「無条件の愛が良く分かりません。
友達で、統合失調症で外出ができない子がいて、熊本震災の寄付の為に、自分で作ったrosarioを知り合いのお店で販売し、全額寄付をしていました。
それは素晴らしいことだと思いましたがこういう事が、無条件の愛なのでしょうか?
私は、無条件の愛とは、相手をそのまま認める事かな?と思いますが、合っていますか?
定義が良く分かりません。」
無条件の愛とは、何か外に関することではありません、自分の内面に関することです。
胸の中に暖かな愛情を感じたことがありますね。
わかりやすく言うと、母が子供におっぱいを飲ませるような子供を愛しむ思いです。
無条件の愛とは、いついかなる時も、その胸の暖かさを揺るがせにしないということです。
時には、子供を厳しくしかるときがあるかもしれません。
しかし、それは決して自分が夫とうまくいかないから八つ当たりしているわけでも、他の心配事があっていらいらしたわけでもありません。
何か子供を自分の意向に従わせたい。コントロールしたいからそうしたのでもありません。
子供を本当に愛しむ、子供への愛から叱るのです。
子供に対する誠実さであり、正直さです。
無条件の愛とは、子供がある特定の振る舞いをした時にだけ愛を与えることではありません。
目をつぶっておっぱいを飲んでいる時も、無邪気に遊んでいるときも、素直な時も、お茶碗をひっくり返した時も、服を汚した時も、反抗的な時も、親の言うことなどまったく聞かない時も・・・
その根底には、胸の中に子供を育む暖かい思いを揺るがせにしないということです。
しばらく口をきかないことがあったとしても同じです。
子供が自立し、例えば盆と正月にしか顔を見せなくなったことしても、その思いに変わりがありません。
子供がどんな振る舞いをしようと、自分の人生で何を選ぼうと、私たちの胸の中の思いには何も変わりがないということです。
自分の価値観を押し付けないということです。
子供を思う愛から、誠実に「私は自分の経験からこう思うよ」というのはかまいません。
しかし「お母さん、それでもボクはこう思うよ」と彼が言うとき、「そう、わかったわ。」「あなたが自分の人生を真剣に考えてそう思うのなら、あなたの人生のすべてを自分で選んでいいのよ。」と言うことです。
「親の意向を反映する人」にするのではなく、「彼が彼自身の人生を愛し、彼が自由に自分で自分の人生を力強く選べるようにしてあげることです。」
100%のフリーハンドを彼に与えることです。
彼自身に彼の最大限の可能性を見せ、彼にそれを自分で選び取る勇気を与えてあげることです。
彼を彼女を、神性を宿す尊い存在として接することです。
それが無条件の愛です。
もし、あなたが誰かにそれができるとき、ふたりの絆は永遠になるのです。
それ以外に永遠の絆などないのです。