【思考の現実化の仕組み】ジャーニーズは社長の同性少年愛セックスを受け入れなければデビューできなかった。

ジャーニーズ事務所の社長ジャニ―喜多川さんが亡くなった。

これだけ芸能界に大きな影響を与えた人だったので才能もあったのだろう。

しかし、Wikipediaにも以下のように書いてあるように、ジャニ―喜多川さんは裁判で認定された少年同性愛者だ。

ジャニ―喜多川さんは裁判で所属タレントへの同性少年愛が確定している

ジャニーが同性愛者(ゲイ、少年愛、ペドフィリア)であり、事務所に所属する男性タレントに対して猥褻な行為を行っているとの噂は、1960年代から散発的に報道されていた。

元フォーリーブスの北公次は、『光GENJIへ』シリーズ データハウス、1988年(昭和63年)
元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは、『さらば!!光GENJIへ』データハウス、1989年(平成元年)
元ジャニーズの中谷良は、『ジャニーズの逆襲』データハウス、1989年(平成元年)
平本淳也は、『ジャニーズのすべて―少年愛の館』鹿砦社、1996年(平成8年)
豊川誕は、『ひとりぼっちの旅立ち - 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』鹿砦社、1997年(平成9年)3月
元光GENJI候補の木山将吾(山崎正人)は、『SMAPへ – そして、すべてのジャニーズタレントへ』鹿砦社、2005年(平成17年)など
などを出版した。1988年(昭和63年)- 1989年(昭和64年/平成元年)に『噂の眞相』がこの問題を数回取り上げた。なお、自民党衆議院議員(当時)・阪上善秀(元・兵庫県宝塚市長)が2000年(平成12年)4月13日にこの問題を衆議院で取り上げている[16][17]。

1999年(平成11年)、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事を掲載し、喜多川が所属タレントに対して同性愛行為を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。これに対しジャニー側は記事が名誉毀損であるとして、文春に対し1億円あまりの損害賠償を要求する民事訴訟を起こした。

2002年(平成14年)3月27日の一審判決では東京地裁は文春側に880万円の損害賠償を命じた。文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。2003年(平成15年)7月15日の二審判決では、ジャニー側の所属タレントへの同性愛行為を認定した(矢崎秀一裁判長)。このため、同性愛部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年(平成16年)2月24日に棄却され(藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と同性愛行為の認定が確定した。

ジャニーズ事務所のタレントはみんな、この行為をしたからデビューできた

上にも登場するジャーニーズ出身者の書いた本には、たとえば『光GENJIへ』という本では、

〈ジャニーさんも裸になり、おれのからだに密着してくる。両手でジャニーさんのからだを突き放そうとするが、上に乗ったジャニーさんはたくみにおれのからだを舌で愛撫しながら、手で勃起したペニスをしごき続ける。心の中で必死に嫌がっても、巧みな技巧でおれはあっという間に放出してしまった〉

〈ジャニーさんは勃起したおれのペニスを口に含み、音を立ててしゃぶっていく。微妙な舌と唇の動きでたちまちのうちにおれはジャニーさんの口の中に射精すると、そのままジャニーさんは飲み込んでいく――〉

〈おれの股を閉じさせて、その隙間にジャニーさんの怒張したペニスをはさみこみ、何度も何度も上下に動きながらジャニーさんはおれの腹とふとももの付近に大量の精液を発射する〉

などと書かれている。

また、『ジャニーズのすべて―少年愛の館』という本では、

四つん這いになった少年の後ろからジャニーさんは行った。細かいところは見えないが、少年の「痛い!」という声が耳にこだました。(中略)

彼はこの日をスタートに「儀式」のすべてを経験した。愛撫からキス、そしてアナル、フェラチオまでのされる方とする方。何カ月かすると、彼はグループメンバーに入り今でも活躍している。

この行為をすればデビュー、そして拒否するならばいくら頑張ってもジュニアで終わる。

なるほど・・・

ジャニーズ事務所のタレントさんはみんな、この行為をしたからデビューできたのですね。

詳しくは、こちらのページの右に、以下のような上のWikipediaに掲載されている本のまとめ記事がたくさんあるので、ご確認ください。

デビューのための条件は、この行為だけではなかった

こちらのページには、

ジャニー氏のお気に入りとなって特別扱いを受ける代わりに、常にそばに置かれてキスをせがまれ、夜に待っているのは、執拗なフェラチオとアナル性交。そんな日々にも木山氏が耐えてきたのは、スターとして輝く日々のためだった。

しかし、光GENJIとしてポスター撮りも済ませ、いよいよデビューというときに、木山氏はジャニーズから姿を消す。好きでもない老人との地獄の性的関係に堪え続け、やっと夢がかなうというそのときに、なぜ彼はジャニーズを離れることになったのか。

”ジャニーズ系”が中性的であるためにホルモン注射を打たなければならない

デビューするには、ある注射を打たなければならないという。すでにこのときには僕以外の全員がジャニーさんにそれをされていたのだ。

「あれって何の注射?」

「ホルモン剤とかって本当?」

「なんでホルモン剤なんか打つんだよ」

僕らは周囲の人間に聞かれないように、ひそひそと話をしたが、やはり誰もその実態を知らないまま、ジャニーさんに強制的に打たれていたようだ。

そんな不気味なウワサに恐怖を感じるようになった木山氏に、光GENJIでともにデビューする予定だった、諸星和己が、こんなことを言ってきたという。

「次は木山くんだから。注射打たれる番」

すでに諸星はその恐怖の儀式を済ませていたという。

ホモセクハラには耐え続け、なんとかデビューをつかみかけた木山だったが、最後に、まだ大きなハードルを超えなければならないという現実は、とても受け入れがたかったのだろう。悩んだ末に、合宿所に行くのを拒否するようになり、レッスンにも行かなくなった・・・

ジャニーさんは少年に女性ホルモンを与えることによって、生理的、肉体的変化を求めていた。例をあげれば郷ひろみの声。男の子が思春期となっても声変わりのしないことは当時結構騒がれた。マッチのわき毛も十代後半まで生えて来ず不思議がられていた。トシちゃんは若い頃は体毛が薄かったのだが、二十代半ばを過ぎると胸毛が濃くなり、脛毛も多く全身毛だらけになってしまった。・・・

あ~なるほど、

ジャーニーズのタレントさんがみんな中性的なのはこのホルモン注射のせいだったのか!

ジャニ―喜多川さんはなぜ、少年同性愛者になってしまったのか?

ジャニ―喜多川さんのお父さん喜多川諦道さんは、8歳で出家した真言宗のお坊さんでした。

8歳の見習い僧は「稚児」と呼ばれます。

稚児はWikipediaで以下のように説明されています。

真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた。中世以降の禅林(禅宗寺院)や華厳宗などにおいても、稚児・喝食は主に男色、衆道、少年愛の対象であった。

やがて父諦道さんは栄子さんという女性と結婚し、生まれたのがジャニ―喜多川さんです。

思考は現実化する

思考は現実化します。

自分の中の抑圧思考にしろ、イマジネーションにしろ、口に出さずとも、「思考の底流」としてうずまくイメージが現実化します。

ですから、特に子供を作るときは、下劣なイメージを持たず、本当に立派で健康で素晴らしい赤ちゃんを授かりたいという健全な思いで臨む必要があります。

思考は現実化しますが、それは「本音」の部分だからです。

お父さんの諦道さんには稚児の経験から、誰にも言えない抑圧された強烈なイメージが渦巻いていたのかもしれませんね。

それがジャニ―喜多川さんの少年同性愛者としての性格を形成してしまったのかもしれません。

私たちがネガティブな思い、ネガティブなイメージを手放していくことは本当に大事なことです。

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