Mさまとおっしゃる大学4年生からメールをいただきました。
初めまして、榎本さん。
何がきっかけかは忘れてしまいましたが、数日前に榎本さんのブログをたまたま見かけてから、これが私の知りたかったことだ!とここ数日鬼のように色んな記事を拝見させて頂いております。
そうでしたか!
鬼のように読んでくださってありがとうございます(笑)
故郷の星
元々宇宙やスピリチュアルな事について興味があり、父から宇宙人とコンタクトを取った人の本などを借りて読んでは、自分も宇宙人と会って故郷の星に行けたらいいのにと思っていました。
私はこのことを自分以外の人に初めて言います。
親にも家族にも、どんな親しい友人にも「力の使い手」さんにもこのことは今まで話したことがありません。
私も一応まともな常識人、社会人として通っていますからね(笑)
だから相手が受け入れられないことは一切口にしないのです。
遠隔浄化とかも「普通の人」にはほとんど言わないですよ(笑)
で、これも同じ理由で今まで誰にも話したことがないのですが、そういうことをお感じになっているあなたがメールをくださったので、私も初めて話すことにします。
言っときますが、私も人間の両親から生まれた地球人であり、日本人ですよ!
しかし、自分がどこの星から来たかほぼ特定しています。
遠隔浄化ができたり、魂の傾向などからです。
あなたの言う故郷の星ですね。
古代から地球には多くの文明がやってきていることは明らかなのですが、世の中にはUFOや宇宙人の存在すら頭から否定する人もたくさんいます。教科書に載っていませんからね(笑)
まぁそれがこの世のスタンダードと言ってもいいです。
だから私もそういう世の中にあわせて日常生活を送っています。
しかし、あなたもそういうことを感じておられ、ご自分からこういう話題を振ってくださったので、そういう方に対しては私も自分の感覚を隠す必要性を感じないので、今まで誰にも話したことがないのですが、自分が感じていることを率直にお伝えしました。
私は地球上の問題の多くがこのことに起源をもつと見ていますが、あまりこういうことを書くと頭がおかしいと思われますので、このくらいにしておきましょう(笑)
無限の可能性を認める
そして今、大学四年生なのですが、就職活動をしています。
売り手市場と言われるなか内定が決まらず、 自分がしたい事もわからないまま、 働かなければ生きていけないから就活はするが本当は働きたくない んだよなと思いながら、 ただ早く就活が終わればいいと思いながら過ごし、 夏が来てしまい、 勝手に自分より下だとジャッジしていた人がどんどん内定が決まり 、何故あの子は決まって私はいつまでも終わらないんだ! と思っていました。今ならば、 何故こういう状況になっているのかよく分かります。
まずですね。
誰であれ「自分より下だとジャッジ」しない方がいいです。
そのジャッジはあなたの基準です。
そして人には誰でも無限の可能性があります。ある人を「下だとジャッジ」することは当然ながらその人の中に「あなたの基準」を越える可能性が存在することを認めていないんですよ。
そして、人に認めないことは自分にも認めないのです。
それは自分の無限の可能性を否定することなんですよ。
自分の喜びを優先する
そもそもは、
自分の喜びを優先することは親の期待を裏切ることでいけない事だ 、 自分の欲望のままに行動すれば何か大切な事を失うという考えがし っかり固定観念としてあるからだと思います。 卒論の先生を選択する際も、 一番教わりたい先生がいたのに自分の心を無視して違う先生を選ん だ結果、授業はつまらないし、 途中で先生の都合で担当教員が変わったら更に嫌な先生になりまし た。
ご自分で「親の基準」に従って生きることにもううんざりしているし、それではうまくいかないことも経験的に理解しました。
そして「親の基準」に自分をあわせることはないし、「自分の基準」で人をジャッジすることもないのです。それは同じことですよ。
お互いに誰もが「自分の喜び」を優先すればいいのです。
誰かを犠牲にすることなく「自分の喜び」を追及しているのであれば、その純粋な行為に対して気分を害する方が悪いのです。
あしからず、
私はあなたの基準に自分をはめ込むつもりはありません。
私は「自分の喜び」に従って生きます。
と言えばいいのです。
そして、誰にも迷惑をかけずにやっているのなら、今の日本でそれを妨げることが出来る人は誰もいません。
最終的には親もいつか「あなたが幸せならそれでいい」と折れることでしょう。
もし、「あなたがあなたなりの方法で幸せになること」が気に入らない人がいるなら、その人の基準に自分をあわせているかぎり、あなたは幸せにはなれないのですよ。
ですからそういう人の言うことを気にしないことです。人を犠牲にしないのであれば、「あなたがあなたなりの方法で幸せになること」は素晴らしいことであり、悪いことは何もありません。
それを気に入らない相手が狭量なだけです。
ただまぁこの地球において「相手の基準」にあわせたフリをしておくことは生きやすさにつながります。
あなたはあなたの基準生きていいんですよ。
しかし親の基準にあわせているフリをするし、会社の基準にあわせているフリをします。
今の社会の常識にあわせているフリをするんですね。
そうしておくと生きやすいんですよ。
しかし、自分の内面において、本当に自分の基準に妥協することはないし、妥協すべきでもありません。
自分の魂を自分で裏切ることほどの苦痛はありませんからね。
しかし、これと社会にあわせているフリをするというのは別のことです。
それは日本では左車線を走るし、アメリカでは右車線を走るようなものです。
郷に入っては郷に従えです。
いちいち逆走していたら非常に疲れるし命がいくつあっても足りませんからね(笑)
そういうところは争うところじゃないんですよ。
妥協してはいけないのは自分の内面においてです。
そして、それを人に理解してもらいたいと思わないことです。
アメリカで車を運転しながら「ご通行中のみなさん!私は左側通行の日本から来たんですよ!わかってくださいよ!」とかいちいち言いませんよね。(笑)
周囲に自分の内面をわかってもらおうなどと初めから思わないことです。
そうすると何のストレスもないんですよ(笑)
まぁ何かのついでに相手が興味をもてば話せばいいのです。
実は私は日本から来たのです。日本では左側通行なので、最初はおっかなびっくりでした!とおもしろおかしく言えばいいのです。
相手がそのことに興味がないのに「自分をわかって欲しい」などと思わないことですね。
そんなことは自分だけわかってればいいことです(笑)
働きたくない。働くのは辛いこと?
話が戻りますが、根底に、「就活はしたくない。
働きたくない。働くのは辛いこと。 でもそうしなければ生きていけない。」という思いがある為に、 上手くいかないのだと思います。
その通りですね。
学生時代アルバイトはしましたか?
働くのは辛いことというのは間違っています。
学生時代は時間が自由に使えます。
下宿でだらだらテレビ見たりゲームしたりしていると、最初は「自由でいい」と思うかもしれませんが、だんだん辛くなってきます。
無意味でかったるい、だらだらした時間を過ごすと、人生が無意味に感じられます。
そして無意味な人生ほど耐えがたいものはないのです。
アルバイトに行って、活気ある職場で仲間とくたくたになるまで働いて、「おつかれさま!」と飲みにいったりするメリハリある生活は幸せですよ。
何も人に貢献できない、ただ無意味な人生をすごす方がよほど苦痛です。
仕事は楽しいものです!
そんな楽しい生き生きとした時間が過ごせて「おまけにお金がもらえる」のですから、こんないいことはありません。(笑)
バランスが大切
自分の喜びを追求する事が幸せに繋がる、他人を基準にせずに、
自分を基準にすべきだという事はよく分かりました。ですが、今、 もし生活やお金、 周囲の声を全く気にせずしたい事をして良いと言われたら、 私は今すぐに就活を辞めて、 スピリチュアルな探求をする為に読みたかった本を読み、 行ってみたかった講座を申し込んで、休みたい時にベッドで休み、 起きたい時間に起きてという生活をするでしょう。
それは大学時代にすべきなんですよ。
私も結構そういう生活をしていました。
電話番みたいなアルバイトもしました。
めったに電話がかかってこないので、バイト中好きなだけ本を読んでいいんですよ。電話さえしっかり対応してもらえばそうしていいと了承をもらっていました。そういう条件の仕事もあるのです。
読みたい本を好きなだけ読みながらお金をもらう方法もあるのです。
真理の探究大いに結構ですよ。
私も大好きです。
しかし、仕事をしたからといって真理の探究をあきらめなくちゃいけないわけではありません。
要はバランスなんですよ。
あなたは私のブログを鬼のように読んでいると書いてくださった。
もし私の記事であなたに役立つものがあるとするならば、それは私が何か現実に即したことを書いているからです。私は現実の社会も知っているし現実の人間も知っています。
私がどこかの山奥の洞窟で修業して、ぜんぜん社会の現実を知らないなら、あるいは本ばかり読んで、学者先生の話のように理屈ばかり書いていたら、おそらくあなたは鬼のようにこのブログの記事を読んで下さることはなかったでしょう。
現実の社会、現実の人を知ることは意味があります。
だってそのために地球の転生を選んだわけですから!
まぁでも私もあなたの感覚はわかりますよ。
同じような感覚を味わいました。
私は就職の時、一時は僧侶にでもなろうかと色々調べたこともあります(笑)
でも葬式仏教や、しきたり、儀式というのはまったく無意味に思えて、これは私の道じゃないなと感じましたね。
で、私も学生時代一番喜びを感じたアルバイト、塾の講師や家庭教師、これは私のハマり役だったのです。結局、教える道に進むことになりました。
「人にどう思われるか」じゃない「自分がやりたいかどうか」
ですが、
それをすれば大学卒業後の生活の保障はなくなり、 家族との信頼もなくなり、 友人や親戚には哀れみの目で見られるに違いありません。 それを耐えて、己の喜びを追求出来る気がしないのです。 どうすれば良いのでしょうか。
まず、あなたはまだ家族、友人、親戚の目を気にしていますね。
もし私が例えば、僧侶の道が自分の道であると確信したら、人にどう思われようとやっていたと思いますよ。
「人にどう思われるか」じゃないんですよ。
「自分がやりたいかどうか」なのです。
ただ私は生活をないがしろにすることがいいことだとは思いません。
日々の糧を得ることは純粋な喜びです。
自分の力で世の中に貢献し、自分の二本の足で立って生活できること、自立した人間であることはそれだけで大きな喜びです。
それは「自分の喜び」を追及することのひとつですよ。
仕事も人に貢献することも、「自分の喜び」を追及することのひとつです。
それがまったくなかったら、つらいですよ。
あなたは「自分の喜び」のために日々の糧を得るべきだし、
あなたは「自分の喜び」のために、自分の2本の足で人生を歩むべきです。
あなたは「自分の喜び」のために、人に貢献する喜びを味わうべきですよ。
そして、そのためには仕事がとてもいい機会になるのです。
やりたい仕事は自分で作る
例えしたい仕事でなくても何かしら進路を決めて、
仕事をする中で自分のしたい事も少しずつ叶えていくのが良いので しょうか。
まず、「したくない仕事」じゃなくて、できるだけしたい仕事、喜びを感じる仕事をするべきです。
もしそれが直接なくても、何か惹かれるものがある分野、なんとなく好きだなぁという分野を仕事にすべきです。
それも内なる「自分の喜び」です。
実はその内面の「喜び」の感覚があなたを正しい道に導くのですよ。
今の小学生の65%は「今は存在しない仕事」に就くと言われています。
あなたの仕事は今後も残る35%ではないかもしれない。
そういう人の方が多いのです。
その65%の人が就くことになる「今は存在しない仕事」、
それは誰が作るんですか?
あなたが作るんですよ!
ほかに誰が作るんですか?
今の仕事に就いているひとが作るんじゃないんですよ。
今ある仕事は35%の方です。
今は存在しない仕事。
それはあなたが作るのです。
今の大人じゃないんですよ。
彼らのアドバイスは35%の仕事のためのものです。
だって彼らはそれしか知らないのですから。
今の仕事に魅力を感じないあなたは当然65%の方の仕事をやり始める人です。
そして、それをする時必要なのは「自分の喜び」の感覚なんですよ。
それがあなたを導きます。
他に基準はないのです。
だってそれはまだ世の中に存在していないのですから!
「例えしたい仕事でなくても何かしら進路を決めて」じゃなくて、
できるだけしたい仕事、何か魅力を感じることをすべきです。
自分の喜びは我慢して、したくないことでもしようという発想じゃなくて、
できるだけ「自分の喜び」を広げることを目指すべきです。
「仕事をする中で自分のしたい事も少しずつ叶えていくのが良いので
それはとてもいい発想です。
まずできるだけ自分のしたい分野の仕事につき、その中で自分のしたいことを叶えていきます。
その仕事の中で自分のしたいことを叶えるためにはどうしたらいいのか。
その仕事で実績をあげることです。
実績をあげると、権限が委譲されます。(収入も増えます)
そして、権限が委譲されると、より自分のしたいことができる裁量が増えるのです。
より自由度が増すってことです。
そして、それで仕事がもっとやりがいある楽しいものになり、もっと実績をあげます。
そうするともっと権限が委譲されます。
もう若い奴に任せた方が会社やうまくいくと思われるかもしれません。
その会社でやれるところまでやります。
もし、これ以上は自分の思うことができないという天井を感じるところまでやってきたら、
今まで培った実績、信用、実力、人脈を使って、転職するなり、自立するなりしたらいいのです。
そうやって今ある仕事の中から、今はない65%の仕事を創造していくんですよ。
それがあなたのなすべきことです。
良かれ悪しかれ、私たちは今の地球に転生してきました。
これが今の私たちの地球の現実なんですよ。
それを真正面から受け止めなくちゃいけない。
そして、それをよりよいものに変えていくのが、あなたの仕事です。
ですから現実から逃げてちゃダメなんですよ。
現実に巻き込まれて、疲れ果ててもダメです。
ちょっと離れたところから現実を眺めてください。
そして現実を楽しむんですよ!
今の現実をよりよいものに変えていくことを楽しむのです。
それが、永遠の宇宙の進化の原動力なのです。
私たちが、どの星のいつの時代に生まれようと、その現実に向き合い、
それをよりよいものに変えていくということしかないのです。
どの星でも、どの時代でも私たちのなすべきことはそれしかないのです。
そのためには現実に飲み込まれて疲れ果てちゃダメだ。
現実から乖離した、逃避的人生を生きてもダメだ。
現実に生き、現実に巻き込まれず、現実をよりよいものに変えていくんです。
そのプロセスを順調に回すとき、私達は自分の人生をとても生き生きとした、
情熱と喜びあふれる、充実したものに感じます。
それ以外の生き方は何か虚しいのですよ。
そうなっているのです。
そうしないと宇宙が進化しないからですよ!
神がそう仕組んでいるのです(笑)
それがイエスのいう、『人はパンのみに生くるにあらず』という言葉の意味です。後半の『神の口から出る一つ一つの言葉による』(マタイ福音書4章)というのは、あなたの魂の声なんですよ。ハートの喜びです。神はあなたの魂(ハートの喜び)を通じてあなたに話しかけるのです。
バランスです。
これが老子のいうところの中庸です。
私も現実の社会で「まともな社会人」として生きてきました。
しかし、スピリチュアルというか真理の探究も楽しんで来ました。
そちらの方向はもう、何というか現実がどうであれ、やらざるを得ない感覚があるのです。
内なる欲求ですね。
しかし、びっくりしたことに!
このブログや遠隔浄化が今や私の主要なテーマになりつつあります。
私は今までに存在しなかった65%の方の仕事をいつの間にか創造してしまっていたのですよ。
最初はまったくそんなことは考えてもみませんでしたが、好きなことをやっているうちに自然に人生がこういう方向に導かれてしまったのです。
だから「自分の喜び」に従うことが大切なのです。
それだけに人生をドライブさせたらいいのです。
うんうんと大きくうなずきながら読ませていただきました。
本当に自分がしたいことはなにか、それを追い求めるのが人生なのだと思いました。
納得するのは自分。すべて、自分。
ちなみに最近は私も自分がどこの星から来たのかずーっと考えています。
榎本先生はどうやって特定されてるのでしょう?(^^)