ご質問をいただきました。
自然の力には「自分に起こる事は全て自分のせい」という教えがありますが、必ずしもそうではないのでは? と私は思っています。 例えば、何故か朝から物凄く機嫌の悪い同僚がいたとして、これも自分のせい?これはその人の心の問題なのでは?と思うんです。 人のせいは一切ないという教えですが、果たして本当にそうなのか?と思っています。 実は、自然の力の教えに従っていた時、エナジーバンパイアの上司に狙われ、心身共にへとへとになった時期がありました。 人には謙虚に、と教わりましたが、必ずしも全ての人に謙虚にしてはいけないのかもしれない、と私は思いました。 どんな相手にも謙虚にではなく、悪意のある相手、利用してくる相手には、自分をしっかりと守り、防御し、自分と相手との間に境界線( ここから先は私の価値観の領域だから来ないでね、 という感じです)を張り、嫌な事はしっかりと主張した方がよい、と学びました。 ・・・必ずしも、自分のせいではない事がこの世の中にはあるのかもしれない、 と私は思っています。(2017年4月18日 21:50)
とても素晴らしい学びです。
その通りです。
とても適切な対応ですよ。
同僚に限らず、家族でも、夫婦でも、親でもそういう人はいます。
そういう人は残念ながら「自分のハートの喜び」に従って生きていない人です。
「自分のハートの喜び」に従っていない人は「支配と従属」コントロールという枠組みで物事を見ています。
例えば、夫婦のどちらかが「声が大きい」人だとしますね。
一方が「私が我慢すれば」とずっと我慢し続けます。
いつか改善するか?しないんですよ。
「大きい声」を出せば、人をコントロールでき、自分の言うことを聞かせられる人は、そんな「おいしい立場」をそう簡単に手放さないのです。
「これが常識だ」「あなたのためだ」「これが正義だ」・・・理由は色々言いますが、結局「おいしい立場」を手放したくないだけです。
そして年月が経ち、年老いてくると、もっとひどくなります。
抑圧された方が「もう我慢できない!」とキレて言い返すか、熟年離婚になるか、「亭主元気で留守がいい」と妥協というバランスを見つけるか、
いずれにしても抑圧された方が何かをしない限り、決して終わることはないのです。
あなたのされたように「どんな相手にも謙虚にではなく、悪意のある相手、利用してくる相手には、自分をしっかりと守り、防御し、自分と相手との間に境界線(ここから先は私の価値観の領域だから来ないでね、という感じです)を張り、嫌な事はしっかりと主張」するまで続くのです。
どうせそうするまで何十年も続くのですか、早くそうした方がいいのです。
「私はあなたに利用され、従属する人間じゃない!」とはっきり伝えるまで食い物にされ続けます。
あなたの行動は適切ですし、誰もがそうすべきです。
自然の力では「自分に起こる事は全て自分のせい」、だから「あなたが悪い」という文脈で使われます。浄化できない言い訳ですね。
しかし、こういう場面であなたは全然悪くないです。
被害者ですよ。
「私はあなたに利用され、従属する人間じゃない!」とはっきり言ってください。
私は、すべての状況を改善できる理由として、「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」と言います。
「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」
私は改善できない言い訳には使いませんが「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」という立場です。
まずですね。
「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」のではないとしたら、
他の誰かが何かが自分の人生の出来事の原因であるならば、
自分の人生が自分で100%コントロールできないということになります。
自分ではコントロールできない部分がある。
これは非常につらいことです。
今、希望通りの人生を生きていない人は、人生をあきらめ、絶望で生きるしかありません。
自分ではコントロールしきれない部分があるのですから!
私は誰でも人でも 健康になり、豊かになり、幸せになれると思っています。
そのためには「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」ということが前提になるのです。100%自分がコントロールできるというのが前提なのです。
意識的にしろ無意識的にしろ「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」からこそ、自分で自分の人生が変えられるのです。
私の理解では、人生の不本意な部分は「無意識的」に自分では「気づく」ことなく自分で引き起こしています。もしくは忘れてしまっています。
ですから、それに「気づき」意識化することで、自分のコントロール下に入れ、自分で自分の人生を健康で、豊で、幸せにすることが大切なのです。
だからこそ、すべての人に可能性があるのです。
ですから、私はそういう意味で「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」という立場です。
みな必ずしも幸せな両親の元に生まれてくるとは限りません
さて、しかし必ずしも自分が意識して招いたとは思えない「嫌なこと」がありますよね。
みな必ずしも幸せな両親の元に生まれてくるとは限りません。
それも「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」のか?
それでも私はYESと言います。
それは決してあなたがこれを起こしたのだから親の虐待を甘んじて我慢しなさいとか、どんなことをされても親に感謝しなさい、などというつもりはありません。
腹が立つこともあるでしょう。
親元を離れて自立したいと心から願うこともあるでしょう。
当然ですし、そのような状況ならそうすべきです。
しかし、実はあなたは「そうしたかったから」その親を選んだのです。
今生は理不尽なことをされても跳ね返し、「自立する強さを身に着けたい」。
そう願ったあなたは、そういう両親を「自ら選らんで」地球に転生してきたのです。
あなたは地球には支配と従属があることを知っています。
あなたは地球に理不尽があることを知っています。
あなたは地球に不正義があることを知っています。
あなたは地球にみじめさや貧困、病気、不幸があることを知っています。
しかし、あなたはそれらを何とかしたいと思ったんですよ。
だからあなたはこんな地球にわざわざ「自ら選らんで」転生してきたのです。
だからあなたが、必ずしも「快適なことばかり」出会うわけではないのは当然のことなのです。
これが今生あなたが選んだチャレンジだからです。
あなたはこのすべてを自ら望んで選んできました。
なぜなら、あなたにはこれらすべてを跳ね返す力があるからです。
だからあなたは今の地球に転生すること自ら志願したのです。
「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」のです。
それは「あなたのせい」という意味ではありません。
あなたがこれを作ったのではないかもしれない。
しかし、あなたはそれを変えられるのです。
だから、あなたは今の地球に志願して生まてきたのです。
あなたが望んだのです。
「自分の人生に起こる出来事はすべて自分で起こしている」のです。
あなたにはそれを変える力があるからです。