メタモルフォーゼシリーズの主人公Mさまよりメールをいただきました。
今日もすばらしい記事をアップしていただきありがとうございます。 そしてシリーズ化していただいてありがとうございます(笑とてもうれしいです♪全てが素晴らしすぎて、食いつきたい内容で、どこから手を付けていけばいいかわからないほどです。 M(2018年3月4日 22:32)
先のメールの、
特別カリキュラムを組んでもいいというのは、本当ですか?!
それが可能なのであれば、ぜひぜひぜひ、お願いしたいです。
についてですが、
これが特別カリキュラムです。
もうすでに始まっているんですよ(笑)
いいカリキュラムは生徒とのコラボでできるものです。
私は今生教師としてのキャリアが長いですからね。
私が最も教育成果をあげたのは、ある国家試験で私が担当したところから、ほぼ日本一の合格率を出したのですが、上司にも理解があって、その合格者を集めて、少数の特別クラスを編成し、そのまた上位の国家試験にチャレンジし、その中からちょうど50%の合格者を出したのです。
その国家試験はその分野の教師でももっていない人が結構いますよ。
それを私は半年間で輩出した。
それが私の人生において、もっとも成果を上げた教育でした。
なぜそれができたかというと、上司の理解もありますが、やはり生徒の熱意なんですよ。
そういうものが、私を動かし、組織を動かすのです。
そうやって特別クラス特別カリキュラムというのは編成されるのです。
そういう生徒がいないと、そういう動きには絶対にならないのです。
私はこれは長年の教師としてのキャリアを通じて言えることです。
先生から何かを引き出すのは、生徒なのです。
この成果が私の「その分野」における最高の教育パフォーマンスでしたね。
これは経済合理性じゃないんですよ。
経済合理性を追求するなら、大教室に大人数集めて2、30年間代わり映えのしない授業ノートをだらだら板書するのが、一番楽で儲かるのです(笑)
わずなか少人数のために、特別にクラスを編成し、カリキュラムを編成するということは、大変に手間もエネルギーもかかることです。儲からない。(笑)
それをやったところで、給料が増えるわけじゃない。
ただ自分の持ち込まコマが大幅に増えるだけです。
まぁ言うなればやればやるだけ損なのです。
経済合理性からいえば。
しかし、それは教師冥利につきるのです。
それだけの力量のある生徒に、自分の持てるものを全力で伝えるということが教師の真骨頂なわけです。
教師たる者、そういうことを一番意気に感じるのですよ。
で世の中では時々、こういう「不合理」なことが起こるのです(笑)
達磨の壁面九年と慧可断臂
ボディー達磨は、仏陀の教えの法脈を伝えるために、インドからはるばる中国まで旅してきました。
そして、その仏陀の教えの精髄を受け取る力量のある弟子が現れるまで、岩窟で座禅して9年間待ち続けた。(面壁九年)
誰が教えてくれと頼んでも、彼は振り向きもしなかった。
そして9年後、慧可(えか)が達磨の元にやってきます。
(壁面九年)
そして、慧可は
「どうか振り向いて教えを説いてください。
あなたが振り向かないのなら、私は自分の腕を切り落とします。」と言って
次の瞬間、自分の腕を切り落とし、達磨に差し出してしまった。
(慧可断臂 えかだんぴ)
すると達磨は9年の歳月を経てようやく振り向き、
「私はお前を待っていた。」と言い。
仏陀からインドでボディー達磨に伝えられた、教えの精髄を慧可に伝えたのです。
達磨はこの教えを受け継ぐものは、自ら現れ、自分の腕を切り落とすという「ビジョン」のようなものが見えていたようです。
だから、自分が伝えたいことを受け取れる慧可が現れるまで、彼は一切無駄なことはしなかったのです。
まぁしかし、これも生徒が教師からカリキュラムを引き出す例です。
数学専門塾の特別カリキュラム
あと私が知っている例は私の長男の例です。
彼は理数系が得意でしたから、数学の専門塾に行ったのです。
ひとりの先生が数学だけを教えています。
その先生が彼の学年の精鋭を数人集めて特別クラスを編成してくれました。
もちろん採算度外視でしょう。
教師というのは力量のある生徒が来ると、意気に感じて、自分の持てる力をフルに発揮して彼らに伝えたくなるのです。
それはもう教師の血がさわぐのです。(笑)
そのクラスの生徒は、その先生の期待に応えて、持ち味を発揮しました。
私の長男も、その先生に「その第一志望校に受かったら、私の自転車をやる」と口約束を取り付け、実際に合格してしまい。彼は夏休みにその塾の先生のところに遊びにいき、その外国製高級自転車をもらって、乗って帰りました。(笑)
まぁしかし先生とうのは、力量ある生徒に自分の持てる力を存分に発揮して教え、彼がそれを獲得して、成果を発揮した時、もっとも充実感を感じるのです。
教師冥利に尽きるのです。
そのために教師をやっているのですよ。
先生が、その生徒の容姿がかわいいからとか、何かもらったからでエコひいきする人がいるならば、その先生はクソです。
そういうことは絶対にやっちゃいけない。
しかし、先生は本当に学ぶ意志のある、しかも自分が全力で教えなければならないような生徒がいると、特別カリキュラムのようなものをしたくなるのです。
それは先生というのはそういうことのために情熱を燃やして生きているからです。
教師というのはそういうものです。
いいカリキュラムは生徒とのコラボでできるものです。
いつの時代でもそうでしかあり得ないのです。
思考、が言葉、行動を生み出し、人生を作ります。
先生が何を思考しているのか、生徒が何を思考しているのか、
それがいいカリキュラムを生み出す最大の要素です。
創造の原理はそこにしかないのです。