嫌なこと、悪いことを考えて落ち込んで、良いことを思いついて浮き上がって、でもやっぱりダメだと落ち込むを繰り返してます。(Tさんの今日のちっきしょー)

> 前のメールを読み返して見ました。
> 入っていかない……というか、頭でわかっていても自分の心の中がきちんと理解出来ていない感じでしょうか。
>
> 他人には影響されないように、というところが心に入っていきません。
>
> 周りに振り回されている、それはものすごく感じます。
>
> 自分が無い……
> そんな感じはとてもします。
>
> グルグル回っているとは、
> 嫌なこと、悪いことを考えて落ち込んで、良いことを思いついて浮き上がって、でもやっぱりダメだと落ち込むを繰り返してます。

 自分と「自分の考え」の間に感覚をあけて、自分の思いを観察してください。

 たとえば以前はあることを言われたら「カチン」ときて瞬間沸騰したり、落ち込んだりしたかもしれません。

 もし同じような場面に出くわしく「カチン」とても、瞬間沸騰して「ガーッ」と言わなかった。

 ぐっと飲みこんで、窓辺に行って空を見上げて、落ち着くまで深呼吸した。

 そして、落ち着いた状態になるまで話さないと決めた。

 こう変わったとします。

 それが「人生が変わった」ということなのです。

 今までの瞬間湯沸かし器みたいな反応を何年も何年も繰り返してきたかもしれません。

 しかし今回は違った。

 「別の選択をした」

 これが人生を選ぶということなのです。

 瞬間沸騰の人に人生を選ぶことはできないのです。

 パブロフの犬のように、肉を見たらよだれを垂らすだけです。

 条件反射なのです。

 その条件反射をしなかった。一呼吸入れ、深呼吸し、落ち着くのを待った。

 窓辺に行って空を見上げた。

 これこそが人生が変わるということなのです。

 今まで条件反射だったこところに、間隔を開け、違う選択をもたらしたということなのです。

 これで初めて違う人生、よりよい人生の選択が可能になるのです。

 条件反射を繰り返す人に人生を選択することはできないのです。

 その人は人間の最も偉大な特徴である、自分で選ぶというこことを放棄しているのです。

 ですから、一呼吸入れ、窓辺に行って空を見上げ深呼吸してください。

 その行動が人生の選択をもたらすのです。

 その空を見上げて、怒りの呼吸がすっかり静まった。

 今までの瞬間沸騰とは違う自分から考え、言葉を発した。

 このことがまさに人生を選ぶこということなのです。

 人のせいにすることは簡単なんですよ。

 実際そのことには正当な理由があるかもしれません。

 100%相手が悪いかもしれません。

 それが何だと言うのでしょう。

 腹を立て、瞬間沸騰し、相手をやっつけました。

 それが何だと言うのでしょう。

 自分は何も変わっていないのです。

 自分の人生が変わるとは、自分の何かが変わるということです。

 そのためにはまずは一呼吸入れ、待てよ、

 もうパブロフの犬にはならないぞ!

 そう決めることなのです。

 そして、落ち着いた呼吸、落ち着いた考えから、今自分が望みうる最善を行うのです。

 それはこれまでの瞬間沸騰の自分とは違う選択です。

 そのひとつひとつの「違う選択」が積み重なって、人生を見違えるほど素晴らしい地点に導くのです。

 すべては、間隔を開け、相手のせいにするのをやめ、落ち着き、今までと違う選択をする。

 その繰り返しによってなしとげられるのです。

 

> 浄化も動きが悪いような……
>
> ダメすぎて神様、見離したかな~

 あなたが人を殺そうが、地獄に落ちようが、そっと寄り添ってくれるのが神様です。(ちなみに地獄はありませんが)

 存在のすべてが神様で構成されています。

 ダメ過ぎて見放される人は一人もいないのです。

 死んでも見放されません。

 安心するようきちんと先に死んだ親近者を送って、お迎えにあたるよう配慮してくださいます。

 ですから、そのことについて絶対の安心をもって生きて、そして死んでください。

 これは非常に重要なことです。

 何か神を人を裁き、罰する存在と考えるあらゆる信条は間違いです。

 これは既存の宗教、古い考えの信条に広く見られるたいへん重大な誤りです。

 もしこの世に間違いと言えることがあるとするならば、神を人を裁き、罰する存在と考えることです。

 それ以外にこの世に間違いはありません。

 その信条に従う限り、真の幸せはないのです。

 なぜなら、それが人を恐怖に陥れ、不安にさせ、萎縮させるからです。

 何しろ人生でいつ自分が神に反するかわかりません。びくびくして「これは間違いではないか」と常に心配しながら生きないといけません。

 一生気が抜けないのです。

 しかし、「神に反することというのは存在しない」のです。

 なぜなら、この宇宙の存在のすべてだからです。

 この宇宙の一点にでも、何か間違いがあるのなら、罰されるに値するものがあるのなら、

 それは神自らが間違え、罰されるに値するということです。

 神はすべてだからです。

 ですから、神はどんなことにも裁かないし、罰することもありません。

 あらゆることを容認し、そこから学ぶことを見守られるのです。

 その自由な学びを最大限サポートしてくださっているのが神様です。

 そうでなければ、宇宙のすべては神ではないということになります。

 しかし宇宙のすべては神なのです。

 ですから絶対の安心をもって生き、絶対の安心をもって死んでください。

 神は永遠の魂を与え、守ってくださっているのです。

 やんちゃも何も問題もありません。

 間違いもありません。

 どんどんチャレンジしてください。

 神の視点から見て間違いは一切ないからです。

 それがすべては神ということです。

 あなたも神様の一部なのです。

 すべての生命が神の一部です。

 ですから、神さまが自らを否定されることは絶対にありません。

 どんな人でも深く深く愛されているのです。

 例外はありません。
  
 ですから、深く深く安心して、やんちゃして思いきり生きて、安心して死んでください。

 あなたもまた神の一部なのです。

 それは絶対に不変の真実です。

 神はすべてなのですから。

 

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