12月から力の使い手になられたHさまからメールをいただきました。
「私は、家族の浄化に挑んでいました。始めは、
悩みました。
それで、先ずは深呼吸と瞑想。
心の波風をたたせないってかなり冷静を保たねばならないようです
瞑想は、
どんな考えも、全て1人1人違うので、外れはないわけですから、
自分を解放させる!
頑張ります!(笑) H(2017年1月3日 12:56)」
とても素晴らしい気づきです。
>先ずは深呼吸と瞑想。
私は今まで「瞑想」という言葉を使ってことなかったと思います。
「瞑想」というと特定のポーズをしたり、特性の方法でなければならないと考えてもらいたくないからです。
しかし、「心の雑音を沈める」というのは大賛成です。
私はお気に入りの紅茶を飲んだり、自転車に乗ったり、
公園や海辺を散策したり、多くのそういうお気に入りの方法があります。
実はPCデスクの前の目をつぶりそのまま静かに過ごすこともしばしばです。
それを瞑想というのなら瞑想です。
ぜひご自分なりの「心の雑音を沈める」方法を見つけてください。
(むかしは結跏趺坐を組んだりしたこともありましたが、今はそういうことはしませんね(笑))
古来より瞑想の重要性は指摘されてきました。
それは「本当の自分」に気づくためです。
少し解説します。
私達の身体は38億年の進化を遂げて自律神経によって、人間が意図しなくても完璧に健康に機能するようになっています。
私たちが病気や不幸になるのは、不自然な身体の使い方をしたり、不自然な考え方、生き方をしているためです。
安保徹先生は病気の原因は100%ストレスと指摘されています。
私もその通りだと思っています。
ストレスとは「本当の自分」ではない、不自然な考え方、生き方から生じています。
その不自然な考え方はどこから仕入れたのか?
それが正しいと考えてきた親や先生や社会からです。
もし彼らが幸せそうな顔をしておらず、心に「不安、恐怖、怒り」があり、病気になるならば、彼らの考え方、生き方には不自然が部分があるのです。
その彼らの言う考えを受け入れていたら自分も彼らと同じように病気になるのは当然のことです。
自分の生き方はその人が選びますから、ご本人以外は変えることができませんが、もし彼らが変えたいと思った時、この病気や不幸から解放されたいと思った時、浄化と気づきでお手伝いするのが「力の使い手」です。
不自然な考え方、生き方とは「本当の自分」になること以外のすべての生き方のことです。
「不安、恐怖、怒り」に支配されて生きる、お金のために生きる、世間体を気にして生きる、誰かの期待に応えるために生きる、○○ねばならないという考えに従って生きる、自分は○○しかないと思って生きる・・・・・
テレビをつければ、やれ事件が起きた、世の中はあぶない、病気に対策が必要だと、人を不安にする情報があふれています。
私たちはそういう「本当の自分」以外の情報に振り回されて生きています。
だからあれほどCM放映料が高額なのです。
なぜなら、CMでおいしそうにかぶりつけば確実に消費が増えるからです。
私たちは自分でそれを食べたいと思っているかもしれませんが、実に多くの行動を誰かに無意識に「選ばされている」のです。
社会や周囲の人は、あなたが「本当の自分」であることに何の関心もありません。
ただ社会にとって、会社にとって、家族にとって「役立つ人間」であって欲しいだけです。
ですから、社会、会社、周囲の人は色んな「常識」を使って、自分の意図に誰かを沿わせるための情報を大量に流しています。
ふだんそういう情報にどっぷりつかっている私たちは「本当の自分」の声がすっかりわからなくなっています。
ですから、そういう外から仕入れた情報をわきにどけることが大切なのです。
それが「心の雑音を沈める」ということです。
「本当の自分」は何を求めているかということに耳を傾けることです。
例えば「心の雑音を沈める」と、目の疲れを感じることがよくあります。
私たちはスマホやモニターなどを長く見つめ、目が緊張して疲れていることさえ気づかなくなっています。
それはひとつの「本当の自分の声」といえます。
そういう時は、目を意図的にリラックスさせ、緑豊な散歩道を歩いてみたりすることが大切です。
それは「目の使い方がよくないよ」という身体からのメッセージなのです。
それを無視して、長い間不自然な使い方を続けていると当然視力が低下します。
「お金が目的でなければ何をしたいですか?」という記事を書きましたが、まさにそういう「本当の自分」に気づくことが「心の雑音を沈める」ことなのです。
私たちは、不安、恐怖、怒り、から考え発想すると、そういうことを現実化してしまいます。
思うことが現実を創造するからです。
ですから自分の人生を幸せなものにしたければ、自分の心を幸せな状態、すなわち「不安、恐怖、怒り」のない状態にすることが大切なのです。
「心の雑音を沈める」ことで、平穏で穏やかな、まさににっこりしてお茶をいっぱい飲むような心境で「ああこんなことしたいな」「これは楽しそうだな」と思うことが「本当の自分」の声です。
瞑想というのは、自分の中にある不安、恐怖、怒りから解放されるということです。
私たちは本来の自分ではなく、人に期待される自分を演じ続けることで、その期待に応えられたなかったらどうなるのか、自分は見捨てられるのではないか。
そういう不安や恐怖、そしてどうしていいかわからない、怒りから発想してしまいがちです。それが病気や不幸を生み出しています。
そうではなくて、自分の内なる喜び、自分はどんなことに喜びを感じるのか、それを素直に追求していくことで、人に貢献する道がすべての人に用意されているのです。
神は微生物のひとつに至るまで無意味な存在は一切創造されませんでした。
あらゆる生き物が自分に素直に生きさえすれば、全体の調和の中で見事なバランスを保つよう宇宙は創造されているのです。
生活習慣病になる植物や野生動物はいないのです。
私たちも「本当の自分」に素直に生きれば、健康で幸せにすべてと調和して生きていけるように本来創造されています。
その「本当の自分」を見つけるために、「心の雑音を沈める」ことを大いにおすすめします。
私も大好きです。
瞑想を心の中に、「不安、恐怖、怒り」などのマイナスの感情のない状態と定義したいと思います。
何もない穏やかさが健康なのですよ。
身体もあそこが痛い、ここが重いというが不健康ですよね。
どこか「気になることがある」というのが不健康なのです。
心もそうです。
「不安、恐怖、怒り」など、気になることがあるのが不健康なのです。
気になることがないというのが心の健康です。
どうすればいいのか。
イエスは「神の王国に入るには幼子のようにならなければならない」と言われました。
幼子は何も気に病んでいないですよね。
無邪気です。
あれが心の健康です(笑)
神の王国です。
自分自身であるということにただ喜びを感じている状態です。
何か起こっても「そうかね」と言ってやり過ごせばいいんですよ。
それは自分が相手に隷属することではありません。
「不安、恐怖、怒り」に屈して何かの価値観に自分をあわせることでもありません。
「そうかね」と言って超然として気にしないことです。
そして自分は自分の喜びを大切にして「本当の自分」を生き続けることです。
大病せず天寿をまっとうして老衰して肉体を離れる人はみんなそういう人ばかりです。
そして、「本当の自分」を大切にする人、自分の喜びを大切にする人は、自分以外のすべての人が「本当の自分」を大切にし、自分の喜びに従うことを尊重します。
いい意味で誰にも干渉しないのです。
あなたはあなたの人生を生きなさいとしか言わないものです。
なぜなら自分がそうしているからです。
自分が自分自身であることを大切にしているから、自分の周囲の人が自分自身であることを大切にできるのです。
自分自身を大切にしていない人は、必ず周囲の人に干渉しています。
あなたのここが間違ってる、そこが間違っている、ここがダメなんだ。
そういうことを言う人はみんな真の意味で自分自身であることができていない人です。
自分自身であることを大切にする人は、周囲の人もその人自身であることを大切にするからです。
そして、自分の喜びに従うことによって人は周囲に最大限の貢献をします。
義務ではなく、喜びですね。
私は天然酵母のパンを時々買いに行くのですが、私が最終的にリピートする店はいつもそのお店の人たちが「本当に楽しそうにパンを焼いている店」です。
自分や家族が食べたいパンを焼き、それを人々に食べてもらうのが楽しくて楽しくてしょうがないという雰囲気のパン屋さんです。
なぜそこで買うのか?
おいしいからですよ。
(利益のために色々まぜる大手製パン会社のものはもちろん買いませんが)生活のために義務的に焼いていたり、アルバイトで時間から時間でマニュアルに従って焼いていたり、生活の不安から悲壮感漂う表情で焼いていたり、そういうお店からは知らず知らずの内に足が遠のいてしまいます。そして気がつくとつぶれていることがよくあります。
「本当に楽しそうにパンを焼いている店」は無理をしません。
最初は自宅で焼いて、オーガニックマーケットみたいなところで出品するように始める人が多いです。しかし、おいしいものはみんなわかりますから、どんどん売れていきます。
それが楽しくてもっとたくさん焼けるようにしている間に、いつの間にかカフェを併設した素敵な店をもっていた。
そんな感じの店が多いです。
自分の内なる喜びに従っているだけです。
楽しんでいます。
そして、そういう人が一番いい仕事をするのです。
私が顔を覚えられているカフェ兼パン屋さんはそういうところばかりです。
>そして神様に家族の浄化が出来るように頼みました。そしたら、
素晴らしいです!
まだ「力の使い手」になってひと月の初心者なのに、ご主人を浄化できている時とできていないときの違いを自分ではっきりと認識しておられます。
そして、どうしたら浄化できるようになるのか自分の方法を見つけれました。
>心の波風をたたせないってかなり冷静を保たねばならないようです
私は普段はほとんど心に波風をたたせないで生活しているので、人にこういうことをアドバイスすることを忘れがちですが、Hさまがこうしてその重要性を改めて気づかせてくれました。
ぜひご自分の「瞑想」を見つけてください。
「瞑想」とは、心の中に「不安、恐怖、怒り」がない状態、それらに動機づけられて行動していないということです。
自分の心の穏やかさ、喜びを自分の人生の動機とすることです。
あまりにも人工的で忙しすぎる日々はそれを難しくします。
「忙しい」とはよく書いたものです!
「忙しい」とは「心」を「亡くした」状態です。
「本当の自分」の心を亡くした状態が「忙しい」です。
できたら、海辺や公園など、緑や空や海が感じられる自然なところで、心穏やかにゆっくり散歩したするのがお勧めです。
そういうところに出かけられないときは、ゆったりしたところで素敵な写真集でもみながら、お気に入りのお茶を飲むのでもいいですよ。
私は大好きです。
長い浜を歩いたりするのも私にとっては瞑想です。
スペインを巡礼したり、バリ島を自転車でツーリングしたりするのも私にとっては瞑想ですね。
自分を見つめて、くたくたになるまで歩いたり、自転車こぐのも瞑想です。
山を登ったりするのも瞑想でしょうね。
温泉でのんびりするのも瞑想です(笑)
ぜひ「忙しい」心を亡くした日常から、スローダウンして、自分の心が「不安、恐怖、怒り」でみたされそれらを動機にして行動していないか見つめてください。
「不安、恐怖、怒り」は後天的なものですよ。
すべてそれはあとから社会や親、学校から学習したものです。
幼子はそういうものを持たずに生まれますからね。
ぜひ誰もが本来持つ、心の中の穏やかなスペース、すなわち「本当の自分」を大切にしてください。
>どんな考えも、全て1人1人違うので、外れはないわけですから、
その通りです!
すべてが神によって創造された世界において「間違い」はないし、「外れ」もありません。
ただ、その人が思考し、言葉にし、行動した選んだ現実を創造しているだけです。
ですからすべてはいい経験です。素晴らしい経験です。
ただ誰の心の中にも「より本当の自分」というものがあります。
それが宇宙の進化の原動力ですからね。
「本当の自分」に素直に生きれば、誰もが健康で幸せになれるように本来創造さているのです。
神の創造は完璧です。
ただ私たち人間は自由意志によって、本来の自分ではない現実も創造できる自由が与えられているだけです。しかしそれを選んだといても「間違い」ではないし「外れ」でもありません。
だいたい神が人に自由意志をお与えになったのに、その結果「間違い」や「外れ」を選んだからと言って人を罰するなど、神をなんちゅうば愚かなサディスティックな存在と考えているのでしょう。
もし人間が「間違い」や「外れ」を犯すことが罰に値するなら、初めからそういう可能性を排除して人間を創造すればいいだけの話です。
全知全能の神をどこまで無能あつかいすれば気が済むのでしょう(笑)
神に似せて創造された人間は、本来完璧に創造されています。
その人間に与えられた自由意志によって選ばれたあらゆる行動に「間違い」も「外れ」もありません。
すべては神の一部です。
すべの人は神の一部です。
すべての生命は神の一部です。
ただ永遠の魂の旅路においてひとつのエピソードがあったというだけです。
私たちは「本当の自分」でないことさえ選択でき、自由に創造できる素晴らしい存在です。
しかし、そのような創造を行っても、この宇宙は完璧なバランスを保ち、魂は永遠であり、
生命は無限に進化していきます。
神は真に偉大な宇宙を創造されたものです!
まぁ全知全能なのだから当たり前か!(笑)