こちらで、「力の使い手」のTさんが「主人も、白髪が減った事にはびっくりしているので、私は魔法が使えるんだよねーと冗談ぽく話していました(^^)」と書かれていますが、
同じく白髪を黒髪に変える若返りをされている「力の使い手」さんから質問をいただきました。
>昨夜、教えて頂いた一番心の底から経験したいと思っていることを勝手に実現したと思って、その感覚を味わってニタニタしながら眠りにつくのをやってみました。
> 自分では、白髪が黒髪に変わることが一番経験したいことだと思っていましたが、何故か若くなって、若い男性とデート(旦那ではなく(–;))するのが経験したかったらしく、その思いしか出てこなかったので(なんか浮気したような気分で、罪悪感が…)その感覚を味わって、ニタニタしながら寝ました。そしたら、寝起きは夢を見たのも覚えていて、悪くはなかったですが、・・・
> やっぱり、一番経験したい内容がいけなかったですね(*_*)
そうではありません。
罪悪感をもってしまったのが悪いのです。
その思いはぜんぜん悪くないです。
実際白髪が黒毛に変わるということは若返るということです。
実際に心身が若返ります。
ですから、その自分にふさわしい喜びを感じることを素直に自分に許せばいいのです。
それが真の若返りです。
それに罪悪感を感じるとそれをブロックしてしまいます。
魂というのは幾多の転生を繰り返し永遠に存在します。
ですから、永遠の若さというのはすべての魂がもつ大きな望みでもあります。
そして、それが実現しあなたがそうなったら、あなたとのデートには若い男性がふさわしいでしょう。
それは当然です。
そうでなければバランスがとれないからです。
それは、この若返りを実現した人はみな直面する問題です。
実際には若返りを果たすには、「私も人並みに老いていく」という無意識の設定を壊し、
「私はどんどん若返っていく」ということを無意識の設定になるまで自分のものにしなければなりません。
そうすると、そこから出る発想、言葉、立ち居振る舞い、その若さから来る喜び、自分が心底したかったことをする喜びが実際に若さをもたらします。
その胸躍るワクワク感が若さを保つのです。
自分が若かったころ、つまり思春期に感じていた心のときめきです。
若返るということは、大人の聡明さをもって、その胸躍るワクワク感を感じる自分が心底したかったことを自分に許すことなのです。
ご主人は何もしなければ、普通の人と同様に老いていきます。
あなたはそれを感じ取ったからこそ、その時のあなたのデートの相手にご主人がふさわしいと感じなかったのでしょう。
もし、ご主人が若くなったあなたに最もふさわいいデートの相手なら、あなたはそのイメージにご主人を選んだことでしょう。
しかし、もしあなたがそう感じる自分を抑え、普通通り老いていくご主人に、社会常識に従って自分を合わせようとするなら、
あなたは、社会常識に従って老いていくでしょう。
それは自分の持っている可能性を引き出すよりも、自分を社会常識に合わせることを自分で選んだからです。
もし、本気で若返ろうと思うのなら、白髪が消え、肌も若返りきれいになり、ご主人や周囲の同窓生が、老いて年金の心配をし始めるころ、
自分は「次にどんなワクワクすることをしよう!」と本気で考えることが必要なのです。
その人並み外れて若さを保つ自分と、そうではない周囲とのギャップをどうバランスさせるのか、本気で考えるのです。
そうならないと自分がどんどん若返っていくことを自分の許しているとは言えないのです。
体は(すべての現実はそうですが)自分の本音の意識のみに従っているのです。
もし、旧来の一度白髪になったら老いる一方である社会常識にどっぷりつかっている周囲に自分を合わせ、人生に退屈してしまったら、胸躍るワクワク感がなくなったら、
それが人生に意欲を失わせ、
生きる力を奪い、人を老いさせるのです。
そこには若さに必要な胸躍るワクワク感がないからです。
そして、死ぬとき「若い男性と素敵なデートが思いっきりしたかった」というのが自分の果せぬ思いになります。
そしてその思いを果たすため、来世ではそれが可能な時代や環境を見計らい、そこに転生していきます。
そして「若い男性と素敵なデートが思いっきりしたい」という望みを果たす人生を生きようとします。
ですから、それがもし本当にしたいことなら、それを今生果すのか、来世で果たすのか、
それだけの違いなのです。
それがあなたの本当にしたいことであれば、何世でもかかって必ず果たすことになります。
それが実現するのは常にあなたが「若い男性と素敵なデートが思いっきりしたい」ということを自分に許した時なのです。
今生自分にそれを許すことができれば、今生それが起こります。
どんどん若返るあなたがそれを起こすのです。
今生許すことができなければ来世になるでしょう。
それは自分が自分に何を経験することを許すか、
それだけによっているのです。
来世でも、自分に許すことができなけば、その次の人生でそれを果たそうとするでしょう。
そのように転生は続いていくのです。
それはいつの人生でも自分に許した時にそうなっていくのです。
どんなことでもです。
人の人生の価値観は人それぞれです。
どんな望みをもっていもいいのです。
その自由意志によって地球はこんなにも豊かなのです。
神様は人が心底喜びにあふれ、幸せになることだけをお望みです。
それ以外に神が求めていることはないからです。
ひとつ言えることは、どんなことでも「それは自分には無理だ」「私はダメだ」と思ったり、「罪悪感」を感じたり、「自己卑下」を感じることは、実現しません。
老いていく社会常識をもつ周囲に自分を受け入れてもらうことを望むことによって、自分だけ「浮く」ことを拒否し、自分で自分が若返ることを無意識に拒んでいるからです。
それは自分の可能性よりも、普通通り老いていく社会常識に自分を合わせ、普通に老いていく社会に受け入れられたいということなのです。
自分で選べばそうなります。
白髪が黒毛に変わり、若返っていくことは今の社会では並外れたことです。
その並外れた人生を自分に許すかどうか。
旧来の老いの時間で設計された社会に自分を合わせていくのか、それを選ぶことでもあるのです。
ものごとの実現を妨げているのは、自分にそれを許しているかいないのか。
それだけの違いしかないのです。
意識に何の妨げもなく自分にその喜びを感じることを許すことは、必ず実現していきます。
それはいつ自分に許すかによって、今生か、来世か、その次の生か・・・
という違いが生じるだけです。
いずれにしても魂は永遠であり、いつか実現します。
それが生の実相なのです。
そしてそれは自分が心底望み、心に邪魔する意識が一切ないとき、自分がそうなること自分に許すとき、そうなるのです。