あるお母様からメールをいただきました。
(子離れは)父親は、自分が通って来た道だし、それほど親の愛情を深く受けとめてないんじゃないかと思います。 普通の父親は、いくら子供の事を大事にしてると言っても、母親ほどの命がけの愛情は無いのかも…と推測しております。 そりゃぁそうですよね。簡単に 「お産」と口にしますが、自分の命をかけて頑張る大きな仕事ですもの。 結婚して子供を持った時に、初めて 親の有り難さが分かると言いますが、女性の方が抜群にそれを感じると思います。 男性は、まあ、気持ち30%ぐらいは思ってるかな…。母親は、昼も 夜も 夜中も 朝方も、自分の体調が悪くても子育ては待ってくれません。母親は、夜中、睡眠不足で 強烈に眠くても、 泣いたらオムツを替え、お乳を飲ませることを せねばなりません。夜中に泣き止まなかったら、睡眠の邪魔をして翌日の主人の仕事に差し支えがあっては申し訳な いので、抱いて外に出て寝付くまで あやします。 色んな事を考えていたら、100倍どころの差ではないですね。小さい時、石川五右衛門の話を母から聞いた事が有ります。五右衛門は拷問を受けた時、最初は子供を守っていたけど 最終は子供を下敷きにして足台にして逃れようとした話です。これが母親だったら、絶対に出来ない事です。子供心に何となく、お母さんの方が愛情が深いんやなぁと思いました。 どちらが本当の母親なのかを判断する時、( 大岡裁き?だったかな…)子供の手を両方で引っ張り合いをして、手を離した方が真の母親だという話も、心に残っています。 榎本先生は、特別だと思いますが………過去の男親たちは、子育ては女がして当たり前の時代でしたから、何も感じないまま成長していると思います。 最近、土俵に女性が上がったとか、女のくせにとか、色んな意見が出ておりますが、私は「 何言うてんの…その女から此の世に出して貰ってるのに、 どの口が言うてんの!」と思いながら見ています。 40年以上前の、しんどかった子育ての記憶が思い出されて来ました。 普段は、その苦労は全く忘れてしまっています。今は 懐かしい記憶です。「 女は弱し されど母は強し 」ですね。
基本的には私を含む男性諸君は謙虚に受け止めたいと思います。反省!m(_ _ )m
若干の反論・・・
「男性が出産に立ち会うこと」は20世紀の10大変化のひとつ
簡単に 「お産」と口にしますが、
自分の命をかけて頑張る大きな仕事ですもの。
たしか1999年から2000年に替わった年の元旦の分厚い新聞の記事だったと思います。
20世紀の10大出来事の特集がありました。
ある外国の心理学者が10大出来事のひとつに「男性が出産に立ち会うこと」をあげていて、とても印象に残りました。普通は、「世界大恐慌、第一次世界大戦、第二次世界大戦、原爆の発明、自動車の普及、テレビの普及、冷蔵庫の普及、洗濯機の普及、携帯電話の普及、インターネットの発明」みたいなことをあげています。
その心理学者は「男性が出産に立ち会うこと」はこれらの出来事に匹敵する重大な変化を社会にもたらしたと考えているのです。
私はふたりの子供の両方の出産に立ち会いましたし、長男の時はヘソの緒を切りました。
女性で、へその緒を切った人はなかなかいないんじゃないかと思います。二男の時は長男を抱えて出産に立ち会いました。
まぁ、自分が出産する女性と比べたら全然比較になりませんね^^;
なぜ男性が出産に立ち会うことがそんなに重大な変化なのかというと、その心理学者に言わせれば、男性のその後の子育てへの関わりがまったく変わってくるからだそうです。
今からの男性には、ぜひ「出産に立ち会うこと」をお勧めしますね。
お腹の上に子供を抱っこしたまま眠っていたことも何度がありますよ
母親は、夜中、睡眠不足で 強烈に眠くても、 泣いたらオムツを替え、お乳を飲ませることを せねばなりません。
これは私は結構やっていましたよ。
おむつ替えと、まあ哺乳瓶でミルクですけどね。
夜中に起きて結構やりました。
夜中に泣く時は、結構抱えて部屋を歩き回っていましたね。
ある日、風邪をこじらせてしまって入院したことがあるのですが、
その時は夜の付添は連日私で、咳で夜眠れないものだから、ずっと抱っこして、
明け方気がつくと、お腹の上に子供を抱えたまま自分も寝ていたということが何日がありましたね。夕方食事してお風呂に入って病院に行き、そこから直接出勤していた感じです(笑)。
石川五右衛門
小さい時、石川五右衛門の話を母から聞いた事が有ります。
五右衛門は拷問を受けた時、最初は子供を守っていたけど 最終は子供を下敷きにして足台にして逃れようとした話です。
これが母親だったら、絶対に出来ない事です。
これは本当かどうかわかりません。
ウィキペディアによると、
有名な釜茹でについてもいくつか説があり、子供と一緒に処刑されることになっていたが高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた説(絵師による処刑記録から考慮するとこちらが最有力)がある。またそれ以外にも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたとも言われている。
「あまりの熱さに子供を下敷きにした」というのはマイナー説なんですよ。
京都鴨川の三条河原で石川五右衛門が釜茹での刑になった時、
私は、やっぱり「高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた」と思いますね。
それでいざ「もうダメだ」と思ったとき、子供を「苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた」のでしょう。
それは武士が切腹する時、切腹だけでは死ねないので、背後から介錯(かいしゃく)して首をひと思いに切ってやる。それは無用に苦しませないための情けなんですよ。思いやりです。それと同じですよ。
大岡裁き
どちらが本当の母親なのかを判断する時、( 大岡裁き?だったかな…)子供の手を両方で引っ張り合いをして、手を離した方が真の母親だという話も、心に残っています。
大岡裁き「本当の母親」の話はこちら。
証拠のない難しい裁きでしたが、大岡越前の機転のきく名裁きでしたね!
上記リンクの「毎日、毎日、おこまはやって来ては、同じ事をわめきたてて行くのです。
そしてしまいには、顔に傷のある恐ろしい目つきの男を連れて来て、
「さあ、早く返してくれないと、どんな目にあうかわからないよ!」
と、おどかすのです。」とあります。すでにおこまは圧力、暴力に訴えているのです。
そして子供を引っ張り合って、痛がる子供無視して、おこまわ自分へとひっぱった。
おこまは「子供の痛み」よりも「自分のエゴ」の方が重要なのです。
越前の守は、
突然きびしい声で言いました。
「お前には、痛がって泣いているたいちの声が聞こえなかったのか!
ただ勝てばいいと思って、子どもの事などかまわずに手を引っぱったお前が、本当の親であるはずがない!
かわいそうで手を離したおしずこそ、たいちの本当の親じゃ。
大岡越前は、エゴによる圧力・暴力に訴える大きな声ではなく、真の思いやり、愛情はどこにあるのかということを機転を利かせて見抜きました。
なかなか、見事な裁きです。
現代の裁判官などからはあまりこういう「いい話」を聞かないですね。
まぁしかし、これは「女同士」の争いですよ!
日本で最初の相撲は女相撲
最近、土俵に女性が上がったとか、女のくせにとか、
色んな意見が出ておりますが、私は「 何言うてんの…その女から此の世に出して貰ってるのに、 どの口が言うてんの!」と思いながら見ています。
確かに!(笑)
女が穢れているというのなら、その女から全身が出てきた男もみんな穢れていますよね。
そういうことは言わんことですね。
相撲の女人禁止は明治に入ってからだそうです。
昔の女性は、誰でもこのくらいの力はあったそうですからね。
今は男でもなかなかこうは持てない^^;
日本ので最初の相撲は、「日本書紀」の記録であり、
雄略天皇13年(469年)秋九月、雄略天皇が二人の采女(女官)に命じて褌(ふんどし)を付けさせ、自らの事を豪語する工匠猪名部真根の目前で「相撲」をとらせたと書かれています。これが記録上の最古の相撲であり、それは女相撲でした。
もっとも伝統ある相撲は女性によるものです。
世界のお父さん
榎本先生は、特別だと思いますが………
私は特別じゃないですよ!
お父さんたちがんばってます!