辛い出来事をどう乗り越えるか
「乗り越えた」状態とは
「乗り越えた」とはどういう状態でしょうか?
もうその出来事に影響されなくなったということです。
その出来事のことを考えても冷静でいられるということです。
別に他のことをやりたければ、その出来事のことをずっと忘れていられるということです。
その他のたくさんの思い出と同じように、その出来事を冷静に振り返れるということです。
いきなりそうなることは難しくても、それを思い出しても今までのように「心乱れることはなくなった」ということですね。
それが「乗り越えた」状態です。
無意識のことは変えられない
そこで大事な視点は「無意識のことは変えられない」ということです。
人はあまりにつらいと感じることがあると、その出来事を自分の心の奥底に閉じ込めてしまい「気づかないふり」をすることがあります。
非常にショッキングなことがあると、記憶喪失になってその間の出来事が思い出せない人もいますね。
例えば、子どものころ溺れそうになって、ものすごく怖い思いをした。
それがあまりに怖い、思い出すのも嫌な経験だった。
その後、その人はプールに行っても、海辺に行っても落ち着かない、水を楽しめない、水が怖い。
それは「乗り越えた」とは言えないですね。
水がトラウマになっている。
ただフタをしただけです。
そういうことが本当にたくさんあります。
無意識の影響
通常、人はこういう「無意識の影響」をたくさんもっています。
私たちは多くのことを「無意識」にやっています。
そのことが私たち自身を制限しています。
「気づいていない」わけです。
「気づいていない」ことは変えられません。
「思考は現実化」します。
しかしそのためには、そのことについて「思考」する必要があります。
「無意識」のことは思考できないんですよ。
「無意識」のことは思考できない
これは大事な点です!
「無意識」のことは思考できないんですよ。
「無意識」のことは思考できない。
「無意識」のことは思考できないんです。
これは大事な点ですので、繰り返しておきます。
「無意識」のことは思考できない。
これが人生が変化しない理由です
これが私たちの人生が変化しない理由です。
例えば、「自分が好きではない」とか、「自信がない」とか、そういう思考はすべて後天的に「仕入れたもの」です。
長年受けた学校教育の中で、常に偏差値などで輪切りされ、「自分はダメ」という観念を繰り返し刷り込まれる人も多いですね。
そうするとその人の根底には「自分はダメ」「自信がないとか」「自分が好きではない」という思考が無意識に抑圧されているわけです。
無意識になっていますが、ことごとくそういう「思考」から発想しています。
なぜなら、それはずっとその人の思考の根底のトーンとしてあるからです。
そうするとすべて人生は「自分はダメ」「自信がないとか」「自分が好きではない」という思考を反映して見せてくれることになります。
自分はそういうことを「思考した覚えはない」というかもしれませんが、それは無意識になってしまって自分で気づいていないだけです。
自分で思考していないことは自分の人生に起こらないのです。
もし何か外部の理不尽な影響を受けるとしたら、「自分は外部の理不尽な影響を受ける弱い存在」と自分のことを思っているだけです。
人生を変化させたければ、自分が変化させたい物事の元になっている思考をまず意識化する必要がある。
人生を変化させたければ、自分が変化させたい事柄の元になっている思考を意識化する必要があります。
例えば、「水が怖い」、泳ぐのが嫌い、川や海のそばに行くと落ち着かない。
またはある出来事を繰り返し思い出して心が乱れる。
そういう時、誰かに聞いてもらうのは有効な方法です。
これが「>乗り越えるには、話すことによって、話せない人は書くことによって」ということですね。
もうそのことを思い出さないために、思い出す
大事な点はもう思い出さなくてもいい、話さなくてもよくなるために思いだし、話すということです。
自分ではなかなか向き合えなかったことについて
「実は私子供のころに溺れかかったことがあってね・・・」
そう話し始めることで無意識を意識化できます。
そうすると自分が水のそばに行くと落ち着けなくなる、水が嫌いで海や川が楽しめないのは、子供のころ溺れかかったことが原因だったと気づく。
「とにかく水が怖かったけど、今はもう当時とは違って体も大きくなった。」
「変に恐れることもないよね。」
「今度気候がよくなったら川に行って足でもつけてみない?」
「そうね。」
こういう会話をするためです。
そうして、実際に川や海に行って足をつけてみる。
そうすると案外気持ちがいい。(笑)
何も怖くなかった(笑)
「こんな楽しいことを怖れていたなんてなんだかバカバカしいわね。」
そんなことを何回か繰り返しているうちに、海や川に行っても体がこわばったり、落ち着かないということはまったくなくなる。
むしろ海や川で水に触れることを楽しむようになった。
それがトラウマ後の成長というものです。
以前より逞しくなった。
その時に誰かが聞いてくれたら、やりやすいことがあります。
何しろ自分ひとりでは子供の頃の溺れたトラウマを今まで引きずってきたわけですから。
しかし、聞いてあげる人も「もうそのことを思い出さないために、思い出す」ということを意識してあげないといけない。
そうしないと「以前の不幸を語る」ことが自分の存在意義になってしまうことがあります。
「私はこんなにかわいそうなのだから、あなたは私の話を聞き、私に関心をもち、同情し続けなければならない」という状態ですね。
多くの人が「病気」でこれをやります。
私はいかにひどい病気でかわいそうか、「病気の自慢大会」をはじめるのですね。
すべての不幸は「乗り越えるためにある」のであって、「それによって人の関心を引き付けるためにあるのではない」ということです。
「病気や不幸が人の関心を引く手段になると、多くの人がそこから抜け出せなくなります。」
「お母さ~ん、お腹痛いよ~」と言えば、普段忙しくてかまってくれないお母さんが優しくしてくれるなら、どうして腹痛を手放すことができるでしょう。
病気と不幸こそ、愛と関心を獲得する手段になってしまっています。
そうなってはいけません。
それは大事な点です。
病気の場合は、自分の経験を話してたら、思考が現実化するのでぶりかえすのでしょうか?
>病気の場合は、自分の経験を話してたら、思考が現実化するのでぶりかえすのでしょうか?
まずですね。
自分の周りをよく観察してください。
病気の話をしている人が実際にどうであるかということをです。
病気の話をしている人は、病気ですよね!(笑)
よく観察してください。
自分の周りでいつも病気の話をしている人は、実際に病院に行き、薬を飲んでいますよね!(笑)
それが事実です。
それが現実というものです。
病気の話をする人、病気について思考する人は、非常に病気になりやすいんです。
医者というのは病気の人が多いんですよ。
医者というのは世界的に最も短命な職業のひとつであることが統計的に知られています。
常に病気のことを思考せざるをえないから、自分も病気になってしまうんですね。
私の周囲を見ても、いつも病気の話をしているのに、まったくの健康体でもうなん年も病院に行かず、薬も飲んでいないという人を知りません。
まったくの健康体で何年も病院に行かず、薬も飲まない人ならたくさん知っていますよ。
私もそのひとりです。
しかしそういう人は「ほとんど病気の話はしない」のです。
そんなことに関心がないんですよ!(笑)
世の中には、多くの素晴らしいことがあるのに、なぜよりによって、わざわざ病気の話をしないといけないんです?
世の中は病気思考にあふれている
世の中には病気思考があふれています。
思考は現実化しますからね。
日本は年間税収50兆円のうち、40兆円を医療費につかっていますが、それは世の中に病気思考があふれているからですよ。
例えばテレビ!
ものすっごく病気思考にあふれています。
普段からテレビを見ている人は「無意識」になっているかもしれませんね。
私はテレビを見ないんですよ。
学生時代に友達にテレビをやってからずっと今までテレビなしの生活です。
まったく何も困らないです(笑)
さて、私には行きつけの温泉があるのですが、そこにサウナがあります。
サウナにはテレビがあります。
ですから私もサウナに入っている時は、どうしてもテレビが見えちゃう。
そうするとですね。
まぁ~テレビと言うのは病気の話ばかりしていますよ!
芸能人の病気の話とか、手術の話とか、
コマーシャルは、「効いたよね早めの〇〇〇〇」とかですね(笑)
がん保険のCM・・・
まぁ病気の話でもちきりです。
はっきり言ってすごいです!
気づいてないでしょ!
もう見ているだけで病気になりそうですよ!(笑)
実際そうです。
だから私はあまり真剣に見ない。
ああ、世の中こんなことばかり放送しているんだなと傍観している(笑)
そしてサウナに入っているおっちゃんたちもまぁ病気の話が多いんですよ、これが!(笑)
「誰々が入院した、俺は今度〇〇病院に行く、俺はここが痛くてなぁ・・・」
病気以外に話すネタはないんかいっ!てくらいまぁ見事に病気の話ばかりです。
それが日本の税収50兆円のうち40兆円を医療費につかって、私たちが重い税金や社会保障料に苦しみ、消費税が引き上げられる理由です。
その原因は、私たちが普段から「病気の話をしているから」ですよ!
思考が現実化しているのです。
私みたいに一切病気について考えない人生をしばらく生きてください。
まったく病気しないから!(笑)
そのくらい人生というのは単純なんですよ!(笑)
でもそのためには自分の周囲の「病気思考」と距離を置かなくちゃいけない。
まぁ今のテレビを見ながら病気のことをまったく思考せずにいるのは非常に難しい。
いつも病気のことばかりやっているから(笑)
だからテレビを見なければいい。
実際私は学生時代から今までテレビなしで生きてきて、ほとん病気していないですからね。
それが現実というものです。
健康になりたければテレビを捨てよ!(笑)ですよ。
なぜ病気みたいなくそ面白くもなんともない話題を話したいのか
>病気の場合は、自分の経験を話してたら、思考が現実化するのでぶりかえすのでしょうか?
なぜ病気みたいなくそ面白くもなんともない話題を話したいのでしょうかね?
そのことを自分に問うてください。
「なぜ私は病気の経験を話したいのだろうか?」と。
私だって、風邪ひいて熱出したり、転んで怪我したりという経験はありますよ。
しかし、そんな話は普段覚えてもいないし、積極的に人に話したいなどと「まったく」思いません。
そんなことに関心がない。
どうでもいい(笑)
なんでそんなことを話さなくちゃいけないんです?
例えばご飯を炊いてて、普段はうまくいっているけど、たまたまフタがよく閉まってなくて上手に炊けなかった。
そんな経験をいつまでも思い出して、あの時ご飯がうまく炊けなかった!
みたいな話を繰り返しているのと同じですよ。
クソおもしろくもなんともない。
私なら「こうしたらものすごくおいしいご飯が炊けた!」という話しを聞きたい。
ご飯がおいしく炊けた話ではなく、まずく炊けたという話しをなぜしたがるのか。
そりゃやっちまった直後に「あ~失敗したぁ~」と言うのはあると思います。
しかし、次からフタをちゃんと閉めてればいいことであって、繰り返し繰り返し何度も話題にするようなことじゃないですよね。
病気もまったく同じです。
なぜそんなつまらん話がしたいのですか?
不思議じゃ~
ご飯がおいしく炊けたコツの話をすればいいじゃないですか!
楽しくて健康的な話をすればいいじゃないですか!
私はそんな話をたくさん聞きたい。
なぜなら、おいしいご飯が食べたいし、楽しく過ごしたいから(笑)
そう思考していると、人生はそうなります。
人生というのはそんなにも単純なもんなんですよ。
幸せになる方法
幸せになる方法というのは「なぜ私は病気の話をしたいのか?」と自分問うことから始まります。
「無意識」になっているんですよ。
もしかしたらテレビの影響かもしれない(絶対にあります!)し、家族の影響かもしれないし、友人知人とのSNSのやりとりの影響かもしれない。
自分の「病気思考」の原因は何なのか?
自分の日々の生活の中に必ず原因があります。
そして「なぜ私は病気の話をしたいのか?」という原因がわかったら、
その原因を手放せばいい。
例えばテレビを見ることをやめることかもしれないし、番組を選ぶことかもしれない。
私は積極的にテレビを見ませんが、家族につきあって見ることはありました。
そういう場合は、「世界ふしぎ発見」とか「世界の果てまで行ってQ」とか「サザエさん」とか「ドラえもん」とか、みんな元気で生き生きしている番組を選びます。
そうするとそういう影響を受けます。
私は去年は台湾一周、その前はイタリア、その前はスペインと、バリ島という風に結構旅が好きなのは、「世界ふしぎ発見」「世界の果てまで行ってQ」の影響があるでしょうね。
そうやって自分で見る番組を選べば、それに沿った人生を引き寄せるのです。
それだけなんですよ!(笑)
実に単純です。(笑)
無意識に人生を生きている人は人生を選べない
ですから、「無意識」にテレビを見てしまう人、番組を選ばない人というのは、
無意識に人生を生きている人、自分の人生を選ばない人なのです。
自分の人生を選べない。
ですから、その人の人生は何も変わらないのです。
実に単純なことなんですよ!
その人に起こることはすべてその人が選んだことです。
「無意識」にテレビを見て、無意識に病気になることを、その人が選んでいるのです。
なぜなら、その人にも「テレビを見ない」という選択はあるからです。
しかし、それができるにも関わらず、その人は「意識的に人生の経験を選ぶ」ことをせずに、「無意識」に生きるなら、社会や周囲に翻弄されるという人生を経験します。
それもまた「自分が選んだ生き方」です。
それは無意識に自分を「病気思考にひたらせる」ということを選択しているのです。
それによって現実化しています。
それは病気のテレビ番組を見続け、友人知人と病気の話し続けることなのです。
今の社会は「病気が常識」「健康は非常識」
よく考えてください。
日本は税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使っている国です。
「社会の一般常識に従っていたら病気になる」ってことです。
年配の人を見たらみんな病気です。
普通の暮らしをしていたら病気になるってことです。
そうじゃなくて、80歳になってエベレストに登るような三浦雄一郎さんみたいな「非常識」な人に注目しなくちゃいけない。
今の日本では「常識的な人はみんな病気になります」。
それは日本の国家予算が示している。
健康が「非常識」なことになってしまった。
社会意識にどっぷりつかっていたら、自然に「病気グループ」に入るようになっているのです。
「私は病気なることを選んだ覚えなどない!」と言うかもしれませんが、
税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使う人々と「普通に会話をしていたら」、その社会意識にどっぷり自分も浸かっているのです。
それは「やっぱり年には勝てんなぁ」というような話をいつも聞き、それに相槌を打つってことです。
それは「一定の年齢にあったら人は病気なる」っていう刷り込みを自分に毎日しているのと同じです。
もし「学校の先生が大丈夫というから」と素直に聞いていたら、津波に流されてしまいます。
たとえ「非常識!」「悪い子!」と言われようが、目上の人を無視してひとり裏山に向かって駆け出さなくちゃいけない。
健康とは今やそういうものです。
今は健康というのは税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使っている社会常識を無視して、「非常識!」「悪い子!」と言われても、ひとり裏山に駆け出す人だけのものです。
「素直ないい子」は健康にも幸せにもなれない
本当は社会全体が健康で幸せというのが理想です。
健康で幸せな状態を達成している目上の人の言うことを「はい」と素直に聞いていたら、みんな健康で幸せなになれるというのが一番の理想です。
しかし、目上の人は今ほとんど病気なんですよ!
「はい」と素直に言うことを聞いていたら、自分も病気グループの一員になるってことです。
通常「素直」というのは美徳です。
「素直ないい子」と褒められます。
しかし今の社会では「素直ないい子」では、税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使う人々の一員に組み入られらてしまうのです。
「素直ないい子」でいたら健康にも幸せにもなれない悲しい社会です。
本当は社会全体が健康で幸せというのが理想です。
そして、素直に「はい!」と言うことをきいて生きていたら健康で幸せになれる社会であったらどんなにいいか・・・
しかし現実はそうじゃないのです。
一般の社会意識にどっぷり浸かっていたら、税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使うような人生しか実現できないのです。
ですから80歳でエベレストの登るような「非常識」な人に意識的に注目して、一体どうやったのか学ぶ必要があるのです。
今は「非常識」な人しか健康にも幸せにもなれない社会であることを認識する必要があります。
とても残念で、悲しい現実ですね。
その人が言っていることではなくて、その人本人を見て決める
その人の言うことを聞くかどうかは、「その人が言っていること」ではなくて、「その人が健康で幸せか」見て決めればいいのです。
その人が明るく楽しく健康で幸せに暮らしていれば、「この人のようになりたい!」と思うなら、その人のやり方を真似たらいい。
素直にその人の言うことを聞いといた方が得策です(笑)
素直が一番!(笑)
もし「それを言ってる本人が健康でも幸せでもない」なら、その人のアドバイスに従っても「せいぜいその人のようになるだけ」です。
もしその人を観察して「この人のようになりたい!」と思えないのなら、その人のアドバイスに従ったらダメなんですよ。
今の社会では「ほとんどの人」は税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使う人生を生きています。
その場合はたとえ相手が腹を立てようと「ご意見ありがとうございました。」とにっこり笑って、静かに立ち去った方がいい。
立ち去らなくても、その人の言うことを真に受けない方がいい。
真に受けてもいいけど、自分も税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使う人生を送るようになるとことを覚悟しなくちゃいけない。
それが「今の普通の常識的生き方がもたらす結果」だからです。
社会全体が幸せで健康な時は、素直に生きた方が幸せ、
社会全体が病気の時は、自分で判断して行動しないと幸せにも健康にもなれない。
だって、その目上の人は「自分がどうやって健康で幸せになるか知らない」のですから!
ですから、
>病気の場合は、自分の経験を話してたら、思考が現実化するのでぶりかえすのでしょうか?
なぜ病気みたいなくそ面白くもなんともない話題を話したいのか?そんな意識がいったいどこからくるのか?自分を見つめた方がいいです。
一体何を無意識に受け入れ続けているのかってことですね。
人生が変化するとは自分の普段の思考を変えること
なぜ自分の人生が今のようであるかを知るには、自分の普段の思考が何かということに気づけばいいのです。
特に無意識の部分を意識化することが大事です。
気づくことですね。
思考が現実化します。
もし自分の人生が変わらないなら、普段の思考を変えることを選んでいないだけです(笑)
人生が変化するとは自分の普段の思考を変えることです。
つまり、スマホをいじったり、トイレに行きながら、風呂に入りながらとか、そういうなにげない時に考えている思考を今までのものより別のものに変えるということです。
自分の人生を選ぶことの本質とは
健康で幸せになるためには自分の普段の思考のなかから病気の話題を締め出し、健康で幸せなものに変えないといけない。
それが自分の人生を選ぶことの本質です。
「普段の思考を、自分が健康で幸せになるものに変える」ってことです。
ここで覚えておかなといけないことは、今の社会で無意識に社会意識にひたっていては、税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使う人生になってしまうってことです。
「無意識」に生きていたら健康にも幸せにもなれない時代です。
健康で幸せな思考を選ぶとどうなるか
健康で幸せな思考を選ぶとどうなるか。
健康で幸せになります!(笑)
実に単純なことです。
いやこの世は実に単純なんですよ!
ほんとです。
しかし、縁のある人々が変化します。
「思考は現実化する」のは法則ですが、「類は友を呼ぶ」も法則です。
自分の内面を健康で幸せな思考で満たし始めると、いつも病気の話をしている人々に話題に何の興味もなくなります。
「なんでこんなに病気の話ばかりしてるんだろう?別のことを思考すればいいのに」くらいの感想しかありません。
そうすると相手は腹を立てるんですよ。
「あなたは冷たい!」
しかし何も問題ありません。
その人はまもなく、別の「病気の話題に熱心に食いついてくれる人」を探して、今まであなたに話していたのと同じように病気の話を続けるでしょう。
あなたは健康と幸せに向かって変化することを選びましたが、今まであなたが引き付けて来た人々は変化を選んでいないからです。
あなたの周囲から「病気の話をする人」がいなくなっていく
そうするとあなたの周囲から「病気の話をする人」がいなくなっていきます。
それはただ単に、あなたが熱心に聞かないし、相槌も打たないからです(笑)
ケンカになることもあるでしょう。
「あなたはなんて冷たい人間になったんだ!」と言われるかもしれません。
しかし、もう「彼らの常識」と「あなたの常識」はまったくかみ合わないのです。
議論しても無駄です。
何しろ彼らは「社会の常識」「みんなそう思っていること」を言っているだけですから。
「おかしいのはお前だ!」と言うことでしょう。
その通りなんですよ!(笑)
非常識なのはあなたの方です。
今の社会では「健康は非常識」なんですよ。
税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使う社会では、健康で幸せな人は少数派だからです。
日本は民主主義国家です。
民主主義は多数決です。
「多数が正義」です。
多数派が常識なんですよ。
健康で幸せな人は少数派ですから非常識なんです。
不健康な人々と議論しても勝てない(笑)
ですから、多数派の人は、常識を引用して、「テレビでこう言っている」「有名な〇〇先生はこう言っている」、「みんなこう言っている」とあなたがいかに間違っているか説得するでしょう。
まったく彼らは今の社会の常識に照らして正しいのです(笑)
だから議論しても勝てない。
彼らは極めて常識的であり、社会の正論を述べます。
しかし、あなたはそれを言ってる「彼ら自身が健康で幸せか」よく見ないといけない。
そして議論をしても無駄だとということ悟らないといけない。
そして議論みたいな時間の無駄はやめて、にっこり笑って静かに立ち去った方がいい。
そしてあなたの周囲から「病気の話をする人」がいなくなっていきます。
それはあなたが病気に無関心だからです。
「類は友を呼ぶ」のは法則
「類は友を呼ぶ」のは法則だからです。
あなた自身が「税収50兆円のうち、40兆円を医療費に使う人々」の類友でなくなることを選んだのです。
今の日本で健康で幸せあることを選ぶということはそういうことです。
今まで付き合いのあった多くの人と疎遠になっていきます。
それは、相手が嫌いとか、憎いとか、腹が立つとか、そんなんじゃありません。
ただ文化系サークルの人と体育会系サークルの人とが、どうしても同じサークル内の人々と縁ができてしまうのと同じようなものです。
病気系サークルの人は病気の話ばかりしているし、健康系サークルの人は、健康的で楽しい話題が好きだということなだけですね。
いい悪いじゃなくて、ただ単に興味関心の違いです。
ただ単にお互いに興味関心のあることを話しているだけです。
そして、自分の思考の中から病気に関するものを取り除いた人々は、頭の中が病気思考でいっぱいの人と疎遠になっていきます。
それは仕方がない。
類は友を呼ぶのは法則です。
あなたはもう「頭の中が病気思考でいっぱいの人」と類友ではないのだから。
疎外感、孤独感を一時的に感じることも
あなたは、サークルから追放されたような、仲良しグループから仲間外れにされたような、疎外感、孤独感を一時的に感じるかもしれませんね。
しかしそれは望むところなんですよ!
そして、そのことで自分を責めたり、自己卑下したりせずに、素直に「健康と幸せ」を思考し続ければ、じきに「健康と幸せ」を思考する人々と縁ができ始めます。
それはそうならざるを得ないのです。
類は友を呼ぶのは法則ですからね。
あなたは健康系サークルの人になったのです。
「ようこそ!健康系サークルへ!^^」
そして、自分の周囲を見渡した時、健康的で幸せな人と接することが多くなり、健康的な会話を楽しみ、それをやってみることが多くなります。
健康的なものごとを多く目にするようになります。
それが「自分の現実が変わった」と呼ばれる現象なのです。
それだけのことなんですよ(笑)
それはただ単に「自分の普段の思考が変わった」ために、自分が引き付けるものが変わったというだけのことにすぎないのです。
そして「朱に交われば赤くなる」のも法則ですから、あなたはどんどん幸せで健康になります!
それは仕方がない(笑)
そして、人はどのような思考でも選ぶことができます。
健康で幸せな人生を選ぶとはこんなにも簡単なことなのです。
あなたの普段の思考は何ですか?
あなたはそれをどのような思考に変えますか?