今朝メールをいただきました。
(パートナーに対して)ついつい、相手の不足を見つけてしまう癖がまだありますのでその辺りは気をつけています。
・・・
ひとりで何とかしなければ的な思い込みが強いので
その辺りも、今は素直に思いを打ち明けることにチャレンジしてます。(2017年3月2日 5:07)
外に見るものは、自分自身が外にどのような思考を発しているか、そしてそれにふさわしい「現象」を生じています。
感謝の思いが湧いていることが増えたということですが、そのパートナーとの関係を「すべて」感謝の表現にすることもできます。
一緒に過ごす時間のすべてを感謝の表現にです。
それはあなた自身が、自分自身を深く尊敬し、自分自身に深く感謝するとき、周囲にそのような「現象」を見るのです。
ですから、何か自分で自分を「ダメ」と思っている点がないかチェックするといいですよ。
素直なのはとてもいいことですね。
しかし、自分自身の力を発揮し、自分で自分の問題を解決することはとても素晴らしいことです。
問うなら「どうやったら自分で解決できか」を聞けばいいのです。
そうすると、そういう答えが得られます。
自分自身に経済を含めた力強さを感じることはとても素晴らしいことです。
私はすべての人がそうすべきだと思っています。
何かみじめな執着や依存は、多くが経済的に自立していないことから生じているからです。
私は今「力の使い手」さんがいかに経済的に自立してもらうかというのが一番の関心事です。
そして、自分の経済生活については何も問題がない。
でもその余裕のある経済に支えられ、何も要求しなくても生きていけるけど、美しい花を咲かせる。
それが美しい恋愛であり、美しい人間関係です。
植物が自らを十分に成長させるとき、おのずと花が咲きます。
その花は「自らゆえ」に咲くのです。
外部に何か支えられて咲いているわけではありません。
その花は「自らゆえ」に咲いていますが、
しかし、その美しい花を誰かが喜んでくれたらうれしい、贈り物と受け取ってくれたらうれしい。
でももし何か相手の事情で、その人が贈り物を受け取れなくなっても、相手を責めることはしない。
なぜなら、その花は「自らゆえに」咲いているのだから。
だから、誰も受け取ってくれなくても、その美しさ、その素晴らしい香りが失われることはありません。
自分を贈り物として送り、受け取ってもらえたら。
そして、もしもうひとりの、自らのあふれでる豊かさで、咲いている存在と、お互いを贈り物として与え合えたら。
それはとても素晴らしい経験です。
それは美しい恋愛であり、感謝しかない恋愛です。
なぜなら、受け取られることを「期待していたわけではない」のに、相手が受け取ってくれたのだから。
そして、お互いの思わぬ贈り物に感謝しかありません。
それが感謝しかない恋愛です。
その感謝しかない恋愛というのは「要求」のなさが支えているのです。
その美しい現象は、お互いが自らの力で花咲き、「誰にも何も期待していない」ことから生じるのです。
「誰かに何かを期待」していたら「要求」が生じます。
要求が生じると、それが思うように満たされるとは限りませんから、「不満」が生じます。
何か不平不満が生じるのは、必ず先に自分の方に「要求」があるのです。
ですから、自分からは何も「要求」する必要がない状態に自らを育てるのです。
それが力強さです。
それは本当に素晴らしいものです。
誰もがそうすべきなのです。
そして誰もがそれを成し遂げる力を内にもっています。
しかし、それがあることに気づいていないし、それを使おうとも思っていないのです。
でも全員にあります。
神はすべての存在が花開けるよう必要なものはすべて種子に与えてくれています。
そして、人には自由意志が与えられ、自ら自分の状態を選べるのです。
自ら美しい開花へ自分を導くことができます。
それが人間の栄光です。
そしてすべての人が、誰にも依存せず自立し、自ら開花し、誰かに何も「要求」せず、
ただ、自らの「開花」を贈り物として周囲に捧げることができるようになります。
そして、美しく咲き、香りを放つことを楽しんでいると。
いつか何も期待していないのに、誰かが贈り物を分かち合ってくれるでしょう。
「なぜ私に?」もう感謝しかありません。
それは自らが誰かに「何も要求せず」贈り物となったからです。
そうすると誰かに「何も要求せず」贈り物となった人をひきつけるからです。
そのなかで素直な思いを表現することは何よりの感謝の表現です。
それが起こったのは自分がそうなるだけの力強さを身に着けたからです。
それは自らの成長に対する祝福なのです。
これが美しい恋愛であり、美しい人間関係です。
感謝しかない人間関係です。
誰もがこの美しい恋愛を生きることができます。