Mさんのご質問のお答えするメタモルフォーゼシリーズ続いています(笑)
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以前の私は、不安や恐怖に支配されていました。というより、そのもっと前は
支配されていることにすら気づいていませんでした。
そして、その支配に気づき、不安や恐怖と向き合い(これがとても苦しかったし怖かった)
そして今はだいぶコントロールできるようになったというか、距離をとれるようになったというか、わざわざ不安や恐怖に付き合い続けることをしなくなってきたという感じです。ご推察の通り、以前の私はネットでくだらない、暗い話を読み漁っていました。
ネットニュースに対するみんなのコメントを読むことにもたくさんの時間を
費やしていました。何の役にも立たないのに。
その意見に腹を立てたり、不愉快になったり、不安になったり、
時には自ら書き込んでみたり。そんな世界にいたのですが、今はそういったことをしそうになることに気づいてすぐ手を引けるようになりました。
M( 2018年3月5日 23:38)
>以前の私は、不安や恐怖に支配されていました。というより、そのもっと前は
支配されていることにすら気づいていませんでした。
素晴らしい気づきですね!
人の支配(コントロール)と二元対立、不安・恐怖は三位一体
人の支配(コントロール)には二元対立が使われます。
そして、二元対立には不安や恐怖がつきものです。
人の支配(コントロール)と二元対立、不安・恐怖は三位一体なのです。
ネガティブのトリニティーですね(笑)
・自分の内に「不安・恐怖」があれば、誰か何かに支配(コントロール)されているし、自分は二元対立の構図の中にいます。
・二元対立の構図の中に入れば、「不安・恐怖」を感じ、誰かの支配を受け入れます。
・誰かの支配(コントロール)の影響下にあれば、その比率に応じて、自分の人生のハンドルを握っていないことになります。
・あなたに「不安・恐怖」を感じさせているのは誰か?それがあなたをコントロールしたい隠れた意図を持っている人ですね。
まぁそんな風になっているわけです。
例えば、武器商人たちがスポンサーになって、東西ドイツ、南北朝鮮、資本主義対共産主義という二元対立の構図を作り、戦争の「不安・恐怖」を生み出し、武器を売ります。
武器商人たちは、国や人々を支配(コントロール)して、武器を売りたいんですね。
例えば、テレビ番組で芸能人が癌になった話題を繰り返したとします。人々は不安になります。その番組のスポンサーは保険会社だったり、製薬会社だったりします。
例えば、「勉強しないと、試験に落ちて人生の負け組になるよ!」と親や先生が言ったとすると、子供が不安になります。親や先生は「勉強させたい」という、支配(コントロール)の動機を持っています。(そういうネガティブにうったえる動機づけはうまくいかないのですが)
自分の中に「不安」を持つ親は、よかれと思って子供に「不安」を伝えます。
人は自分にあるものしか人に与えられませんからね。
この「不安・恐怖」をあおっているは誰か、その人はそれで何を支配(コントロール)し、利益を得たいのかという構図で見ていくと、世の中は結構単純です(笑)
これが見える世界から見た「不安・恐怖」の理解です。
「不安・恐怖」を持つ人は霊的にも孤立し、メンタル面でも支配しやすい
人は「不安・恐怖」を感じると、「怖い~」と内にこもってしまい、スムーズなコミュニケーションが取れなくなってしまいます。
メンタルで内にこもってしまって、親しい人が声をかけても「放っといて!」と受け付けなくなることもあります。内に「人間不信、不安・恐怖」があり、閉じこもってしまうのです。
鬱などもこういうことが原因になっています。
コミュニケーションが取れなくなるので、外部からの働きかけが難しくなります。
不安や恐怖におののいている時、自分の魂の声も感じ取れません。
自分は本当は何をしたいか、本当の自分、魂に耳を傾ける、「ハートの喜び」を知るというとき、静かに瞑想をする人もいるように、リラックスした穏やかな状態がいいのです。
実は誰にも本当は守護霊がついて、今生の五感に閉じ込めらえた人生をうまく生きられるように、サポートしているのですが、守護霊はその人の魂を通じて、コミュニケーションします。
不安や恐怖におののいている人は、自分の魂、守護霊とのコミュニケーションも途切れてしまい、いわゆる直観が働かなくなってきます。
そうすると余計に、自分の人生をどう生きていいかわからなくなってしまうのです。
ですから、「不安や恐怖」が内にあると、その人はとても弱くなってしまいます。
そして、自分を弱く感じ、「不安や恐怖」があり心細い人は、外部に強力な指導者を求めます。
ですから、人々を支配したい人は、その背景として必要な強い恐怖をまず生み出します。
例えば、ヒットラーなどの指導者は、第一次大戦に敗戦した多額の賠償金に絶望し、人々が未来に不安を感じている状況の中でしか誕生しないのです。
ミサイル防衛システムを売りたい場合は、テポドンを打ち上げてもらい、派手に防災訓練をやってもらいます。できるだけ多くの人を巻き込んで頭を抱えて机の下に潜り込んでもらうのがいいのです。
ですから、人々を支配したい人は巧みに恐怖を生み出します。
そして、第二次大戦のように、多くの人々が戦争の恐怖に巻き込まれると、人は自分の魂とのアクセスを失って、守護霊たちのサポートはますます届かなくなります。
人々を支配したい人は、それを知っているのです。
自分の本質である自分の魂や守護霊のサポートから切り離された人は本当に、弱く支配しやすいからです。
つまり盲目に言うことを聞くのです。
直感が働かず、判断力がないからです。
「それっておかしくない?」という自分の感覚が感じ取れなくなっているのです。
たとえ感じても、それを口にする勇気がないのです。
「きっと自分がおかしいに違いない」と考えてしまうのです。
ですから、人を支配(コントロール)したい人にとって、相手にある種の「不安・恐怖」を抱かせることは必須のことです。
人の支配(コントロール)と二元対立、不安・恐怖は三位一体ですね。
自分自身の本質が永遠の魂であると知ることが安心を与える
不安や恐怖は究極的にはすべて死に根ざしています。
ですから、人を不安と恐怖に陥れたい人は、人を肉体と同一視させます。
初期のキリスト教(「死海文書」「ナグ・ハマディ文書」など)では人の本質は魂であり、輪廻転生があることが教えらていましたが、人々を支配したい人によって、キリスト教の教義から輪廻転生は消されました。
人は死んだら天国が永遠の地獄に行くなら、何とかして天国に行きたいと思い、教会に寄進を弾みますよね。それが西洋の教会があれほど立派であり、教皇領が拡大した理由です。
何しろ聖書はラテン語で書かれており自分たちには読めませんから、教会にどうやったら天国に行けるか聞いて従うしかありません。
輪廻転生を深く理解している人々は死を恐れなくなります。
太平洋戦争で日本軍は恐れられましたが、「大和魂」を知っていたからです。
死をいとわず特攻してくるような連中を、買収したり、懐柔したり、不安や恐怖に陥れることはできません。
ですから戦後教育では、輪廻転生や魂などということを誰も教えなくなりました。
もちろん戦争は反対ですが、自分自身の本質が永遠の魂であると知ることは、人に大きな安らぎを与えます。
死は眠りのようなものであり、次の朝元気に目覚めるための睡眠と同じですからね。
その支配に気づき、不安や恐怖と向き合い(これがとても苦しかったし怖かった)
まず不安や恐怖というのは「直面するのを避けていると、いつまでも続く」のです。
例えば窓の外に幽霊のような影が見えるとします。
とても怖いので、強がって見て見ぬふりをします。
「幽霊なんているわけないっ!」でも内面では怖がっているんです。
そうすると、ずっとその内面の恐怖不安は続きます。
不安や恐怖はそれを直視すると消えます。
実際に怖がらずに窓を開けて外を見るのです。
そうすると「何だ!ただゴミ袋が風に揺らめいていただけか!」ということがわかります。
すべての不安と恐怖はこれと同じです。
人の本質が永遠の魂なら恐れるものは何もないからです。
自分の人生に繰り返し登場するネガティブ性を、正面から受け止め、見つめること。
それで解決します。
例えば、子供の頃の親に受けたトラウマに苦しむ人も多いですが、それを見て見ぬふりをするのではなく、「あの時お母さんに見捨てられたように感じたのはとても怖かった。」「でもあれはお母さんも大変な時期で、ストレスに参っていかたらだ。大人になった私にはそれがわかる」と許してあげるのです。
そういう風にきちんと向き合って越えることが大事です。
それはそういうことを何度も思い出すためにするのではありません。
「もう二度とネガティブな思いとして、思い出す必要がないように」するためです。
過去のトラウマにしろ、恐怖不安にしろ、「それに捉われている」ことがよくないことであり、
心に浮かび上がらなくなった、捉われなくなった、という状態がいい状態です。
理想の現実化がうまくいかない理由
そのためには、何度も何度も繰り返し自分の心を占めるネガティブさをきちんと見つめ、その本質を見抜き、それに巻き込まれなくなることが大事です。
思考が現実化します。
自分の内面に、ある種のネガティブさを抱えていると、それの類友の事柄を自分の人生に引き寄せます。
それが不幸と呼ばれるものです。
自分の人生にネガティブな事柄を引き寄せたくなければ、自分の内面にあるネガティブさを正面から受け止め、手放すことです。
そのきれいに掃除された心に、「ハートの喜び」を感じることを思考すると、理想の現実化が加速します。
「思考の現実化」の本は世にあふれていますが、うまくいかないのは、多くが「自分の内面にあるネガティブさを取り除く」必要性に触れていないからです。
いくらポジティブなことをイメージングしても、次の瞬間ネットでネガティブな記事を読み漁って嫌な気持ちで内面を満たしていては、すべて打ち消されます。
自分の「日頃の思考が何か?」というとが最も重要なことです。
だいたいニュースってネガティブなものしか流さないですもんね
だいたいニュースってネガティブなものしか流さないですもんね。
何年か前に思ったんです。
ニュースって、事件だの事故だの、なんでそういうネガティブ情報ばかりなんだろう。「〇〇県の△△さんにこんな素晴らしいことが起きました。こんな幸せなことが起きました。」
ニュースがそういうものばかり流す世界だったら、今、私たちの人生はどうなっていたのかな?
なんて考えたりしました。なんかおかしいよね。そう思ってからは、ニュースに真剣に耳を傾けることも
以前ほどはなくなったし、新聞は必要性を感じなくなってやめたし…
着々と、平安なただただ幸せな世界への移行の準備を進めているのだとしたらいいのですけど。ドラマなどは相変わらず見ていますが…^^;
そうなんですよ。
こちらにも書きましたけどね。
世界はどんどん平和になっています。
紛争による死者数は激減している。
だから、世界を支配したい人は、9.11を起こしたり、テロの偽旗事件を起こして銃を乱射したりして、何とかして、人々の恐怖と不安を維持しようと必死になっている。
それをテレビも新聞も一生懸命つたえる。
しかし、世の現実は上のグラフの通りです。
着々と、平安なただただ幸せな世界への移行の準備を進めているのです。
ですがバカ者たちが二元対立の構図を生み出し、人々の恐怖と不安を維持しようと必死になっていますから、それを自分の現実に引き入れないことが大切なのです。
自分がそういう思考をしないことです。
そうするとそういう事件に巻き込まれないんですよ。
人の意識がそれを創造するのです。
決して、そういうことの類友思考を自分に許してはいけない。
世界はどんどんよくなっている。
それに意識を向けると、それがあなたの現実になっていきます。
不安にさいなまれている人、そこから抜けられない人は、そのような現実を自分の未来の創造していしまうのですよ。
「〇〇県の△△さんにこんな素晴らしいことが起きました。こんな幸せなことが起きました。」ニュースがそういうものばかり流す世界だったら、今、私たちの人生はどうなっていたのかな?
なんて考えたりしました。
ずいぶんよくなりますね。
私は以前山登りが好きで日本100名山は70くらい登っているのですが、車を運転するとき、天気予報を聞くためにラジオをよくつけていました。
するとNHKラジオで「ひるのいこい」という実にのどかなニュースをやっているんですね。
上のリンクでは
長崎県の諫早市にお住いの「のなかたけお」さんからのお便りで、10年前に庭に植えたマンゴーの木に大きな実が3つなりました。
というですよ!
素晴らしい~!^^
こういうのが本当のニュースですよ!(笑)
こののどかなBGMもあいまって、この番組最高だな!と思っていました。
そうすればみんな思わずにっこりして、リラックスして、実際事故やケンカ、トラブルが減るんですよ。
人が「穏やかな心で過ごす」ことが大事ですからね。
ドラマなどは相変わらず見ていますが…^^;
私は最近子供と宮崎駿さんの作品をほとんどすべて見ました。
学びのあるドラマならいいですよ。
創造性豊かになったり、イメージが膨らんだりするドラマです。
しかし、人生はスクリーンを見るためにあるんじゃないんですよ。
以下は主要国の1日あたりのテレビ視聴時間で日本もほぼ似たようなものです。
主要国では1日約240分、4時間もテレビを見ています!
1日24時間の内8時間睡眠や寝る準備などにかかるとして、起きてる時間は16時間、そのうち、8時間から残業のある人は12時間くらい働きます。
朝ごはん夕ご飯に準備片づけもふくめて2時間くらいはかかるでしょうか。
そうすると4時間もテレビを見ていたら、それで人生終わりです。
自分の時間がまったくない。
「本当の自分を生きる時間」がまったくない。
人のために働き、人のドラマを見ている。
あなたの人生!あなたのドラマは一体どこにあるんですか!
テレビを見て過ごす人は「りんご」の文章を読んで、りんごを食べた気になっている人と同じです。
それは本物じゃないんですよ!
私は学生時代に、使っていないテレビを友だちに貸してやって以来、ほぼテレビのない人生を生きてきましたが、何も困ったことはないです。
もし私は遠隔浄化などという人より変わった多少ユニークなところがあるとしたら、それはそのテレビを見ずに作り出した「自分の時間」によって生み出されているのです。
テレビや新聞は情報を選べません。
あなたに何の個性を加えない。
テレビや新聞は「一般ピープル製造機」ですよ。
替えのきく人間になりたいくないのなら、一般ピープルになりたいくないのなら、「自分の時間」の大半をテレビなどのマスメディアで過ごしていたらダメだ。
もしその人が1日4時間、仕事と睡眠以外の時間の「自分の時間」のほとんどをテレビや新聞を見て過ごすのなら、その人の墓石には
「自由時間の大半をテレビと新聞を見て過ごす者ここに眠る」と書くしかない。
他にあなたの人生には何もない。
どうして自分の命をそんなに無駄にするのか。
自分の人生を生きるとは、自分のうちなる不安を消し去って、魂の情熱に生きること
時間とは命のことです。
あなたの命とは、今日のこの時間をどうすごすかということなのですよ。
それが積み重なってあなたの人生、あなたの命を構成しているのです。
あなたは自分の人生を主体的に創造し、自分の人生のドラマの主人公になって経験し尽すために生きているのです。
人の恋愛ドラマを見ている人よりも、失恋して涙する人の方が100万倍も素晴らしい。
それが生きているってことです。
この地球上での身体を持った生を味わいたくて一体どれだけの魂が列をなして待っていることか!
自分の人生を経験しようとせず、一生の大半をテレビをみて過ごす人は、次の転生の順番はそう簡単に巡ってきませんよ。
どうせ、地球の生を得ても人生を傍観するだけだから。
そんなもったいないことをしてはいけません。
この地球上での生がどんなに貴重で得難いものか。
命というのは本当に素晴らしいものです。
結局自分の人生を生きるとは、自分のうちなる不安を消し去って、魂の情熱に生きるということです。
さあ、今日から熱い恋をして、情熱的に生きよう!