変化しない人生を生きるか、主体的に選ぶ人生を生きるかを分ける鍵の続きです。
Mさんのメールから、
ある時「わたしは世界のすべてを手に入れて、行きたいときにどこにでも行けてほしいものをほしい時に手に入れて、好かれたい人たちに好かれて、評価されたいだけ評価されたら幸せだろうか」って考えたことがあるんです。
答えは「きっとそうなっても、自分が幸せを感じられなければ、幸せじゃないんだ」という気づきでした。
はい。
実は「所有すること」と「幸せ」は違うんですよ。
例えば世界のすべての手に入れて「これは全部私のもの!」と宣言したとしますね。
そうするとすべてを自分でメンテナンスしなくちゃいけない。
お金で誰かをやとってさせればいいと考えるかもしれません。
すべてを把握して、あなたはあれをして、あなたはこれをして指示しなくちゃいけない。
あなたのモノだから。
すっごく面倒ですよ!(笑)
結局世界をみんなの手に返して、それぞれに自主的にやってもらって、自分が行きたいときにそこに行って、
ホテルに泊まらてもらったり、レストランで食事をさせてもらったり、街を歩かせてもらった方がはるかに楽しいのです。
それに驚きもある。
お互いに自由にして、お互いに分かち合えば、お互いに世界のすべてを手に入れているも同然なんですよ。
目に映る世界に、求めるものすべてが揃えられても、そういうことじゃないんですね。
自分で自分を許したり、愛したり、幸せでいていいよ!いよう!って選択しなければ、始まらないんですね。
その通りです。
何か条件があるから愛したり、幸せになるのでは、その愛や幸せは非常に「もろい」のです。
どんなことがあっても、許し、愛し、幸せでいいよ!幸せでいよう!と決めたから、現実をそう解釈するのです。
外に条件を持つ限り、愛も幸せももろい。
自分の中に条件があることに気づき、どんなことがあっても、許し、愛し、幸せでいいよ!幸せでいよう!と決めたから、ずっと喜びに満ちていられるのです。
愛や幸せというものは、「外に条件を求めた」段階で、それが極めて不安定になることが確定するのです。
ずっと、お金を自分の人生の主要な関心事においていたと思います。
そこに鍵があるんだ!って。
でも、そう考えているなんて、自分が俗物のように思えるから、
そんな自分を押し込めて、認識しないようにしていました。だから、口先では「お金があれば幸せってわけじゃないよね」って言いながら、
奥底ではものすごいお金がほしかったのに、
同時に、お金を求めるなんて何かが間違っているようで拒否したりして。
矛盾っていうかこんがらがってるっていうか。ひどいですね。笑。
お金というのは単なる道具なんですよ。
お箸と一緒です。
ご飯を食べるのに「お箸」に鍵があるんだ!
でも、そう考えているなんて、自分が俗物のように思えるから、
そんな自分を押し込めて、認識しないようにして
口先では「お箸があれば幸せってわけじゃないよね」って言いながら、
奥底ではものすごいお箸がほしかったのに、
同時に、お箸を求めるなんて何かが間違っているようで拒否したりして・・・
ごちゃごちゃ言ってないで、
さっさとお箸もってご飯食べなさい!
それだけなんですよ。(笑)
このお箸大丈夫かしら、もっといいお箸が手に入るかしら、お箸がなくなったらどうしよう・・・
お箸を自分の人生の主要な関心事おいて、いつもそんなことを思っていたら病気ですよね(笑)
そんなことを思っているからお箸と健全に付き合えないんですよ。
いつもお箸を意識している。
お箸が必要な時に意識を向けてちゃんと手に持って扱う、他の大半の時間は別にお箸のことを意識しない。
それがすべての道具との健全な付き合い方ですよ。
お金もものであり道具です。
素敵なお箸を手に入れていいんですよ。
好きなだけ手に入れてください。
上手に使ってください。
「目に見えない色んなつながり、命、愛、そういった豊かさとか、幸せにする存在に意識を向けることのほうが、嘆いているよりよっぽど有意義だし、幸せになれますよね。」
その通りです!
私は物質的な豊かさも大切にしますよ。
おいしいものも食べるし、旅も大好き。
おしゃれをして、キレイめのところに出かけるのも好き。
でも、「目に見えない色んなつながり、命、愛、そういった豊かさ」も大好き!
お箸のことで頭をいっぱいにして一生すごすなんてまっぴらごめんですよ。(笑)
榎本様を見習っていきます。
自分の今までを参考にしてしまうと、自分や身近な人ばかりを参考にするので、どうしても「楽しむ」ことより「お金がー仕事がー」に流れそうになってしまうんですけど、榎本様の生き方を考えれば「あ、わたしはこっちのほうがいい!」って方向を定められますから!
良い羅針盤を手に入れた気分です!笑。
それはお金へのあきらめじゃないんですよ。
拒絶でもありません。
卑屈な態度じゃありません。
ただ、お金を非常に便利な道具として当然の役割を健全に果たせるよう使いこなし、
必要のない時はそのことを考えてない。
すべての道具はそうですよね!
お金というのは人類が生み出した最良の道具のひとつなんです。
私はオーガニックマーケットよく行きますが、果物やパンを買う時、生産者の方にお金を差し出すだけで分けてもらえる。
まさにお金があるおかげで、私たちは自分が得意なことに集中して生きていけるのです。
パンを焼きたい人がパンを焼き、ぶどうを作りたい人がぶどうを作り、遠隔浄化をしたい人は遠隔浄化をする(笑)
それだけで生きていけるのです。
素晴らしい~♪
お金という交換手段がなければ、私たちは本当に多くのことを自分でてんてこ舞いでやって生きていかなければならない。
お金は私たちに、自分が好きなことと、やりたいこと、得意なことに集中するだけで生きていけるという素晴らしい生き方を可能にしたのです。
人類にとってはかけがえのない素晴らしい道具です。
お金は人類にとって最良の道具ですよ。
しかし、お金は私たちの幸せのためにあるただの道具ですよ。
その道具を「自分の人生の主要な関心事」にすることは本末転倒です。
私たちは「幸せ」が自分の人生の主要な関心事であるべきなんですよ。
当然ながら「幸せ」は道具ではありません。
「幸せ」はお金ではありません。
「幸せ」はその人の「生き様」であり、お金は単なる道具です。
お金を持たない未開民族が存在しますが彼らにももちろん「幸せ」は存在します。
「幸せ」とは「お金」は関係ないことです。
しかし、現代社会においては、「お金」と「幸せ」を結びつけてしまっている。
それは誤解なんですよ。
実は、その誤解によって多くの不幸が生み出されています。
「お金が自分の人生の主要な関心事」になっている人が本当に多い。
だから幸せになれないんですよ!
「お金」=「幸せ」ではありません。
「幸せ」とは「生きざま」です。
すべての道具が、それを所有していたからといってすぐに幸せに直結しないのと同様に、お金もそれを所有していたからといって、幸せには直結しません。
3千億円も持っているのに、相場で9千億が3千億になったからといって悲観して自殺する人がいます。
「幸せ」が自分の人生の主要な関心事である人にはあり得えないことです。
お箸が折れても自殺なんてしないですよね(笑)
まず自分にとって「幸せ」な「生きざま」とは何かということに焦点をあてます。
すべての道具は、自分の人生で適切に使用することで効果を発揮するように、お金もまた、その自分にとって「幸せな生きざま」に正しく配置することによって、私たちの幸せのための道具として正しく作用します。
私たちが、「幸せ」のために、お金を正しく作用させるのです。
私たちの意識の焦点を「幸せ」に保ちます。
だから幸せになれるのです。
思考が現実化するからです。
「お金」を自分の人生の主要な関心事にしてしまったら、幸せになれないんですよ!
「お金」=「幸せ」じゃないからです。
それを「お金」=「幸せ」と勘違いしていることに不幸の源があります。
「幸せ」が自分の人生の主要な関心事じゃないから!(笑)
お金をきちんと「幸せ」の道具として働かせるために
そして、お金をきちんと「幸せ」の道具として働かせるためには、
・「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」して人々に貢献して対価を得る生き方を創造することです。
そして、自分の得意でないものは、それが「得意で喜びを感じている」人から交換してもらばいいのです。
自分は「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」して人々に貢献し、その対価を例えばパンを焼くことが「得意で喜びを感じている」人に交換してもらうのです。
さあ、これで自分の「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」して、他の「得意で喜びを感じていることに集中している」人と、お金を介して必要なもの交換するという生き方ができあがりました。
この生き方がどんどん広がることで「幸せ」がどんどん広がります。
みんな自由に「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」して生きていくことが可能になるのです。
仕事は「自分の得意な、喜び」だけになります。
この生き方は現代社会の今この瞬間にも参加することが可能です。
実際にものすごく多くの人がすでにこの生き方をはじめています。
この生き方のポイントは、人生の主要な関心事が「幸せ」にあることです。
自分は「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」し、必要なものは他の「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」している人と交換することです。
必ずしも「安さ」が最優先ではないですが、大丈夫なんですよ。
「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」している人が最良の仕事をするからです。
もちろん機械化できるルーチンワークは上手に機械化することが「得意なこと、喜びを感じる」人の仕事の結果と交換すればいいのです。
そうすると面白くない単純作業はどんどん人がしなくてもよくなるからです。
さて、ポイントは 自分は「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」し、必要なものは他の「自分の得意なこと、喜びを感じることに集中」している人と交換することでした。
ということは、今の自分の生活の中で、そうできていない部分をそうなるように「選択し続け」ていけばいいのです。
「より幸せな今までと違う人生」を創造するためには、今までと違う「より自分の幸せに沿った尺度」で、日々「選択し続け」ていくだけです。
それが自分の人生を変えていく本質ですよ。
そのためには「より自分の幸せに沿った尺度」とは何か、
「自分の得意なこと、喜びを感じること」とは何か、と自分に問うことから始めなければなりません。
まず「お金に追いまくられないように」しないといけません。
「お金に追いまくられないように」しなければ、自分の人生の時間を「自分の得意なこと、喜びを感じること」は何か、考察する時間がないんですよ。
ですから最初に取り組むことは、入るお金より出るお金を少なくして、「お金に追いまくられないように」することです。
私はひとりで暮らし始めた最初の半年は部屋に明かりもなかったし、2年間くらいはパンの耳を食べていました(笑)
私は今でも主要な交通手段は自転車です(笑)
どの生活レベルにも入るお金より出るお金を少なくする方法はありますから、それを実行します。
世の中にはお金をかけなくても楽しいことが山のようにあります。
(私は思春期のころ多くの友達が遊ぶこと=お金を使うこと、という発想なのに驚いたことがあります。遊びに行く=ゲームセンターに行く、映画に行く、カラオケに行く、・・・どこに行く?という感じです。 私は自転車で遠出したり、山に探検にでかけたり、海にイカダで漕ぎ出したり、「タダ」でものすごく楽しいことが山のようにあるのに、どうしてわざわざ狭いところでお金を使って遊ぶのだろうと不思議でならなかったですね(笑) はっきり言って多くの人がお金がないと遊べないと洗脳されています(笑))
そして、何より「自分の人生を幸せなものにする」こと以上に楽しいことはないのです!
・入るお金より出るお金を少なくして、「お金に追いまくられないように」することはその第一歩です。
そうすると、余裕ができて、「お金を自分の人生の主要な関心事」から退かせ、自分の幸せ「自分の得意なこと、喜びを感じること」に関心を振り向けることができるようになります。
そうすると「より幸せな今までと違う人生」を創造するために、今までと違う「より自分の幸せに沿った尺度」で、日々「選択し続け」ていくことができるようになります。