あなたが決して逃れることができない、この宇宙に存在する唯一の運命とは何か?

ご質問をいただきました。

ここ数日、心が、疲れてました。
榎本さまのブログを、読み直して、落着きました。ありがとうございます!

色々考えています。
・・・
私が、浄化を、できるようになれば良いのかと、浮かんだのですが、どうでしょうか。
私には、その資格が、あるのでしょうか。
人に、言えない暗い部分があります。
そして、今の状態から、逃げたくて、そんな考えなのか、色々考えてしまいます。(2016年12月28日 7:28)

「力の使い手」の学びは、永遠の魂の視点において悪いものは何もない、すべてはよりよい進化のための経験と理解することです。

私やほかの誰かに「人に、言えない暗い部分」を言う必要はないですが、ご自分の中では消化する必要があります。

つまりもう自分で自分を責める必要はないということです。

幾多の転生の中で誰もが、ありとあらゆることを経験しているのです。

殺し殺され、盗み盗まれ・・・ありとあらゆることです。

全員がそれを通過してきています。

あなたもまたそれを通過しました。

ごく普通のことです。

当然のことです。

消化するとは自分の中で「いい経験だった」と思えることです。

人間は自分の中にありとあらゆる側面を持っています。

それは神が神の中にありとあらゆる面をもっているからです。

すべては無から宇宙を生じた神の一部なのです。

あなたのその人に言えない暗い部分もまた神の一部です。

宇宙のすべてを創造された神の壮大なドラマの一部なのです。

すべての人がそのようなマイナスに見える創造を行っています。

ありとあらゆる可能性を持つのが人間であり神なのです。

人は誰でも人に言えない暗い部分を経験しています。

それが人間であり、神です。

なぜそういうことをしたのか。

私たちは闇を経験しなければ光が理解できないからですよ。

光だけの世界に住んでいて、「さあこれが光に満ち溢れてるってことだよ!見てごらん!」と言われても、「光って一体どこにあるの?」とわからないのです。

神は光が理解できるように、闇の創造も可能にされたのです。

それ以外に光を理解する方法がなかったからです。

ですから闇の創造の可能性を作られたのもまた神なのです。

そして私たちは、あらゆる可能性の中からいわゆる闇も創造してきました。

誰もがです。

それはちょうど赤ちゃんが、熱いもの、刃物でも何でも触ってみようとするのと同じです。

それを一度触ってみないと、これは熱いものだ、これは痛いものだということが理解できないのです。

私たちは経験を通じて理解するからです。

あなたの「人に、言えない暗い部分」もこれと同じです。

一度あなたはそれを経験したかったのですよ。

みんな経験しています。

今生でなければ過去世で。

神があらゆる可能性を創造されたからです。

闇はどのように創造されるのでしょうか。

本来の自分、すなわち神と同じ魂をもち、自分が無限の可能性をもつ存在であることを忘れた状態がそれらを創造させるのです。

自分を肉体と同一化し、この有限でか弱い自分を守らなければならないというエゴの発想からです。

不安や怒りや恐怖から、発想し、言葉を発し、行動してしまったのです。

それがあらゆる不幸を創造しています。

しかしそれは神が創造されたことなのです。

それは光を理解するためには誰もが避けて通れない道なのです。

赤ちゃんは火や刃物を触ろうとしました。実際何度も痛い思いをしました。

なぜ私たちは今そうしないのでしょうか。

それは熱かった!それは痛かった!と知っているからです。

それは避けたい経験であると知ったからです。

なぜそれを避けたいと考えるようになったのでしょうか。

それを経験したからですよ。

それ以外にはあり得ないのです。

あなたは今生「人に、言えない暗い部分」を経験されました。

みな今生で過去世で経験しています。

人を傷つけ、傷つけられ、人を支配し、支配され、

人をバカにし、バカにされ、人に残虐なことをし、残虐なことをされ・・・

ありとあらゆる経験を積み重ねてきました。

よりよい人生とは何でしょうか。

もう火や刃物を触らないことです。

なぜ触らないのか。

もうそんな経験はたくさんだからですよ!

もうこりごりなんです。

もう嫌なんですよ。

だからそれを「選ばない」のです。

私たちはそれを「選べない」のじゃないんですよ。

選べるんです。選んできたのです。

でも「選ばない」のです。

もしあなたが初めから、愛や思いやりや、人に貢献したいという思い、

崇高さや神聖さしか「選べない」としたら。

あなたの愛や思いやり、崇高さ神聖さに一体どんな意味があるでしょう。

あなたはただのロボットです。

ただ不可避のレールをそれが何かも気づかずに、空ろな瞳でただ通ってゆくだけのロボットですよ。それはあなたの選択ではありません。それしか選べないものに意味を感じることはできないのです。

そんな愛や思いやりにいったいどんな価値があるというのでしょう。

まったく価値がないのです。

愛や思いやりはあなたの選択である必要があるのです。

あなたのハートからくるあなた自身の選択である必要があるのです。

あなたは自分自身と誰かを

傷つけ、支配し、支配され、バカにし、バカにされ、残虐なことをすることができるのです。

今すぐあなたは隣の家族に罵詈雑言をまくし立てることができるのです。

殴りつけることできるのです。

激高し、刃物を取り出すことができるのです。

その刃物で切りつけることができるのです。

あなたにはありとあらゆることが可能です。

しかし、それをあえて選ばないことが崇高なことなんですよ。

偉大なことなのです。

それはそこに選択肢があるから偉大なのですよ。

もし他の可能性がないなら、あなたの愛や思いやりに価値はないのです。

あなたの挫折、その閉塞感、やりきれなさ、憤り、

それを経験せず、初めからあなた完全な自由があったら、

あなたの自由にいったい何の意味があるでしょう。

その自由の意味を感じとることができないのです。

あらゆることは一度それを失うことで初めてその意味が理解できるのです。

それが偉大な神が創造された相対性の宇宙です。

それしか光を経験する方法がないからです。

無からこの宇宙を創造された神は、この宇宙のあらゆるものを「神を原料」にして創造するしかなかったのです。

それ以外の原料は一切ないからです。

神は神自身に似せて魂をもつ人間を創造し、その人間に本来自分は神に由来しているということを忘れさせ自由に創造させるという偉大な宇宙を創造されたのです。

それ以外に神の偉大さ神聖さ崇高さを体験的に知る方法はないからです。

初めからそれしか選べない偉大さ神聖さ崇高さは意味がないのです。

初めからそれしかないのものは認識することができないのですよ。

光しかない世界では光がどんなものか理解できないのです。

神の偉大さ神聖さ崇高さを体験的に理解するためには、

自分が本来神に由来することを忘れさせた人間に、自由に創造させて経験させ、

コントラストを創造することによって初めて可能になるのです。

その本来神に由来するこを忘れた人間に自由に創造させることによって、

初めて、本来の神に由来する自分を自分自身で「選択できる」世界を創造されたのです。

すべての人があらゆる選択肢の中から、自分が本来由来するもの、

神に由来する偉大さ神聖さ崇高さを創造することができます。

最終的にすべての人がそれを選ぶようになります。

人間の本質である永遠の魂の旅路において、あらゆる経験をし尽くしても、

それを自らの人生で表現しなければ、虚しさだけが残るからです。

私の人生はこんなはずじゃなかったという思いだけが残るのです。

それがあらゆる人が転生を繰り返す理由です。

しかし永遠の魂の旅路において最終的にはすべての人が、

自らの中に本来ある神に由来する偉大さ神聖さ崇高さを創造するようになるのです。

これがすべてが神によって創造された宇宙の、神以外の原料は一切存在しないこの宇宙の、不可避の運命です。

あなたの運命はひとつしかありません。

すべての人の運命はひとつしかありません。

最終的には、自らの中に本来ある神に由来する偉大さ神聖さ崇高さを創造するようになるのです。

それしかありません。

あなたは「力の使い手」に関心をもたれました。

以上の宇宙が「力の使い手」の理解です。

自分自身の中に、あらゆる人の中に、自らの中に本来ある神に由来する偉大さ神聖さ崇高さを見ることです。そしてそれを自分の人生に創造し経験することです。

どんな方法でもいいのです。

あらゆる方法がいいのです。

多様な方法がいいのです。

自分なりの方法がいいのです。

ある人は音楽でそれをしたいと思うし、

ある人は本を書くことでそれをしたいと思います。

ある人はお茶を飲むことを神聖なものにする人もいます。

・・・・

だから神の創造された世界は素晴らしいのですよ!

あなたは、見えない力で人に貢献したいと思われました。

「力の使い手」の学びもまた、自らの内にある愛、思いやり、人々に貢献したいという思い、何か自分の人生を自分なりに素晴らしい経験にしていくというプロセスなのです。

あなたは有限でか弱い肉体と同一化したエゴを守るための人生から、自分が本来神に由来していることを忘れた人生から、一歩踏み出そうとしているのです。

自分の新しい可能性を自分の人生にもたらそうとしているのです。

誰もが胸に衝動を感じ続けているのです。

「何かが間違っている。」

「これは本来の私じゃない!」

その魂の衝動こそ、本来人間にあるものであり、人間が決して逃れることができないものです。人間にできることはただ一時的にそれを忘れたフリをすることだけです。

神の息吹を自分の人生にもたらそうとする衝動はいつも自分に付きまとって決して完全には忘れ去ることはできないものです。

それを発している魂こそ、本来のあなただからです。

本来の自分からは逃げようがないのです!(笑)

いつか誰もがあらゆる方法でその魂の衝動を自分の人生に表現しようとします。

胸を打つあらゆる芸術、崇高な人間の行為はすべて魂の表現です。

そのような衝動を誰もがもっているのです。

ただ、その衝動に抗しきれなくなった人がいるのと、忘れ、気がつかないフリをしている人がいるだけです。

しかし、その魂からの衝動、思いこそ、永遠の存在である本来のあなたなのです。

その魂からの衝動を素直に自分の人生にもたらし、自ら経験にすること、

自分の本来の姿である、あらゆる無限の可能性をもつ自分、魂の神聖な経験を自らの人生にもたらし続けること、

「力の使い手」の学びとは、すっかり肉体と自己同一化している私たちの小さなエゴから、自らの中に本来ある神に由来する偉大さ神聖さ崇高さを創造するプロセスです。

自分の人生にいかにそれらをもたらすかというひとつの方法なのです。

それは無条件の愛、思いやり、優しさ、人に貢献したいという思い、それをいかに自分の人生に現実のものとして経験するかというプロセスです。

力の使い手の学びは、あなたがご自分のハートからそれを望まれるのならいつでも始めることができます。

もしあなたが自分のハートからそう感じるのなら、これはあなたの道です。

> そして、今の状態から、逃げたくて、そんな考えなのか、色々考えてしまいます。

その現状とは有限なエゴから、すなわち不安や怒りや恐怖から発想し、言葉を発し、行動して創造した現実でしょう。

そんなものから逃げ出したいのはあたりまえですよ(笑)

みな今の現状とは違う新しい現実を創造したいのです。

それこそが魂の進化の衝動です。

それが永遠の魂のプロセスなんですよ。

ある経験をして、もうこのような経験を選びたくない。

違う現実を創造したい。

そして最終的には誰もが、自らの中に本来ある神に由来する偉大さ神聖さ崇高さを創造するようになるのです。

この宇宙には神以外の原料は何もないからです。

それはあなたの運命であり、私の運命であり、すべての人の運命です。

あなたもまた神に由来する偉大さ神聖さ崇高さを創造するプロセスなのです。

それは絶対に逃れることができない運命だからあきらめてください。(笑)

この宇宙に唯一の逃れられない運命というのはこれしかないのです。

力の使い手の学びは、滅び去り朽ちゆく肉体やエゴから発想するのではなく、ずっと自分の内にあった永遠の魂の性質、愛、思いやり、人に貢献したいという思い、崇高で神聖さを感じるもの、それらをいかに自分の人に実際の経験としてもたらすかというプロセスなのです。

ああ、私はこのような方法で、自らの中に本来ある神に由来する偉大さ神聖さ崇高さを創造したいと思われるなら、これはあなたの道です。

私たちは多くのものをあなたの分かちあうことができるでしょう。

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