【死への恐怖克服方法の子どもバージョン】「お爺ちゃんが亡くなったことに対するショックがあり、死への恐怖があるようです。」

ご質問をいただきました。

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急にまた臍の下あたりが痛くなったようで、またパニックになりトイレに行きました。その後、深呼吸をさせて直ぐに落ち着き、今は本を読みながら、横になっています。

娘に話を聞いていますが、お爺ちゃんが亡くなったことに対するショックがあり、死への恐怖があるようです。

・・・
死への恐怖克服方法の子どもバージョンを教えていただけると助かります。

K(2018/07/31 7:47)

子どもだと思って誤魔化してはいけない

まず、人の死に限らず、大人の子供に対する姿勢として、絶対に子供を誤魔化してはいけないということです。

自分が信じていないような、たとえば「お空の雲の上の天国」みたいな話をして、子どもを納得させるのはよくありません。

自分が信じていないことを人に言うのは嘘ですからね。

子供には「親は自分ではそのことを信じていないな。適当な話をしているな。」ということは大人の目や、雰囲気で感じます。

勉強でも同じです。

「子どもがこんなこと勉強して何の役に立つの?」と聞く時がいつかあるでしょう。

私も「古文の変格活用を大人になって使ったことがある?」と聞かれたことがあります。

私は正直に言いましたよ。

「試験以外で一度も使ったことがないな。そういう知識がいっぱいある。」

その上で、世の中の仕組み、今まで経験してきた社会の実体はどういうものであるか、

それを子供に誠実に話します。

子どもを子ども扱いしない。

自分の経験と人生の理解に誠実に答えます。

理由も誠実に説明せずに、大人のいうことを黙ってきけ!的なことは言いません。

そうすると、どんなことを話しても子供は信頼してくれます。

例えそれが正しくなかったとしても。

その時点で可能な限り誠実に対応するというのが大事なのです。

私はこう思うよと。

誰の知識も有限です。全知全能ではないのですから。

それはしかたのないことです。

ただできること今の自分のできる限りで誠実に答えるしかない。

何を言っても、自分自身がそれを信じていなければ子供はそれを見抜きます。

肌で感じます。

それがまあ親子関係に溝が入るひとつの大きな原因ですね。

そして、そんなことで信頼関係を失い、反抗期がねじれてしまったりすると、

もう、「親が何かを子供に伝える」ということ自体が難しくなります。

性のこともそうですね。

そうすると子どもは大人に聞いてもしかたがないと思い、ネットなどで情報を収集することになります。

残念ながら劣悪な情報が多いですね。

だから、最初から子供だと思って適当に言いくるめないことです。

最初がそうならもう、ずっとそうなってしまいますから。

自分自身を肉体的存在だけとして捉えているなら、大人でも死ぬのは怖い

さて、死への恐怖への克服ですね。

もし自分自身を肉体的存在だけとして捉えているなら、大人でも死ぬのは怖いですよ。

社会は死をタブー視して、見せないようにしてあたかも存在しないかのようにふるまっているところがあります。

私は若いころ職場の上司にそんな話をしたら「私くらいの歳の人間にそういうことを言うもんじゃない」と言われたことがあります。

しかし、世の中で確実なことは何もありませんが、その中で死は絶対確実と言える数少ない現象の一つです。

すべての人はいつかは必ず死ぬ(肉体を離れる)ということだけは絶対確実です。

何しろ、ブッダもイエスも肉体を離れましたからね。

死の存在を知らなかった青年ブッダは、死を目撃したことがきっかけで真理の探究をはじめたのです。

誤魔化しても何の解決にもなりません。

いつか死という現象に直面することは絶対確実なのですから。

さて、子どもにどう説明するかですね。

私の子供はさほど死の恐怖に取り付かれることはなかったかと思います。

私の父、すなわち彼らの祖父が亡くなったことも冷静に受け止めたように思います。

「肉体を離れる」と表現する

私は死のことを「肉体を離れる」と表現してきました。

ご存知のように私は、死とは魂が肉体から離れる現象であると理解しています。

私たちの本質である魂は、死ぬことはなく、消滅することはなく、望めば永遠に転生を繰り返すということですね。

初めから大人がそういう視点で死を捉え、説明すると決して死は怖いものではないです。

死とは単なるリフレッシュです。

睡眠と同じです。

夜寝て朝起きるとすっきりしますね(笑)

歳をとりくたびれると、またすっかりリフレッシュできるのです。

それってとてもいいことですよね!

永遠にリフレッシュできないことこそ悲劇です。

この世に死呼ばれるリフレッシュがなければ、くたびれて体が悪くなった人ばかりになり大変ですよ!

死というのはある種の福音であり、とてもいいことです。

そう説明します。

幸い日本人は仏教文化をもち、輪廻転生を受け入れてきました。

西洋のキリスト教には輪廻転生の概念はありません。

彼らにとって人生は一度きりであり、死後は裁きによって永遠の地獄か、永遠の天国にわかれるだけです。

ですから、死にぎわに罪を免除してもらうことは、自分がこれから永遠にどちらに行くのかという重大事であり、免罪符があれだけ売れ、封建諸侯が喜んで領地を寄進し、広大な教皇領を確保することができた原動力になりました。

死に際しては自分の現世の財産や領地よりも、これから永遠の地獄に落ちるか、天国に行けるのかが絶対的に大事ですからね。

ですから、西洋のキリスト教徒が、自分たちの文化の中で輪廻転生を言うことは「異端」ですが、幸い日本は輪廻転生は文化的にも広く受け入れられています。

日本で「輪廻転生」と言っても誰もおかしいと思いませんからね。

それは日本の素晴らしいところです。

だから誰もが「肉体を離れる」という表現をすればいいのです。

そこにはまた戻ってくるというニュアンスがあります。

何度も好きなだけ戻ってこれるなら、何を怖れることがあるでしょう

何度も好きなだけ戻ってこれるなら、何を怖れることがあるでしょう。

もしこれがあなたの生涯最後のアイスクリームと言われたら、色々感慨も思いものもあるかもしれませんが、「ああ、これからも永遠に好きなだけ食べていいよ!いくらでもあるから!」と言われたら、まぁ目の前のアイスに執着することはないですね。

生をそのように捉えたら、今の自分の生にそこまで執着することはないのです。

リラックスして、食べたい時に自然体でアイスクリームを食べたらいい。

そんな風に穏やかに自分の人生を自然体で楽しめるようになります。

ですから、死と言わずに「おじいちゃんは今生の身体を離れた」という表現をしてみてください。

私は実際そう表現しています。

日本の文化は幸い、輪廻転生を受け入れ、文化的にも受け入れているのです。

ですから、私たちがそれを自分の生き方にとり入れることは「異端」でも何でもありません。

ごく普通にストレスなくできることです。

ですから、ぜひそうしてください。

 子供は前世のことまで憶えていることも

そして子供というのは、三歳くらいまで自分が胎内にいた記憶とか、もしかしたら前世のことまで憶えていることもよくあります。

うち子のも胎内の記憶をもっていましたよ。

しかし、それは言葉をしゃべりはじめてしばらくすると消えます。

だから今聞いてもぜんぜん覚えていません。

でも、私は、子どもが胎内の記憶をしゃべっている様子を映像に残していますからね。

証拠があるのです(笑)

たとえそれを覚えていなくても、子供というのはまだその時の状態に近いですからね。

自分の身体感覚として、輪廻転生をすっと受け入れます。

なぜなら自分が直近、経験してきたから!

そうして、自分の本質は魂であり、身体は今生を楽しむための一時的な乗り物という考えを受けいれると、さほど「乗り物」のことについて執着することはなくなります。

なぜなら「身体を離れる」とは、目的地に着いてもう役割を果たした乗り物から降りて、新しい旅をはじめることに他ならないからです。

しかも乗りたければまた何回でも乗れるんですよ!

何も心配することはないですよね(笑)

そのように説明してみてください。

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