ご質問をいただきました。
「生き方」は大きく2つに分けられます
「生き方」は大きく2つに分けられます。
「生き残る」ことと「本当の自分を生きる」ことです。
マズローの欲求5段階説はご存知ですか?
マズローの欲求5段階説
私たちはまずは生物として生存することを欲求します。
それが「生き残る」ことです。
「生き残る」とは
「生き残る」とは、雨露しのげる場所を確保し、食べ、排せつしていくことです。マズローの欲求5段階説の④➄ですね。
しかし、ただ単に生命を維持するために食べ、排せつし、睡眠することに「意味」感じる人はあまりいないのではないでしょうか。
現代社会では「生き残る」にはお金が必要です。
住居や食べ物は現代社会では、ほぼお金でまかないますね。
ですから一生お金の心配ばかりではあまり人生の「意味」は感じられないかもしれません。
節約してお金をたくさん貯めて、それを使わずに死んでも、あまり羨ましいとは思いませんね。
ただ単に「お金」だけでも「生きる意味」ではなさそうです。
所属と承認
マズローの欲求5段階説の③④は所属と承認です。
○○大学に入った。有名な〇〇会社に就職した。
所属の欲求が満たされます。
しかしだんだんただ単に所属するだけではなく、その中で部活で活躍するとか、出世するとか、認められたくなります。承認ですね。
それはそれで立派なことだと思います。
しかし、有名大学を出て、有名会社に就職し、そこそこに地位で退職したら全員幸せなのか?
そうとも限らないことはよくご存じですよね。
一体何が足りないのか?
名刺には〇〇社の△△ですと書いてあり、社内でも役職についていて威光があったのに、退職すると「ただの人」であったことに気づきます。
どこかに「所属」し「承認」されたとしても、それは「自分自身のことではない」のです。
しょせんは所属する組織に付属するもので、自分自身ではなかったのです。
人々は会社と地位に付随する力に敬意を払っていたのですね。「その人に敬意を払っていたのではない」のです。
ですから、そういう人が退職後家庭で、粗大ごみ、産業廃棄物扱いされ、メンタルが崩壊し、不幸になったり、体調を崩して早々に亡くなる人も少なくありません。
教員や公務員は最も認知症になる職業として知られています。
「政治家も落選すればただの人」という川柳がありますね。
どうやら「所属」と「承認」も「生きる意味」の本質ではないようです。
生きる意味とは何か?
生きる意味とは何でしょうね?(笑)
マズローの欲求5段階説の自己実現ということになりそうです。「生存」「所属」「承認」を超えた境地っていったんどんなものなのでしょう。
「生存」に必要な以上お金を手に入れたら「どう使いたいのか」
あなたは「生存」に必要な以上に充分なお金が手に入ったらいったい何をしたいですか?
死ぬときにお金を残すよりも、やっておきたいことがありますよね?それは何でしょう?
それがあなたにとっての「生きる意味」ではないでしょうか。
「エッセンシャルな消費」
ところでコロナ下では「エッセンシャルな消費」が見直されたそうです。
「本質的な消費」ですね。
人と接する機会が減り、化粧品や、高価な服、ブランドバッグ、・・・
そういった本質的でない消費は激減し、「エッセンシャルな消費」は堅調であったというのです。
ということは、「人に見せて評価される」ものは本質的ではないのですね。
見せる機会がいなければ意味がなかった(笑)
死に際して人生を振り返り、最も思い出すことはブランドバックを誰かに褒めらたことって人はいないでしょうね(笑)
どうでもよかった(笑)
あなたは「生存」に必要な以上に充分なお金が手に入って、「見る人は誰もいない」としてもそのお金をどんなことに使いたいのでしょう?
それが自分にとってエッセンシャルなことです。
満面の笑みを浮かべて死ねる人生
さて本日めでたく今生の終わりの日を迎えました(笑)
死ぬ日ですね。
今日肉体を離れるにあたって、どのような人生なら
「私の人生はいい人生だった」「もう思い残すことは何もない」と満面の笑みを浮かべて言えるのでしょうか?
その日その時、思い残すことがあるとするならそれは何でしょう?
「人が死ぬ前に後悔する17のこと」とは
「人が死ぬ前に後悔する17のこと」という記事がありました。
1 他人がどう思うか、気にしすぎなければよかった。
(ブランドバックなんて本当はどうでもよかった(笑))
2 他人の期待に沿うための人生ではなく、自分が思い描く人生を歩めばよかった。
(あなたが思い描く人生とは何でしょう?)
3 あんなに仕事ばかりしなければよかった。
(お金を稼ぐことよりも大事なことがあったってことですね。)
4 もっと一瞬一瞬に集中して生きればよかった
(それをしても人生何も変わらないことに時間をダラダラ使ってしまったということでしょうか)
5 喧嘩別れしなければよかった
(あんまりよくないかもですね(笑))
6もっと他人のために尽くせばよかった
7 もっと家族と一緒の時間を過ごせばよかった
8 友達との時間を大切にすればよかった
9 もっと旅をすればよかった
10 リスクを恐れずにいろいろ挑戦すればよかった
11もっと自分の情熱に従って生きるべきだった
12 あれこれと心配し過ぎなければよかった
13 もっと自分を幸せにしてあげればよかった
14 周りの意見よりも、自分の心の声を信じるべきだった
15 愛する人にもっとたくさん気持ちを伝えるべきだった
16もっと幸せを実感するべきだった
17もっと時間があれば・・・
だそうです。
人生の先輩方のこれらの後悔をしないようにすればよさそうです。
所属・承認よりも、自分自身の心に素直に生きればよかった
結局、所属、承認よりも、自分自身の心に素直に生きればよかったってことですね。
あなたにとって人の評価ではなく、自分の心に素直に生きるって何でしょう?
どんな人生にも意味がある
実は私は今生どんな悲惨な人生であったとしても「生きる意味」はあるという立場です。
「どんな生でも尊い」ということですね。
人の本質は永遠の魂です。
その1ページに例えば戦場で倒れることがあるかもしれない。きっと私もあなたもそうだったことがあるでしょう。
そういう人生に意味がないのか?
私はそんなことはないと思います。
それもまた永遠の魂の旅路の貴重な1ページです。
しかし、その経験を通じてやっぱり戦争というものは悲惨なものだな。もう二度とすまいと思うかもしれません。
私は第二次世界大戦以後、世界戦争がないのはそれが大きな原因のひとつではないかと思っているのです。
ですから、どんな人生にも無駄死にはないという立場です。どんな人生にも意味がある。
こんなことやっちゃダメだったなという教訓を得たことにも意味があった。
永遠の魂の旅路で次の生はもっと違うものにすればいいだけです。
よりよく生きるには?
すべての生に意味があるにしても、よく生きるにはどうしたらいいのでしょうか?
結局、死ぬとき最も後悔することは「自分の心に素直に生きればよかった」ということなのですから、よりよく生きるには「自分の心に素直に生きる」ことです。
本当は何がしたいのかわからない
私もよく「自分の心に素直に生きたらいいじゃないですか」「やりたいことをやったらいいです」とよくアドバイスします。私の言うハートの喜びですね(笑)
そうすると自分が「本当は何がしたいのかわからない」という人が少なくないのです。
それは今までどこかに所属し、誰かに承認されることを求めて生きてきたからではありませんかね?
それは誰もが通る道であすから、何にも問題ないのですが、それだけでは虚しいと感じ始めたら、自分の内面を見つめる必要があります。
今までは外ばかり見て、自分の内面を見つめてこなかった
誰もが通過する所属と承認のステージに入る時は、外ばかり見て、どうしたら所属できるのか、どうしたら承認してもらえるのか一生懸命にるわけです。
誰かの期待に応えることばかり一生懸命やってきた。ですから「自分が本当は何をしたいのか」考える余裕もなかったのです。
ひとりの時間をもつ
私はひとりの時間をもつことはとても大切だと思っています。
その時間にテレビを見たり、ゲームをしたり、スマホをいじったりするのではなくて、「自分は本当は何をしたいのかな」ということをゆったり「感じて」みるといいのです。
今までの思考の範囲には答えはない
まずですね。
「自分が本当にやりたいこと」がわかっているなら、「人生の意味って何だろう?」と思うことなどないのです(笑)
今現在もそれに向かっている自分に充実感を感じているはずだからです。
「人生の意味って何だろう?」と思ったということは、今までの繰り返しの中に生きる意味を見出せていないってことです。ということは「今までの思考の範囲には答えはない」のです。
例えばどこかに所属し、承認されようとする思考の中には答えないのです。
「思考」というのは、その概念を知っている。すなわち過去に経験のあることしか「思考」できません。未知のことは思考できません。知らないのですから(笑)
ですから「思考」すると堂々巡りになって何の解決にもならないことがよくあります。
それは自分が従来の思考の範囲の留まっているからです。
例えば洗濯板しか知らない人は、いかに上手に洗濯板を使うかに人生をかけて熟達しようとするかもしれませんが、一度洗濯機というものを知れば、そういう考えは吹き飛んでしまいます。しかし洗濯機というものを知らなければ、そういう発想はまったく出てきません。
ここではいかに洗濯板に熟達するかを、ちょっと脇に置いておいて、「本当は自分は何がしたいのか」素直になって感じてみることなのです。
そうすると本当は洗濯板で洗うのは好きじゃない、やりたくないという気持ちが素直な気持ちかもしれないのです。
どうしたら洗濯板で洗わなくても済むのか?
ちょうどそんな風に考えることなのです。
それは今までの無我夢中になって洗濯板に熟達し、みんなに「お前も一人前だ」と褒められたいという思いを脇に置く必要があるのです。
もう褒められなくてもいい。
私は本当は何をしたいのか?と自由に感じることを自分に許すことから始まります。
外部からの条件付けを外すのに一定時間かかる
私たちは、所属と承認を求めて、誰かに認められるために誰かの顔色をうかがって、外部からの価値観に自分を合わせてきました。
でもそれは本当は自分のしたいことじゃなかった。
それに気づき、それを落として本当に自分のしたいことを見つけるのはある一定の時間がかかることが多いのです。
あなたが所属し承認を求めてきた人は、あなたに与えてきた価値観に急にあなたが従わなくなると不機嫌になります。
生意気な!裏切り者!出ていけ!・・・
色んな圧力があるでしょう。
「自分がしたいことをするには自立し強さが必要」
多くの人がここで屈してしまいます。
今所属しているところを追放されたら、生存さえもあやうくなるかもしれない。
ですから「自分に心に素直に生きる」ことができるためには、自立しており、強さが必要なのです。
自分の二本の足で立っていることですね。
誰かの運転するバスに同乗している人は、運転手さん行くところに行くしかないのです。
自分の行きたいところに行くには、運転免許を取り、自分の車を持たなくちゃいけない。
人生もそれと同じです。
所属と承認の世界に生きている人はまだバスに乗っているのです。
バスには小学生でも乗れますが、自家用車はそうはいきません。
団体旅行と個人旅行の違いのようなものかもしれませんね。
それには自立した強さが必要です。
さて、あなたは団体旅行よりも個人旅行の人であるとします。
私は一体どこに行き何をしたいのか?
そこからです。初めて自分自身に深く問わないといけないのは。
私は一体どこに行き何をしたいのか?
自分が喜びを感じることなら何でもいい
結局自分が喜びを感じることなら何でもいいんですよ。
私は海外を自転車で旅するのが好きです。
徒歩でスペイン巡礼もしましたし、モンゴル馬旅もしました。
人によっては違う嗜好もあるでしょう。
それでいいと思います。
実に簡単ですよね!(笑)
地球をエデンの園にする
そして、私は地球は本当は、生きる心配は何もない。つまり手を伸ばせばリンゴが食べられるエデンの園であったと思っています。神は地球をそのように創造された。
今でも本当は地球はそのような星です。
だってみんなが食べる分の食料はどこかで生産されているのですから!
それをただみんなの手の届くところで栽培すれば、それがエデンの園だと思っています。
「生きるために働く必要はない」
本来地球はそのように創造されたと思っています。
ですから私は自然豊かなところで、自然栽培で、基本種まきと収穫だけで食べ物を作ることを楽しんでいます。
そのようなエデンの園を、神の創造である自然の摂理と共存しながら神と共同創造すること。
そして全自動で自然な食べ物を作りながら自由に旅をする。
今のところゴボウと、サツマイモ、ジャガイモ、ソラマメ、エンドウ豆、ミツバ、からし菜などなどは、それができることを確認しました。柿、タケノコもそうですね(笑)
みんながそれぞれに自分自身のエデンの園を持ち、生存の不安から解放されること。
そしてそこがベースになって、所属と承認を楽しみたければそうすればいいし、いつでも「生存の危険」を感じることなく自由にそれを手放せる。
そして誰もが生存の不安を感じることなく(何しろりんごは毎年成るので!(笑))
地球上の自然と生を謳歌できるエデンの園にすること。
そのためにはまずは自分からと思っています。
だってそれがたとえ自分ひとりだとしてもとても楽しいし、もし誰かが自分のエデンの園を作ったら、ぜひそれを見学したいです!(笑)
そうして自然と調和した暮らしが地球に拡がって、小さなエデンの園がやがて隣接し、増え、最終的には地球を覆えばいいなというのが私の夢ですね。
その過程のそれぞれの瞬間で地球上での生を謳歌するのが私の生きる意味です。
これは今日2021年2月17日の私のエデンの園の様子です。
私は毎日自分の敷地内の竹や薪でご飯をたきますが、ご飯をたくだけでもとても楽しいです!(笑)
長男の場合
長男は去年の春のコロナのまっさかりの中、大学を卒業し東京の会社に就職しました。いきなりリモートワークで、秋にここ私の秘密基地に遊びに来た時までに出社したのは4日だそうです(笑)
彼はここがいたく気に入り、東京の狭い家賃の高いアパート暮らしが嫌になり、どうせリモートワークだから地元に帰ってもいいか?と聞くと「いい」と言われたのです。
それで去年の12月、大分からふたりでワンボックスを運転し、日本を半周の旅をして、彼の荷物を積み込み、大分に戻ってきました(笑)
今彼は、私の秘密基地に住み、自分の秘密基地を物色しています(笑)
自然の中で、自然栽培をしてみたいそうです。
私も長男とこんな形で一緒に住むとは思いもよりませんでしたが、コロナでこういうことが可能になったのですね。時代はずいぶん変わりました(笑)
ということで、あなたもリモートワークで自然豊かなところで、自分のエデンの園を創造してはいかがでしょうかね。
きっと生きる意味を感じると思います(笑)