神田佳代子さん

先の投稿でインシュリン君こと山口さんの死について書いた。
私にはどうしても忘れられないもうひとりの伝授者の死がある。神田佳代子さんだ。自然の力の伝授者である間はこういう追悼さえ書けなかった。こういうことに向き合うことさえタブーの空気がある。あれだけ天光地に通った山ちゃん(インシュリン君)や神田さんの追悼のブログを書いた伝授者はいないのではないか。

神田さんは今年(2015年)の1月22日に他界された。まもなく1年になる。

神田さんは自然の力の中でもなかなか浄化がすっと入らない稀な人として有名だった。乳がんになり私が浄化をさせていただいていた。

浄化して痛みが消えてもそのいい状態が長続きしないのが悩みの種だ。
どうしたらもっといい状態を長く継続できるだろうか。そればかり考えていた。

神田さんはある日、東京の温熱療法の病院を見つけ訪問している。私も相談を受けたが、「自分のことは自分で決めてください」と私は誰に対しても言う。

浄化を依頼されれば、全力を尽くすし、別のものを選ばれてもそれはその人の選択だ。特にがんなど命にかかわる病気では慎重にならざるを得ない。
私の経験で言えば少なくとも一時的には病院と併用される方のほうが多かった。それでいい。

しかし自然の力の中には「自然力(神様)と病院とどっちをとるのか。」と詰め寄る人もいる。
神田さんは詰め寄られ最終的に自然の力を選んだ。

浄化を続けていたある日、神田さんが電話をかけてきた。
湯布院の玉の湯からだった。
その頃は神田さんは仕事をしており、車も自分で運転していた。自然の力の玉の湯の温泉ツアーに自分で車を運転して参加していた。
いつもはメールでの連絡ばかりだった神田さんが急に電話をしてきたので、私も「何だろう?」と思った。

電話に出ると、「さっき東京のS先生に浄化してもらったら痛みがよくなりました。それでS先生に浄化をお願いすることにしました。」「南先生が(榎本に)電話してあげてと言われるので」と言う。
別に私は誰が浄化してもその人がよくなるならかまわない。

「わかりました。ぜひよくなってくださいね。」みたいなことを言って電話を切った。

私はその少し前にアメリカに行っていて実はアメリカ滞在中に、もう1ヶ月も伝授が切れていると連絡を受けた。

1ヶ月間と言ったら、まだ日本にいて、天光地体験会や浄化会で、はっきり言って南さんの目の前でバリバリ浄化していた。まったくつじつまが合わないがそういうことは口に出せない。

実はアメリカでも、地元の人を相手に浄化して「Oh Miracle!」などと言われ、自信を深めていた。もちろん連絡後は浄化をやめた。

アメリカ滞在中はずっと「伝授が切れている」ことになったので、私がアメリカで浄化出来ていたことを言うとはなかった。だからこの旅行記もサンフランシスコどまりだ。実はその後の方が長いのだが、書く気になれなかった。
しかし今は伝授者ではないので、またいつか書きたい。

自然の力の伝授者であるということは本当に窮屈なことだ。やめてはじめてそのことに気がついた。それだけでももう2度と戻る気がしない。人にとって心の自由はそれほど大切なものだ。自然の力はすべて自由といいながら、どんなに間違っている、矛盾していると感じても、自分の良心を曲げて南さんの意向に従わないと伝授が切れる。

南さんは、神田さんを通じて榎本は「やっぱり浄化できてなかった」と言いたかったのだろう。

それが4月の終わりごろだった。

私が浄化をやめて、神田さんは坂道を転げ落ちるように悪くなった。仕事もやめ、まもなく車も運転できなくなった。わずか3ヵ月後には東京のSさんにも浄化顧問を断られてしまう。手に負えなくなったのだろう。

神田さんは、同じ短大の出身でもあり、いつも南さんの近くにいるOさんに浄化顧問を頼んだ。私はOさんが「自然力(神様)と病院とどっちをとるのか。」と神田さんに詰め寄っているのを何度も見たので、当然神田さんの浄化を引き受けるのだろうと思っていた。

しかし、神田さんは何度お願いしてもOさんが浄化顧問を引き受けてくれないという。

Oさんに聞くと「私も影ながら応援する」という。どんなに言っても絶対に自分が浄化を引き受けると言わない。

Sさんの顧問期間中にも頻繁にOさん南さんのところにも相談があり、実際南さんも繰り返し浄化していた、しかし坂道を転げ落ちるように悪くなった。
だからすでにやり尽くして見込みがないから引き受けないのだろう。

最後に逃げ出すなら、なぜ「自然力(神様)と病院とどっちをとるのか」などと詰め寄るのか。

つらくても最後まで寄り添うのが、詰め寄り、南さんの最も近くにいる者の責任ではないのか。しかも同じ学校の後輩だ。

しかし最後には神田さんに「浄化できない人」という烙印まで押してしまった。

自然の力は彼女を見捨てた。「浄化できない人」になった彼女の自己責任というわけだ。

自然の力を純粋に信じ、最後に見捨てられた彼女がどれ程絶望したかわかるだろうか。

自然の力に誰も頼る人がいなくなった神田さんは最後に私にまた浄化して欲しいと言ってきた。

私は一度彼女から断られた身だ。それに南さんがこの3ヶ月浄化し続けてこうなったことも知っていた。私も断った。

しかし神田さんは私しかいないと食い下がる。

私もそう言われると断りきれない。

南さんに相談すると「浄化できる人にした」という。(ならはじめからそうすればいい)

そんなこんなをやっている間に神田さんが救急車で病院に運ばれてしまった。8月はじめのことだ。

色々診断されてガンが全身に転移しており、余命一ヶ月と宣告される。

そんな人から必死に頼まれて見捨てることは私にはできない。

しばらくすると、これ以上治療のしようがないということで、一般病棟から「緩和病棟」に移動した。そこでは痛みがあれば緩和するだけで治療はしない。あとは死を待つばかりの病棟だ。

人に聞くと「緩和病棟」に移ったら長くて1ヶ月だという。

浄化を続けているある日メールのやりとりの中で「病院食がおいしくないのでこの前カップラーメンを食べたらおいしかった」とあった。

何でそんな悪い人がカップラーメンなど食べるのか!
自分の体を何と思っているのか。
「長崎ちゃんぽんが食べられますか?」と聞くと、「たくさんは食べられないかもしれないけど食べたい」と返事が来る。

その日の夜、病院の最寄の店を探して「長崎ちゃんぽん」のテイクアウトを注文し熱いうちに届けた。

とても喜んでくれた神田さんは「少しだけでも食べたい」とベッドに座り、「おいしい」と言いながらうれしそうに少しだけ食べた。

時々口に酸素マスクをつけ、ベッドで横になって休みながら話した。自分ひとりではトイレも行けないのがつらいと言っていた。変わり果てていた。

私の訪問を喜んでくれたが、話すのもつらそうだったので、あまり長居せずに帰った。

その後1ヶ月たった頃、また「長崎ちゃんぽんでもどうですか?」とメールすると「食べたい。」という。

この頃は余命宣告の1ヶ月目を過ぎていた。

病院につくと、神田さんは驚いたことに病棟の入り口に立って私を迎えてくれた。
歩く姿も普通に見えた。
病院のスタッフにもニコニコして声をかけている。

話す声にも張りがある。
長崎ちゃんぽんを「おいしい おいしい」と言いながら食べた。
話しをしては食べた。
そして、つい完食してしまった!

これには私も驚いた。本人もびっくりしていた。

もう酸素マスクはつけていなかったし、当然トイレも自分で行けた。

そのまま話していれば何時間でも話していそうな勢いだ。

余命宣告の1ヶ月を過ぎてこの調子なら、まだまだ行けるぞ!という手ごたえがあった。とりあえず余命宣告よりも長く生きることを目標に浄化してきたので、本当にうれしかった。

彼女は絵が得意だった。
調子がいい時は絵を描いてみてはと勧めた。
彼女に生きがいと言うか、楽しさ、意欲をもって取り組めることをもって欲しかった。

それで私が浄化するときにイメージしやすくするために自画像を描いて欲しいと注文した。

それが彼女が FBにのせた、最後の自画像だ。

kanda-san

この絵を受け取った私は自分の部屋の目立つところに飾り、この絵を見るたび毎日彼女を浄化した。
この絵は今も私の手元にある。
ご家族にお渡しできればと思っていたが、渡しそびれてしまった。

この絵を見ると色々と思う。

「ちゃんぽん完食」のひと月後「またどうですか?」と連絡すると、今度は違うものが食べたいということになった。彼女のリクエストの結果ドーナツになった。3か月目のことだった。この時もすごく元気だった。どうみても普通だった。

その後神田さんは子供たちとより長く過ごしたいという思いが募り、家の近くの病院にかわった。当然だろう。12月にはそこから自宅に戻ったと連絡があった。そうする体力があってよかった。

転院後、神田さんとあうは機会は2度となかった。

だから、この絵と「長崎ちゃんぽん」「ドーナツ」が神田さんとの最後の思い出だ。

彼女は思うところがあったのか年内で浄化を終えたいと丁寧な申し出があった。

12月31日去年の大晦日にも7通のメールをやり取りしている。

今見ると私は「新年も再来年もよいお年をお迎えくださいね。」と書いている。

ちょうど彼女が救急車で病院に運ばれたころ、彼女に浄化の再開を必死に求められ、引き受けるにあたって私はひとつの条件を出した。

「わかりました。引き受けるからひとつだけ条件があります。」
「守れますか?」何度も何度も念を押した。

「浄化を引き受けるから、絶対死なないでください。希望を失わないでください。弱音をはかないでください。約束できますか?」と。

神田さんは私に「約束します。」と言ってくれた。

年が開けて1月22日神田さんは二人の子供を残して旅立っていった。

「私が浄化している間は絶対死なない」という私との約束を律儀に守った。

彼女の名誉にかけて言うが神田さんは自分の言葉に責任を持つ立派な人だ。

無責任な自然の力の人たちとはまったく違う。

私が自然の力を引退したことを知ったある女性が以下のメールをくれた。

「・・・
私の左胸に乳がんが発覚し、シコリを作らない乳がんで、それは乳がんの人の中でも1%の人しかならない炎症性乳がんでした。
気づいたときには既にピンポン玉くらいの大きさがありました。
病院で検査に行くまで南先生からは「癌ではない!」と言われたのに、検診で癌とわかると「自分自身が癌を作った!」と言われ、ちゃんちゃら可笑しいと感じました。
自分の都合悪い事は人のせいにするのです。

それ以前から、事あるごとに「また、お金か!」と心の中では思っていましたが、文句を言うと伝授がキレると思ったので黙っていましたが、他の伝授者さんが自然の力を信じきってるのを見たとき、逆に「本当に純粋な気持か、全く良心がないかのどちらか」と感じていました。

そして、わたしの乳がんが皮膚を破って出てきたので、一刻も早く手術したいと小川先生に言ったら、
「自然の力で治すのか、医療で治すのかどっちか選ばないと、浄化が入らない」と言われましたので、「私は自分を信じて医療を選びます!」と言って自然の力を去りました。
もちろん、抗がん剤も身体に悪いとわかっていましたが、抗がん剤も放射線も受けました。
その後は直ぐにFBから、小川先生、原田さん、あべちゃん、ゆかりちゃん等から友達から外され、榎本先生や、橋本先生はそのまま残してくれていましたが、目につくと自然の力を思い出してしまうので、
こちらから削除してしまいました。
本当に申しわけないです。が、私の気持ちも理解してください。

そして、ずっと忘れる事が出来ないのが神田カヨコさんです。
榎本先生が顧問されていたと思うのですが、
私と同じ時期に、彼女も乳がんだとわかり、彼女は自然の力で治ると信じて、無治療の道を選びました。
彼女と最後にあった時、こう言ってました「癌があっても今は痛くも痒くもない!」
そして、その時の伝授は忘れてしまいましたが、
私に「〇〇が入ってないと、死ぬよ!死んでもいいの!?」って言われながら天光地を去ったのが彼女を見た最後でした。

今回も、夜眠れなくてインターネットで検索してる時に榎本先生が自然の力を去られた事を知りました。
が、神田さんの訃報を知ったのも夜眠れなくてFBを探した時です。
彼女が亡くなったのが今年1月22日。
・・・の翌日に亡くなったと知りショックでした。
彼女、私より軽度の2期だったはずです。
私は3b期でしたから、無治療でも彼女の方が長く生きると思っていました。
これは推測ですが、同じ時期に乳がん患者が2人居て、良い実験台だったと思います。
自然の力の皆さんは、医療を選んだ私のほうが先に死ぬと思っていたんじゃないかと思います。

神田さん、まだ2期だったから手術したら生存率90%ですよ!
亡くなるとき、彼女辛かったと思います。
癌が治らないときも「自分が癌を作ってる、神様に文句を言っちゃいけない!」ってきっと言われてたはずだから、自然の力に対して抗議も出来なかったと思います。
だから、最後にはマリア様に抱かれている絵を描いて訴えたかったのでは無いかと・・・。
ご家族方や息子さんは、さぞかし無念だったと思います。
私は、自然の力は人殺しと思いました。

自己責任で、無治療を選ばれたのは神田さんですが
信じきっていましたから私は何も言えませんでしたが、亡くなる前はきっと後悔してたと思います。
「治療を受けるべきだった!」と。

癌なんて、人ごとに感じてるんですよ、健康な人は。
実際に、死に直面するとき人間は少しでも生きたい!と思うんです。
明日は、我が身です。

・・・」

この方は完全に回復され、その後好きな人と結婚され、今しあわせに暮らしている。

自然の力を純粋に信じた神田さんは最後に自然の力に見捨てられた。
「これはおかしい」と自分を信じ、自ら自然の力を去った彼女に、神様は微笑み、命としあわせを与えた。

これが結果です。

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『神田佳代子さん』へのコメント

  1. アバター 名前:中里 投稿日:2015/12/22(火) 20:35:06 ID:e3f731837 返信

    神田さんを最期まで見捨てないで下さって本当にありがとうございました。

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