チャップリンの映画「独裁者」はアメリカが第二次世界大戦に参戦する2年も前に作成された。
撮影中は製作中止をもとめる妨害や、度重なる脅迫を受けたそうだ。
時代が時代だけに、このようなあからさまな風刺を行えば、暗殺の対象にもなりかねない。
当時のドイツではもちろん上映禁止となった。
床屋のチャーリーはひょんなことから独裁者ヒンケルと入れ替わってしまい、見渡す限りの軍人を前に演説をしなければならなくなってしまった。
とまどいながらも演台にいき、チャーリーはぽつぽつとしゃべりはじめる・・・
このスピーチもすべてチャップリン自身が考えたそうだ。
とても第二次世界大戦前の世界に向けたメッセージとは思えない。
まるで、今の私たちに向けられたメッセージのようだ。
申し訳ないが・・・
私は皇帝などなりたくない。
それは私には関わりのないことだ。
支配も征服もしたくない。
できることなら皆を助けたい。
ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。
私たちは皆、助け合いたいのだ。
人間とはそういうものなんだ。
お互いの幸福と寄り添いあたいのだ・・・
お互いの不幸ではなく。
憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。
世界で全人類が暮らせ、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。
人生は自由で美しい。
しかし、私たちは生き方を見失ってしまった。
欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発し、それによって自分達自身を孤立させた。
ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げてしまった。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、無情にした。
私たちは考え過ぎ、感じなく過ぎる。
機械よりも、人類愛が必要なのだ。
賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。
そういう感性なしでは、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。
飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。
そんな発明の本質は、人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに届いている。
何百万人もの絶望した男性達、女性達、子供達、人々を苦しめる組織の犠牲者。
罪のない人達を投獄させる者達。
私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。
私たちに覆いかぶさる不幸は、単に過ぎ去る貪欲であり、人間の進歩を恐れる者達の嫌悪なのだ。
憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶えるであろう。
人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。
決して、人間が永遠には生きないように、決して、自由も滅びることもない。
兵士たちよ。
獣たちに身を託してはいけない。
君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、考え、感じるかを指図する。
そして、君たちを鍛え、食事を制限する者たちは、君たちを家畜として、ただのコマとして扱うのだ。
身を託してはいけない。
そんな自然に反する者たちに。
機械人間たち、機械のマインドを持ち、機械の心を持つ者たちなどに。
君たちは機械じゃない。
君たちは家畜じゃない。
君たちは人間だ。
心に人類愛を持った人間だ。
憎んではいけない。
愛されない者だけが憎むのだ。
愛されず、自然に反する者だけだ。
兵士よ。
奴隷を作るために闘うな。
自由のために闘え。
『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」とある。
一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間なのだ。
君たちの中になんだ。
君たち、人々がもつ力が、
人生を自由に、美しくし、
人生を素晴らしい冒険にするのだ。
だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。
皆でひとつになろう。
新しい世界のために闘おう。
常識ある世界のために。
皆に雇用の機会を与えてくれ、
君たちが未来を与えてくれ、
老後に安定を与えてくれる世界のために。
そんな約束をして、獣たちも権力を伸ばしてきた。
しかし、奴らは嘘つきだ。
奴らは約束を果たさない。
これからも果たしはしない。
独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。
今こそ、闘おう。
約束を実現させるために。
闘おう。
世界を自由にするために。
国境のバリアを失くすため。
欲望をなくし、嫌悪と苦難を失くすために。
理性のある世界のために闘おう。
科学と進歩が全人類の幸福へ、導いてくれる世界のために。
兵士たちよ。
民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。
そして見渡す限りの軍人が歓喜で応えた。
この演説が気に入らなかったアメリカは、この映画を理由にチャップリンを国外追放にしてしまう。
この演説のどこに問題があるというのだろう。
この演説は今も私たちの叡智と理想そのものだ。