【遠隔浄化の目的】「再び立ち上がって、自分の人生のハンドルを握りしめ、自分自身で幸せに向かって歩きはじめるためにある」

夫が癇癪持ちです。彼の道理に合わないこと、失敗や間違いを私たち家族がすると激昂します。だからダメなんだとか、バカだとか、頭をぶたれることも。

こういった癇癪も遠隔浄化可能でしょうか。
また、遠隔浄化を本人に伝えないでする事は出来ますか。

まずですね。
一番いいのはもちろんご本人からの直接依頼です。

しかしご病気のご家族の間接依頼を受けることもあります。

その際は伝言ゲームのようになってしまいます。

その人の人生に起こることは、その方の思考、言葉、行動の積み重ねで生じています。

ですから、病気にしろ、その他のことにしろ、もしその方が「現状をなんとか変えたい」と思われることが大事です。

ご主人は現状を変えたいと思っておられないのではないのですか?

怒鳴って言うことを聞く人がいるなら便利だからです。

私はそういうことがいいことだとは思いませんが、何か便利な立場にいる人はなかなかそれを自分から手放そうとしないものです。

しかし、どのような状況にも必ず改善方法はあります。

その点は確かですから、ご自分の人生を決してあきらめてはいけません。

>夫が癇癪持ちです。彼の道理に合わないこと、失敗や間違いを私たち家族がすると激昂します。だからダメなんだとか、バカだとか、頭をぶたれることも。

人は自分から出たものを最終的に自分で受け取ります。

ご主人がそういうことをするなら、ご主人の人生にやがてそれにふさわしいことが起りはじめます。

それは法則ですから避けられません。

まず、誰でも自分の道理を相手に押し付けるという考え方をしている限り、人間関係がうまくいくことはありません。

誰もが「自分自身でありたい」からです。

ですから、その人の道理を自分に押し付けてくる人は誰も許すことができないのです。

我慢することはできますよ。

しかし許すことはできません。

そして、それはずっと続きます。

なぜなら、その人の道理に、ある人がぴったり適合することなど絶対にないからです。

何か必ず文句があるのですよ(笑)

永遠に文句をつけ、命令し、あれこれいい続けることができます。

決してあなたは、その人の道理にぴったり適合しないからです。

しかも「その道理」は相手の「ご都合」によってどんどん変化しますからね(笑)

あなたが自分でその立場を容認している限り、あなたは永遠にその「ご都合主義の道理」に振り回され続けるのです。

ですから、人は自分がそのような状況にある時、決して相手を許すことができないのです。

人間関係がうまくいくためには、お互いが
「みんなちがってみんないい」を認め、お互いが自分自身であることを尊重することです。
逆に言えば、相手に何も押し付けないということです。
そして、自分から出たものは必ず自分に帰ってきますから、
どんどん自分から、自分がそうしてもらったら嬉しいことを相手に出せばいいのです。
お互いがそうします。
分かち合いですね。
そうすると嬉しいことの分かち合いの循環が完成し、楽しい人間関係になります。

それ以外に人間関係がうまくいく方法はありません。

ポイントは2点です。
・「みんなちがってみんないい」を認めていない。(自分の尺度に適合しない人は間違っていると考えている)
・「自分から出たものが自分に戻って来る」を理解していない。

世の中の存在は、すべての植物、昆虫、微生物、人間に至るまですべて「みんなちがってみんないい」のです。
それは真実ですから、真実には従うしかないのです。
真実に沿わない考えはすべて最終的にうまくいきません。

そしてそれはいいことです。

自分から出たものは自分に戻って来るというのも、真実ですから、誰でも簡単にしあわせになれます。
すなわち自分から出すものを自分が受け取りたいものにするだけです。

とっても簡単なんですよ!

人間関係をよくするのはとっても簡単です。
・「みんなちがってみんないい」
・「自分から出たものが自分に戻って来る」
に気づくことです。

これらは両方真理ですから、最終的に誰もがこれに従って生きるしかありません。
それ以外の方法はすべてうまくいきません。

何か自分の人生に不調和を呼び込んでしまうんですよ。

逆に言えば、それに気づくだけ、たったそれだけで、すべての人間関係がうまくいきます。

私は年末に中二のクラスメイトのほんとに何十年ぶりに再会しましたが、人間関係はみなと極めて良好です。
私の大学生の子供ともに、去年の夏もイタリアに自転車旅行に行きました。

・「みんなちがってみんないい」

でお互いを尊重していれば、家族であれ友人であれ、良好な人間関係がずっと続くのです。

逆に、友人にしろ、子どもにしろ、私が自分の価値観にあてはまるよう要求し、そうしないと激高していたら決して良好な人間関係にならなかったでしょう。

それは実に当たり前のことです。

さて、自分の周囲に「みんなちがってみんないい」を理解しない人がいたらどうしたらいいか。

まずですね。

「私は自分自身でありたい」と意見表明しないといけません。

親であれ、家族であれ、自分自身でいることを認めてくれない人に、

「私は自分自身でありたい」と伝えてください。

そして、お前はバカでダメなやつだから、そんな考えじゃうまくいかない、これはお前のためだ。

と言われるかもしれません。

そうしたらその人をよく観察してください。

その人が幸せであり、自分もその人のようになりたい、と感じるならば、その人には学ぶべきものがあります。

その人の言葉に耳を傾けた方がいいかもしれません。

もしその人が幸せそうに見えず、その人のようになりたいと感じないならば、もちろんその人の言う通りにしていたら自分の人生が不幸になります(笑)

さっさとその人の影響下から立ち去った方がいい。

多くの子供が、大学生になってひとり暮らしを始めることに、あれほど喜びを感じるのはそのためです(笑)

親が幸せそうに見えないのに、その考えを押し付けるからです。

ここでもうひとつ真理に反する考えがあったので解説しておきます

「お前はバカでダメなやつ」という考えです。

すべての人は無限の可能性を持っています。

それがまだ潜在していて開花していない人はたくさんいますが、無限の可能性をもっていない人は誰ひとりいません。

そういう意味で「バカでダメなやつ」は一人もいません。

ですから「お前はバカでダメなやつ」という思考を持っている人は真理に反していますから、そういう思考が前提の人もうまくいきません。

もちろん「お前はバカでダメなやつ」というのは「みんなちがってみんないい」に反しているのです。

言っときますが真理に反してることはどんな考えも最終的にはうまくいかないんですよ。

無駄な抵抗はやめて真理には従うしかありません。

そして真理というのはすべての存在が幸せになるようになっているのです。

ですから、真理に反する思考がうまくいかないのはとてもいいことです。

さて、何がいいたいかというと、

・「みんなちがってみんないい」
・「自分から出たものが自分に戻って来る」

以外の前提に立っている人とは何をやってもギクシャクします。
それは真理に沿っていないからです。

では、現実問題としてはどうしたらいいのか。

自分は
・「みんなちがってみんないい」
・「自分から出たものが自分に戻って来る」
に従って生きます。

そして、自分の周囲の人にも「そうしたらいいよ」と勧めてください。

そして、自分の周囲に
・「みんなちがってみんないい」
・「自分から出たものが自分に戻って来る」
に従って生きるひとと「だけ」とお付き合いしたらいいのです。

そして、本当はそういう人と結婚したらいいのです。

・「みんなちがってみんないい」
・「自分から出たものが自分に戻って来る」
で、お互いに分かち合うものがたくさんある人、同士が結婚するのが幸せな結婚です。

不幸とは、
・お互いが相手自身であることを認めず、
・一方的に要求し、(=身勝手であり)、
・お互いに分かち合うものがほとんどない

人間関係をいつまでも続けていることです。

相手はいかに「お前はバカでダメなやつ」であり、私は正しいことを知っており、私の言うことを聞くのがお前の人生の幸せの道なのだと「誤った考え」を押し付け、あなたを納得させようとするでしょう。いかにそれが正当な考えであるか、日々あなたに刷り込みます。

そういう人間関係が生じた時は、「今までありがとう」とさっさと静かに立ち去るのがいいのです。

何もケンカする必要はないんですよ。
あなたは
・「みんなちがってみんないい」
・「自分から出たものが自分に戻って来る」
という価値観に従って生きていたいけど、相手はそうしたくないと思っているなら、
それは相手の選択ですから、相手がそれを生きることは認めてあげなくちゃいけない。

ただし、それに私はおつきあいしないと意思表明し、実行すればいいのです。

類は友を呼びますから、
相手は
・お互いが相手自身であることを認めず、
・一方的に要求し、(=身勝手であり)
・お互いに分かち合うものがほとんどない
人を引き寄せるでしょう。
そして、その人間関係の中で経験を積み重ねて学べばいいのです。
どうしたら幸せになれるのか?

その経験を通じて、結局
・「みんなちがってみんないい」
・「自分から出たものが自分に戻って来る」
に生きるしか幸せになる方法がないことを学ぶでしょう。

しかし、すでにそのことを知っている人は、その学びにわざわざおつきあいすることはないのです。
何しろそれを知っているあなたの方を「バカでダメなやつ」と考えているのですから(笑)

相手がそれを一番早く理解する方法は、
相手に文句を言うチャンスをなくすことです。
目の前にあなたがいると「お前が悪い!」と言ってしまいます。
実際そう考えています。
ポイントは「お前が悪い!」と言えなくてしてしまうことなのです。

それには静かに立ち去るのが一番いいのです。

今までありがとう、あなたはあなたで幸せになってね、私は私で幸せになるわ。

と言ってできれば握手でもして静かに立ち去ります。

そうすると何がいいかと言うと、「ストーカー行為」を受けないんですよ。

相手は「お前が悪い」と考えていますから、ムカムカして別れてもあなたのことを思い出して仕返しをしようと考える可能性があります。
それを防ぐため、「静かに立ち去る」のです。

何が言いたいかというと、相手が早く「こうなってしまったのは一体自分の何が悪かったんだろう?」と考え始めるのが、最も相手のためになるのです。

「こうなってしまったのは一体自分の何が悪かったんだろう?」と考えを巡らし始めたら、やがて「自分から出たものが自分に戻って来た」のだな。

という理解に達するチャンスが出てきます。

「お前が悪い」と考えていたり、仕返ししてやろうなどと相手が考えている限り、「自分から出たものが自分に戻って来た」という真理に気づくことは決してないのです。

何かに「気づく」時、人は誰でも自分自身に向き合って内省する時間が必要です。

ですから、人はひとりでカフェでゆっくり過ごしたり、ひとりで海辺を散歩したり、ひとりで旅に出ることことを時に好むのです。

すべてひとりの時間を作って内省するためです。

自分を振り返るためですね。

その時間を自分で持とうとしない人は、自分で気づくことはなかなかありませんから、静かに立ち去って、お互いに自分を静かに見つめる時間を持てばいいのです。

テレビを見続けたり、スマホのゲームをやり続けていたり、SNSでえんえんとおしゃべりを延々と続けていても、人生何も変わらないんですよ(笑)

実際そういう人はとても多いし、そういう人が「お前はバカでダメなやつ」であり、私の言うことを聞くのがお前の人生の幸せの道なのだと「誤った考え」を押し付け、時々癇癪を爆発させている限り、その人が自ら軌道修正する時間は、その人の人生に残念ながらほとんどないのです。

もちろんあなたが「みんなちがってみんないい」「自分から出たものが自分に戻って来る」などと言っても、「何をござかしいことを!」と思うだけで彼の耳には入らないでしょう。

あなたがこういう状況を我慢し続けることも、彼に何かを話して納得してもらうことも、ただ単に時間の無駄であることが残念ながら非常に多いのが現実です。

静かに立ち去った方が、お互いにより早く「新しい気づきのための変化」を起こせるのです。

人は「自分から出た一体何が、今のこの結果を招いたのか」を内省する必要があるからです。それなくして、その人の人生がよりよく変化することはないからです。

少なくとも、今より、幸せになりたいと思っている人は、その検証が絶対に必要です。

その人の現実はその人の「思考、言葉、行動」の積み重ねでできたものであり、現実を変えたければ、自分の「思考、言葉、行動」の何を変えればいいのか。いうことを思考しなければならないからです。

決して人は変えられれないのです。

しかし、彼が癇癪を起すと、あなたが彼の言う通りに我慢するので、彼は「人は変えられる」と誤解しているのです。しかし、その誤解はあなた自身がそれを容認することで、ずっとその誤解を支えているのです。

人の人生がよりよく変化しないのは、その検証をしないからなんですよ。

そして、その検証をするためには一人の時間が必要です。

ひとりで過ごす時間を持とうとせず、何の検証もしない人の人生は、外圧によってしか変化しません。

それは病気や、不幸と呼ばれる現象です。

何もそんなことをわざわざ経験する必要はないのですよ。

自ら検証し、よりよい方向に変化し続けていれば。

もし、自ら変化することができないなら、病気や不幸と言った外圧が、新たな気づきを強制的にもたらしてくれます。

それでも気づけない場合も大丈夫です。

ちゃんと病気が重くなって、死と呼ばれる現象を迎え、新しく幸せに向かって再スタートできます。

ですから、人はどういう方法で変化し、再スタートしてもいいのですが、

できれば、離別、病気、不幸、死を経験せずに変化した方がいいですよね。

それが本当はお勧めです。

そのためには、一人の時間をもうけて、自分の「思考、言葉、行動」の何を変えればいいのか検証すればいいのです。

それが問題解決の本質です。

私は、あなたがどんな「思考、言葉、行動」を積み重ね来たら知らないのです。

その検証を行い、自分の幸せにつながる今までとは違う「思考、言葉、行動」を選ぶのはあなた自身です。

その人の人生において、その人に「思考、言葉、行動」の自由意志があるのは絶対原則です。

その人が、その人の人生の主権者であることは変えられません。

私がお手伝いできるのは、あなた自身が自分の「思考、言葉、行動」を検証するのを手伝い、今起こっている現実とは違う現実を生きたいのであれば、どう今までと違う「思考、言葉、行動」を選べばいいかアドバイスすることだけです。

最終的に、自分の「思考、言葉、行動」を選ぶのはあなた自身です。

幸い、すべての人は、その人の「思考、言葉、行動」で100%その人の人生を創造していますから、どのような幸せな選択であれ、あなたが選ぶならそれはあなたのものです。

しかし、その幸せのための「思考、言葉、行動」を選ぶのはあなた自身なのです。

当然ながら、私はあなたに変わって思考し、しゃべり、歩くことはできないし、そうするつもりもまったくありません。

私は誰の人生にもその人の同意がないのに介入するつもりはまったくありません。

私にあなたの人生の問題を丸投げしようと思ってもダメですよ(笑)

私にはそれは解決できません。

それを解決するのは「あなた」です。

あなたの「思考、言葉、行動」です。

あなたがそれを成し遂げようとする時、私にできるのは、こうしてみたらいかがでしょうかといういくつかの提案です。

そして遠隔浄化は、あなたが何かを成し遂げようとする時の援護射撃です。

あなたの人生の司令はあなた自身なのです。

それは絶対に変えられないのです。

私はあなたの要請に応じて、人生の必要な局面に作戦参謀として着任し、あなたに新たな作戦を提案し、必要な援護射撃を行うだけです。

今までの現状維持を続けることも含め、どの作戦を選ぶかはすべてあなたが決めることです。

私がすることは、実は「選択肢はたくさんある」ということを示すだけです。

あなたの思考、言葉、行動で構成されているあなたの人生の司令はあなたなんですよ。

誰の人生でもそうでしかあり得ません。

これを買えばすべてうまくいく、これさえすればうまくいく、私を信じてついてくればすべてうまくいく、などというのはすべてまやかしです。

うまくいく方法はただひとつ。

あなたがあなたの人生のハンドルを握りしめ、自分自身の人生の司令に着任する時だけです。

あなたは今まで自分の人生のハンドルを握って運転してこなかったかもしれません。

もともと自分に備わっている直観という計器の読み方を知らないかもしれません。

すべての人は、自分自身に直観という自分の人生を正しく導く計器が備わっているし、

自分が解決したいと思う問題をすべて解決できる能力を持っています。

自分自身に降りかかる問題で、乗り越えられないものは何もありません。

神様は人に乗り越えられない困難を与えて押しつぶすほど理不尽ではありません。

あなた自身に降りかかる問題はすべて最終的に自分で乗り越えられるものです。

もし今あなたの人生に困難があるなら、それは自分が幸せになるために避けて通れない必要な試練です。

さっさと、それを正面から受け止め、立ち向かった方がいい。

逃げてばかりじゃ同じ試練に追い回され続けるんですよ。

あなたが問題を先送りしても、必要な試練は、あなたがそれをクリアしない限り、繰り返し繰り返し、時間を変え、場所を変え、人を変えてやってきます。

それは相手に問題があるんじゃないんですよ。

自分がその試練を呼び寄せているからです。

なせなら、それがあなたが幸せになるために乗り越えるべき試練だからです。

あなたはまずそれを自分で乗り越える覚悟を決めなくちゃいけない。

よし私はこの私の人生の問題解決に正面から取り組もう。

問題の本質を理解し、自分の今までの「思考、言葉、行動」を検証し、自分が幸せになるための「思考、言葉、行動」を選ぼう。

私は自分の人生の司令になって、この問題を解決しよう。

その際、この困難を乗り切るために作戦参謀と援護射撃部隊として榎本さんに応援を要請しようということであれば、

私は喜んであなたのプロジェクトに作戦参謀として着任し、あなたの人生の司令であるあなたが問題解決のために必要な意志決定ができるようにお手伝いするでしょう。

それは私の喜びとするところです。

まぁ最初は、今までの出来事や人生に希望が見えず、体も弱って疲れ果て、ちょっと一息休みたくてそれどころではないかもしれません。

そういう時もあるでしょう。

そういう時には遠隔浄化に頼ってもらっても構いません。

しかし遠隔浄化はずっとそういう状況を永続させるためにあるのではありません。

身体を休め、心が落ち着き、力が回復してきたら、再び立ち上がって、自分の人生のハンドルを握りしめ、自分自身で幸せに向かって歩きはじめるためにあるのです。

最終的に目指すべきところはそこにあります。

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