自分の人生を生きるには

またまたTさんからメールが来ました。

こないだ榎本様に、同じような状況が何度も訪れて私を試すと教えていただきましたが

来ました!

来ました!

相手の感情に引きずられないように、よそを見て(笑)ホッと一息つく……

できませんでしたーーー(笑)

よろこんでいる場合かっ!

せっかくほめたばっかりなのに~

お酒のせいにしてしまえばアレなのですが(*´•ω•`*)…
久しぶりに飲みまして、ボヤーッとした感情のまま

いつもの私の一言で、ナイーブな旦那さんを刺激しました∑(๑º口º๑)!!
冷静ではない主人を見て、よそを見てホッと一息つければ良かったのですが
お酒で目の座った私は(笑)主人の目をじぃーーーーー……

あ〜感情が引きずられるぅーーーダメだなーと頭のどっかで思いながらも、
主人のお返しの一言により、
あーーーーっそ、と無になりました。

主人がそれ以上激高することがなかったのでヤバい喧嘩にはなりませんでしたが、
とーっても嫌な雰囲気になり現在進行形でございます。

相手の感情に引きずられないようにするって簡単そうで私にはすごく難しいです。
そういえば幼い頃から、自分の機嫌が良くても相手がムスッとしていると私もムスッとなっていました。
私は私、そういうおおらかな気持ちが持てないんです。

そこからクリアしてかないと前に進めそうもないですね 

いいじゃないですか!

以前なら激高して激しくやりあってたところでしょう。

すごい!すごい!

大進歩ですよ。

喧嘩というのはですね。

もう一方も乗ってこないと成立しないんですよ。

「ちょっと私、空見てくる」でも何でもいいですから、間を取ればいいんです。

人間は日常生活を便利に送るために「条件反射」の機能をもっています。

自転車乗ったりするのに、いちいち毎回練習してられませんよね。

自動で乗れるようになります。

多くの行動が自動になります。

ある場面でカチンと来るというもの、「条件反射」なんですよ。

「条件反射」はとても便利なんですが、「条件反射」だけで生きてる人には進歩はありません。

人生がそこから変化しません。

パブロフの犬です。

人生に変化をもたらそうとする人は、自分の「条件反射」に気づく必要があります。

「条件反射」で生きる人の人生に自由はないんですよ。

彼に人生の選択はありません。

彼の未来は過去の繰り返しです。

彼の人生の結末は見えています。

彼の人生は予測可能です。

彼の今までの「条件反射」を見ればいいだけです。

その延長以外にはあり得ません。

「条件反射」で生きているからです。

ロボットなんですよ。

「同じような状況が何度も訪れて私を試す」というのは、その「条件反射」の神経回路がしばらくは以前のままつながってますよ、ということなんです。

誰でもそうです。

新しい回路がつながるまでしばらくかかるんですよ。

今まではある出来事に「カチン」と来る「条件反射」があった。

1、まずはその同じ状況に「待てよ!」これはいつものパターンだぞ!と気づきます。

2、そして「私はこの出来事に、違う選択をもたらすのだ、私により幸せをもたらす選択をするのだ!」と自分の意志を発揮する「スペース」を作ります。

3、そして以前よりも違う、自分により幸せをもたらす行動をします。

最初は意識的にしなければなりません。

自転車でも水泳でも、今までの人生で学んでこなかった行動は、最初意識的に練習しなければならないのです。

自分の親が同じような状況で「カチン」と来ていたら、それを身に着けてしまい、自分も同じような行動をとり続けます。

ですから、結婚するとき親を見ろというのは一理も二理もあるんですよ。

子供というは、まず一定の「条件反射」を親から引継ぎますからね。

しかし「条件反射」で生きている人は親のコピーなんですよ。

自分の人生ではありません。

ですから多くの子供が反抗期を迎えます。

子供が親のコピーになりたくないと思うのは、進化への原動力です。とても健全なことなんですよ。

親の言うことをよく聞く「いい子」は親を下回ってしまいます。

何しろ親の価値観の中で生きていますからね。

そういう家系は三代先くらいには途絶えます。

退化していますからね。

子供が自分に反抗するようになったら「こいつはなかなか見所がある!」と喜んだらいいんですよ。

さて、上の1、2、3で「意識的な選択」をし続けると、最初は何度も以前の「神経回路」を通ろうとします。何しろそれが「条件反射」です。

しかし、別のより幸せな選択を「繰り返して」いたら、今度はそっちが次第に「条件反射」になっていきます。

もう、何があってもその選択に揺らぎがないとき、自分の人生はすっかり変わります。

自分の人生により幸せな選択をもたらしたのです。

この「意識的な選択」を人生にもたらすことを「習慣」にすると、人生は幸せへの絶えざる向上になっていくのです。

これが自由のなんたるかです。

そして、この意識的な選択は「誰にでもできるし」そしてその幸せへの選択は誰もが「無限の可能性」をもっています。

それは初めからすべての人に神様がお与えになっています。

人間は神に似せて創造されているのです。

初めからすべてを持っているのです。

後はその当然の権利を行使すればいいのです。

「無限の可能性」へ向かって「意識的な選択」をどんどん行使していけばいいのです。

それが自分の人生を生きるということです。

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