいけない。
来世でも同じ、抑圧、犠牲を経験したいのなら別ですが(笑)
「グループ」というのはあなたがグループにとどまり続けることに関心があるのです。
なぜならグループの力学とは「数の論理」だからです。
多数派、強いグループが、少数派の弱いグループを圧倒するのが「多数決の民主主義」というものだからです(笑)
だから、グループはあなたがグループにとどまり続けることが最大の関心事です。
「あなたのこと」などどうでもいいのです(笑)
あなたが個性を発揮し、独自の考え、独自の価値観、独自の行動をすることなどどうでもいいのです。
どうでもいいどころか「個性的であって欲しくない」のです。
それが「出る杭は打たれる」ということです。
しかし「長いものに巻かれ続けている」とあなたは成長しないんですよ。
そしてどんなに強大に見えるグループでも、あなたにとっては一時的なものです。
そのグループは決して、あなた自身ではありません。
それが家族であってもです。
もしあなたが家族のルールの中に自分を押しとどめることを選び続けるなら、これから何世も同じ家族の元に転生を続けるでしょう。
実際そういう例は多いのです。
その真の理由は「自分の軸足」を育てなかったということです。
特に虐待をする親とかの元に生まれ続けたら大変ですよ!
「大きな声」を出していうことを聞かせようとする親ですね。
さっさと自分を変化させて、別の現実を引き寄せた方がいい。
それは虐待、抑圧、犠牲はもうたくさんだ!という自分の意志からはじまるのです。
いつも誰かと一緒にいると自分と向き合うことができず、「自分」
今がどんなに惨めなものであれ、ひとりでいるよりは現状に甘んじた方がましと考えます。
そして、人に合わせるばかりで自分を見つめる時間がありません。
自分は何に喜びを感じるのか、
グループにとってはあなたが「自分は何に喜びを感じるのか」を追及することは、脅威でしかありません。教えられる通りにしとけ!ということです。
そして教えられる通りにさせるためにグループは「個人は自信がない方が都合がいい」のです。
もし個人が自分に軸足を持ち、「ん!このグループの言っていることはおかしいんぞ?」と思いはじめると困るのです。
「きっと私が悪いに違いない」「きっと私が間違っているに違いない」「私は判断力のない人間だから」「自分で決める自信がない」・・・
こう考えてもらうのが「グループ」にとって都合がいいのです。
褒めたたえるのは「グループに対する貢献」だけです。
あなたが自分のことに取り組もうとすると「なんて我がままなんだ!」「なんて自分勝手なんだ!」と批判します。
しかし「グループ」は決してあなた自身ではないんですよ。
家族でさえもあなたが転生を超えてつきあい続ける人ではありません。
あなたが常に、そして永遠に付き合い続けるのは「自分自身」だけです。
そして、「自分自身」の成長に従って、家族も、人々も変化し続けるものなのです。
今まで、ひとりで楽しむことなく、誰かと一緒にとかが、
ほとんどでした。
ひとりを楽しむことが最初の一歩です。
それは自分自身に取り組む時間を確保するということでもあります。
そして、過去に捉われている思考を許して手放すこと、
それを人に遠慮することなく実行することです。
そういうことを繰り返すことで、「自分の軸足」
自分の判断力ですね。
私はこうががいい、こうしよう!と自分で決めることです。
そして、自分で選び自分で実行し、
ひとりで過ごすことを「孤独」と考える人がいますが、まったく違います。
「ひとりあること」はとても美しいことですよ。
ひとりで静かな時間を過ごしたり、ひとり旅をしたり、ひとりで思考を巡らしたりすることは、とても豊かで美しい時間です。
ロンリネス(孤独)とアローンネス(ひとりあること)はまったく違います。
人びとのなかにあって孤独を感じる人はたくさんいるし、ひとりある時間に人びとに思いをはせ、豊かな時間を過ごす人もまたたくさんいます。
私は世捨て人になることを勧めているわけでありません。
自分の世、自分の現実を豊かにするためには、
まず自分が変化する必要があるのです。
そのためには自分を見つめる必要があるのです。
静かに自分を見つめることはいつも誰かと一緒にいては難しいんですよ。
「ああ、私はいつも過去のこういうことを思い出して心乱れているけど、もう許して先へ進みたいな。どうしたら手放せるだろうか。」と考える時間が必要なのです。
いつも誰かとおしゃべりしていてはそういう時間がとれないのです。
そして「自分自身の変化」とはいつもそういうところから始まるのです。
それが最初はお気に入りのカフェを見つけてひとりで出かけ、