ご質問をいただきました。
・・・
先生の前向きさはどこから来るのでしょうか。
私は常に恐れを感じて過ごしています。
それがいけないと分かっていても、今回の台風でも、大きな被害が出たらどうしよう、と、つい考えます。
実際、竜巻でお隣は屋根が丸ごと飛んで行った事がありました。
でも、先生は、良い風が吹いている、と、笑って仰る。
何と素晴らしい、と、舌を巻きつつ、心地良さを楽しんで頂きたいと思いましたが、自分ではそこまではとても・・・。
とても無理、と思うからできないだけでしょうか・・・?
絶対的に信頼出来る大地なんてないと、いつも思ってしまいます。アホですみません。
お返事を頂ける様でしたら、お時間のある時に宜しくお願い致します。
思考が現実化する
「思考が現実化します」
「怖れ」などという強い感情を内面に抱いていると、それに見合った現実を引き寄せてしまいます。
幸せな現実を引き寄せたければ、内面に「喜び」を抱いていればいいんですよ!(笑)
そして、私は幸せな現実を引き寄せるのが好きなのです。
それだけですよ(笑)
「事実」を「観察」する
大きな被害が出たらどうしよう、と、つい考えます。
では、世の中に危険がないかというとそんなことはないですよね。
例えば台風で大きな被害が出たらどうしよう。
実際先の豪雨ではずいぶん被害がでましたね。
そういうことは世の中にありますね。
東日本大震災では津波の大きな被害がありました。
私は国の借金の増え過ぎによる通貨危機もあり得ると思っています。
それは「事実」であり「観察」なんですね。
ああ、実際にそんなことはあるなってことです。
ハザードマップを活用する
例えば、台風で豪雨になることはありますよね。
そうすると洪水が発生することがあります。
最近は行政がハザードマップをつくっていて自由に閲覧できます。
そうするとどこが決壊しやすく、どこの土地が低くで水がたまりやすいか色がつけてあります。
ご自分の住まれている地域のハザードマップは頭に入れておくことをお勧めしますね。
このハザードマップの「洪水」「土砂災害」「津波」についてそれぞれクリックして確かめておくといいです。
例えば「津波」に該当したとすると、大きな地震が起こって当地に津波警報が出されたら、自分はどちらに向かって逃げたらいいか。
もちろん標高の高いところですよね。
ああ、もしそういうことが起こったら、こちらに向かって走ればいいな。ということは頭に入れておいたらいいですね。
それは、世の中には実際そういうことはあるし、そうなった時にこうしようということですね。
車を運転していると、飛び出しや急ブレーキというのはあるかもしれない。
それに対応できる車間距離で走っていればいいですよね。
そういうことです。
世の中に飛び出しや急ブレーキがなくなれば一番いいのかもしれませんが、それは今のところ望めませんし、「なぜそんなことするんだ!」と憤ってもしかたがないのです。
そうなった時でも対処できる車間距離で走ることですね(笑)
病気も不幸も災害も自分には関係ないと思って過ごす
そういう安全のための情報は頭に入れて、車間距離をあけて運転したうえで、
思考は現実化しますからね。
「病気も不幸も災害も自分には関係ないと思って過ごす」のが一番いいのです。
私はそう思っていますからね。
実際、そういうものには縁がありません(笑)
私も過去には軽い事故をやったことがありますよ。
しかし、そういう時は思い出して欲しいのですが、ケンカしてむしゃくしゃしていたとか、何か内面が乱れていた時です。
逆にいうと、そういう内面が乱れている時に、決断したり行動したりしないのです。
まず内面を穏やかに整えてから決断したり行動したりします。
常に怖れを感じて過ごすよりも、どう楽しく過ごすか考える
人生80年なら80年常に恐れを感じて過ごしていると単純に楽しくないですよね!(笑)
同じ80年を過ごすなら、楽しく過ごした方がいいに決まっています。
常に怖れを感じて過ごすよりも、どう楽しく過ごすか考えます。
例えば、海外旅行を検討しているとします。
例えば「海外は怖い」と恐れてしまうと、もうそれ以上検討することはありません。
「怖れ」から発想すると、何をするにもある程度の危険は「あり得る」わけです。
そうするともう「恐れを回避する」には「海外旅行に行かない」というのが最適解なってしまいます。
あらゆる新しい不慣れなことは「やらない」方がいいということになります。
何しろそこには何かしらの「恐れ」がありますから。
そうすると、最終的には「何もチャレンジせずに」人生を終わることになりかねません。
新しいことは何もしないのですから、何も「恐れ」がないかもしれませんが、
その人は「人生を生きなかった」ことになってしまいます。
オーストラリアの看護婦さん、ブロニー・ウェアさんが、終末ケアの現場で数年間過ごし
「死ぬときに後悔することTOP5」を記録しています。
死ぬときに後悔することTOP5
1.他人が自分に期待した人生ではなく、自分の本当の人生を生きる勇気を持っていたかった。
多くの人が、彼らの夢の半分さえも重んじず、それは自身でつくった、あるいは自身がつくらなかった選択肢であることを知ったまま、死ななければなりませんでした。」
2.一生懸命働くべきではなかった。
子供の青年期や、両親との交流の機会を逃しました。
3.自分の気持ちを表現する勇気を持てばよかった。
多くの人が、他人との秩序を守るために自分の感情を抑えていました。その結果、彼らは平凡な存在であることに落ち着き、可能性をもった人になることはありませんでした。
4.友人たちと連絡をとりあえばよかった。
多くの人は、自身の人生に囚われてしまって、何年もの間の輝かしい友情を知らぬまに見過ごしてしまいます。すべての人が亡くなる時に友人を恋しがります。
5.もっと幸せにしていればよかった。
これは驚くほど共通します。多くの人は臨終の時まで、幸福は一つの選択ということに気づきません。彼らは古い慣習でがんじがらめになっていました。普段から慣れている『居心地の良さ』、変わってしまうことへの恐れから、他人にも自分にも満足しているように装っていましたが、また同時に、心から笑い、童心に戻ることを深く望んでいたのです。
死ぬ時に後悔することは最も「危険なこと」ですよね!
ですから、せっかく先人が残してくれたこのアドバイスを生かしたらいいのです。
すなわち、
1、人の期待にそうことではなく、自分の本当の人生を生きる。
2、あまりに一生懸命働き過ぎず(生存することに意識を使いすぎず)、子供の青年期や両親、友人などと多くの交流をもつ時間をもつ。
3、勇気をもって自分の気持ちを表現する。
4、友人や会いたい人に連絡をとり、実際に会う。
5、自分が本当に幸せに感じることを実行する。
人は何かを「したこと」を後悔するのではなく「しなかったこと」を後悔するのです。
絶対的に信頼出来る大地なんてない
>絶対的に信頼出来る大地なんてない、と、いつも思ってしまいます。
その通りですね!
地球上では、氷河期として知られる時期や、ノアの大洪水として知られる出来事もあったようです。
大地よりも、私たちの職場や、政府、通貨、社会制度などはもっと寿命が短いですね。
平家やローマも滅びますからね。
あらゆる太陽にも寿命はありますから、地球や太陽系でさえ永遠ではないでしょう。
外部に絶対安全なものは存在しないでしょう。
ですから、「外部に絶対安全なものはない」という事実を受け入れてしまえばいいんですよ!
そして私たちの本質は輪廻転生を繰り返す永遠の命です。
魂の観点に立てば私たちは死ねない=絶対に安全
魂の観点に立てば私たちは死ねない=絶対に安全なのです。
死んでもまた転生してくるのですから!(笑)
ですから、これを受け入れてしまえばいいんですよ。
私たちには本質的に死は存在しない。
輪廻転生を続ける「永遠の生」があるのみ!
私たちには永遠の生しかないんですよ!
私たちには永遠の生しかないんです。
永遠の生しかないんですよ。
いつも、いつの時もこの瞬間を永遠に生きる他にすることは何もないのです。
だって私たちは永遠の魂なんですから!
つまり私たちの本質を肉体として認識する限り、「絶対的に信頼出来る大地はなく」真の安らぎというものは存在しないのです。
私はこれが仏陀の理解だと思っています。諸行無常ですね。
生きること以外に選択肢はない
しかし、私たちの本質が永遠の魂であるならば、この瞬間も、その次の瞬間も、そのまた次の瞬間もずっとずっと生きるしかない。永遠に生きるしかない。
私たちには生きること以外に選択肢はないのです。
死んでも死ねないんですよ!(笑)
だから「すべてなるようになる」と思って、永遠の今を喜びにあふれて生きたらいいのです。
確かに、「絶対的に信頼出来る大地はない」でしょう。
しかし、それでも宇宙はなるようになるのです。
その大地は確かに絶対確実とはいえません。
宇宙がなるようにならなかったことは一度もないのです!
ものごとは絶えず変化し、絶対確実な「もの」な何ひとつありません。
しかし、その総体としての宇宙はなるようにならなかったことは一度もないのです。
そして、宇宙は放っておいたら、これだけ生命豊かな惑星を育むんですよ。
宇宙がそういうものであるこということは、今までの何百億年の歴史から、確実なのです。
もし地球の寿命が尽きる日が来たら、(それはいつか来るでしょうが)
私たちは宇宙船に乗って、宇宙へ大冒険に旅立つしかありません。
今までの宇宙の経緯を見れば、どこかで生命が続いていくことは確実でしょう。
もしかしたら私たちの人類という種は絶滅する日が来ても、私たちの魂が転生する場所がこの宇宙に存在しなくなることはないでしょう。
もしかしたら、しばらく霊として何百億年か待つ必要があるかもしれません。
新たな太陽系を創造し、地球を創造するするまでですね。
しかし、もし私たちが肉体をもつ生の経験を大いに楽しむなら、何百億年かかろうと、私たちは再び、太陽系や地球を創造するでしょう。
まぁこういう楽しい惑星を破壊しないように気をつけるのが一番いいと思いますけどね。
何しろ、何百億年も霊体にとどまって地球が再生されるのを待つのは暇だから(笑)
「絶対的に信頼出来る大地はない」というのは私も同意見
宇宙創造の原因者である神なる意識は、物質宇宙以前から、「ただ在り」理由なく「ただ在る」ものは消すことはできません。
宇宙がビッグバンで創造されたなら、いつか宇宙は消える可能性があります。
ある日地球が創造されたなら、いつか地球は消えるでしょう。
「始まり」があるものに「終わり」があることは避けられない。
これはどうしようもない。
あなたの言う通り「絶対的に信頼出来る大地はない」。
それは私も同意見です(笑)
しかし、私たちの本質は「始まりなき」存在。
「始まり」も「終わり」もなく「ただ存在する」永遠なる意識、
神よ呼ばれる意識の、分け御魂が私たち自身の本質です。
私たちもまた「終わりなき存在」なのですよ。
それを受け入れたら、この瞬間も、その次の瞬間も、そのまた次の瞬間も永遠に続く生を生き続けるしかない。
実はそれ以外に私たちに選択肢などないのです。
私たちには「生きない」という選択はないのです。
ただせいぜい、生きることを怖れて先送りしたり、怖れにたたずみ「生きることをやめた」フリができるだけです。
そうすると生のへの情熱を失い、ちゃんと神様が次の「永遠の生」を送ってくれるから心配いりません。(笑)
私たちには「生きない」という選択肢はありません。
ただ、あと何十回か何百回か、何千回か、怖れにおののいて縮こまって生きるというこはどういうことかという経験を積むチャンスを自分が望むだけ与えられます。
それもまた「自分の望み」です。
何しろ人生は、「常に恐れを感じて生きるもの」と考えているからです。
その望みは叶えられます。
「思考が現実化する」からです。
今生はもちろん、あと何百生でも好きなだけ、「常に恐れを感じて生きる」ことを選んでいいのです。
すべての選択肢はあなたのものです。
もちろん、「常に恐れを感じて生きる」選択肢も完全にあなたのものです。
それは成就します。
今、成就しつつあります。
それはあなたが「常に恐れを感じて生きる」のはもう嫌だ!と思うまで続きます。
あなたの望みは何だって叶えられるのです。
どうせ、「生きない」という選択はないのです。
あとは、あなたがあとどれくらい「常に恐れを感じて生きる」ことを思考するのかというだけの問題です。
今日までかもしれないし、あと百回転生したら、飽きるかもしれない。
あとどれくらいこれを経験したいかも自分で選んでいいのです。
それは「世界は常に恐れを感じて生きるべきもの」とあなたが心の底から信じればいいだけです。
間違いなくそれは実現します。
なぜならそれがあなたの思考(望み)だから。
私は「絶対的に信頼出来る大地はない」というあなたの意見に同意します。
私も実際そう考えていますよ(笑)
私が「楽天的」な根本的な理由
しかし、私は加えて、私たちの本質である魂は永遠であり、「なんとかならないことは絶対にない」と思っているのです。
あなたがそれを受け入れるかどうかは、完全にあなたの自由です。
私の「楽天的」な根本的な理由はそこにあります。
天は楽しいところだと思ているのです。
私は結構深く色々調べ考察しましたが、結局これを受け入れるしか、この世のさまざまな「苦悩」から逃れることはできません。あなたの言うとおり、「絶対的に信頼出来る大地はない」からです。
しかし、あなたの本質であり、私の本質である、終わりなき永遠の魂は、極めて信頼に値すると私は思っているのです。
確かにあなたの言うとおり「絶対的に信頼出来る大地はありません」。
絶対的に信頼できるのは、永遠に生きるあなたの本質だけです。
私はそれを受け入れた。
だから何事も最終的には「なんとかなる!」と思って物事のいい面に着目し、楽天的に生きることを選んでいるのです。
なぜか?
楽しいから!(笑)
ほかに理由なんてないですよ。
だから「絶対的に信頼出来る大地はない」というのは事実かもしれないが、それがどうした!「なんとかなる!」
なぜなら、私たちは永遠の魂であり、「生きること」以外に選択肢はないから。
だから、何事も楽観的に捉えて「なんとかなる!」と思って楽しく生きませんか?
これは私のあなたへの提案であり、すべての人への提案ですよ。
なぜなら、楽しいから(笑)
なぜなら、楽しいから(笑)
それ以外の物質的なもの、お金であれ、会社であれ、親であれ、何であれ、見えるものに「絶対的に信頼出来る大地はない」ですよ。
始まりのあるものはいつか終わります。
そして終わらないものはなにかと観察すると、それはすなわち「始まりのないもの」は何かということですが、あなたの本質であり、私の本質である永遠の魂しかないのです。
あなたもよく観察し、思う存分検討してください。
あなたはあなたで結論を出したらいい。
そして、もしそう思うのなら、もはや「生きる」こと以外に選択肢はないのですから、
観念して、今日から生き生きワクワク生きたらいい。
どうせ、この瞬間も、その次の瞬間も、そのまた次の瞬間もずっとずっと生きるしかないのです。
ならものごとを「なるようになる」と捉えて、楽しく喜びにあふれて生きた方がいい。
どうせ永遠に生きるのだから!(笑)
ただ単にその永遠の一ページをあなたはどう体験したいのかという話しなんですよ。
あなたは「絶対的に信頼出来る大地はない」という観点から人生を生きたいのですか?
それとも「私の本質は永遠の魂であり、すべては「なるようになる」から、楽天的に喜びにあふれて生きたいですか?
それはただ自分が何を経験したいかという選択「だけ」なのです。