四国遍路に出かける際には明治のはじめまで、先に京都三弘法にお参りし東寺で笠、神光院で納札箱、仁和寺で金剛杖を入手して、四国に向かって歩き始めたそう。
それにあやかって、せっかくだから私も先に京都の三弘法にお参りしてきた。
そしてそして大学生の息子ふたりと一緒に自転車でまずは和歌山を目指したのであった。
京都から和歌山までは実走では約140kmもあった。
初日は、若干ライトを使いつつも、明るさの残る間に和歌山の宿についた。
和歌山ラーメンなどを食す。
大分にも「かまあげ」と言って、茹でたてのちりめんじゃこを売っている。
それを飯の上に乗せて醤油やポン酢で食うと実にうまいのだが、こんなうまいものをどうして店で提供しないのだろうと長年思っていたが、ついに和歌山で見つけた。
じゃこめし。
こういうシンプルで奥深い味わい飯がもっと日本中で手軽に食べられていいと思う。
翌日はフェリーで和歌山港から徳島へ離陸、宿は6番札所の「温泉山 安楽寺」の宿坊に泊まった。
こちらが宿坊の入口で実に立派なもんである。
お遍路とスペイン巡礼の比較その1 費用
この宿坊は一人一泊2食で7200円である。
この宿坊は3人以上だと一人6480円にしてくれる。今回の私たちのように3人で泊まると19440円である。
スペインの巡礼宿(アルベルゲ)は一泊5ユーロだ。一泊630円、三人でも1890円。もちろん食事は別だが、巡礼宿に食事がついている場合、10ユーロ1200円程度で、ボリュームたっぷりでワインもボトルでついてくることもある。
スペインでは巡礼を証明することになるスタンプ自体はどこでも無料で押せるが、四国遍路の巡礼の証明となる御朱印はお寺の名前などを墨書してくれるのだが、1回300円かかる。3人がこれをやってもらうと、一つの寺で900円。88か所回ると、この納経帳への御朱印だけで、79200円もかかってしまうことになる。
1日で複数の寺を回るのは普通だから、2か所回って御朱印をもらえば、スペインの巡礼宿に一泊できることになる。
渡航費はもちろん別にかかるわけだけど、こと巡礼の費用だけを比べれば、お遍路はスペイン巡礼の何倍もかかる。
お遍路とスペイン巡礼の比較その2 巡礼の動機
お遍路さんが一番多いのは気候のいい春と秋だそうで、暑っついこの時期、宿坊に泊まるお遍路さんは少なかった。
食事の時、テーブルが近くになった40代~50代くらいの男性ふたりは剃髪していた。
日本で一般人が剃髪にするというのはなかなかあることではない。かなり「反省」すべきことがあったのかなという印象がある。
何かえらいことをしでかして会社をつぶしてしまったとか、自分の問題で家族が離散してしまったとか・・・。
私の知人でこの年代で剃髪した人はいない。
だから、ちょっと気軽に「どうしてお遍路にこられたのですか?」を声をかける雰囲気ではなかった。(そんなことは触れてはいけない感じ(笑))
スペインでは、徒歩巡礼というのはきついものではあるが、そのチャレンジを南ヨーロッパの天気のいいスペインでバカンスをかねているような明るさもあるが、お遍路は結構、「本気の反省」の人もいるみたいだ。私たちのようにちょっとチャリンコで楽しくお遍路しようという人ばかりではない。
ただ自転車遍路の7割は大学生だそうで、明るく楽しく遍路しようとする大学生もきっと多い。
私の四国遍路の動機と言えば、2年前はスペイン巡礼、去年はローマやバチカン、ミラノでダ・ヴィンチの最後の晩餐を見るなど、ここ最近キリスト教系の巡礼地を廻ることが多かったのだが、私の住んでいる大分の隣にも日本の誇る巡礼地、四国遍路があるじゃないか!
大分に住む私が四国遍路を知らずに、外国ばかり行くのも日本人としてどうよと思い、大学生のふたりの息子と夏休みの都合があったので、とりあえず行ってみよう!というのが実情だ。(基本的に自転車旅は好きだし!)
一方、外国人が結構歩き遍路をしている。
私はドイツ人のグループその他を見かけた。
彼らは遍路装束に身を固め、私たちとすれ違う時に、会釈する人もいる。
もう、日本人の大多数を占める車遍路やバス遍路などに比べて、外国人の遍路の方がよっぽど本当のお遍路さんらしかった。
歩き遍路でこういう人達と交流したら、また違った価値観を知ることができて楽しそうだ。
そういう意味で、四国遍路は身近にある異国の巡礼者と触れ合える希少な場所かもしれない。
ちなみにスペイン巡礼は徒歩と自転車と馬しか、巡礼として認められない。
外国人巡礼者は当然スペイン巡礼を知っているだろうから、歩き遍路にチャレンジする人が多いのかもしれない。
お遍路とスペイン巡礼の比較その2 風景
これはですね。私も大分に住んでいます。
徳島の田舎も大分の田舎も風景的にそう変わらないわけです。
今のこの時期田んぼには稲が青々と育っている。
お寺だって、大分にもあります。
まあ私は先に京都のお寺を巡ったわけで、そりゃ京都のお寺の方が徳島のお寺よりはるかに立派です。世界遺産だし。
ということで、お寺をみてもそれなりに味わいはありますが、そうそう「すげぇ~」ということにはならないわけです。
しかも、道もまぁ日本の普通の田舎道だし、ローソンもあればファミマもある。
まぁある意味大分の田舎と何も変わらんわけですよ!
そういう意味で、スペイン巡礼よりも高い費用をかけて、大分と同じような田舎を眺めてもどうなのかという議論はたしかにある(笑)
なおお遍路用品は色々あるが、私たちは自転車遍路ということもあり、おそろいの遍路Tシャツと御朱印帳だけを用意した。
お遍路とスペイン巡礼の比較その3 スタンプと御朱印
これは2016年8月に私がスペイン巡礼した時のスタンプ。
このクレデンシャルと呼ばれる巡礼証の発行手数料は数ユーロだった気がする。
スタンプ自体は無料で押してくれる。(自分で押すところもある。)
これが今回私が使った御朱印帳(納経帳)。
中はこんな感じ。
左は四国一番札所、霊山寺の御朱印。右は京都「東寺」の御朱印(中央には弘法大師と書いてある。)
ありがたし!
もうこうやってみごとな墨書でさらさら書かれて、御朱印をもバンバンバンと3つも押されると日本人としては「ありがた感」満載なのであった!
こんな感じでお坊様がさらさらと書いてくださいます。
そして書き終わった後に、お坊様が納経帳に一礼して渡してくれたりするわけです。
日本人としては「ははっ ありがたき幸せ!」的な気持ちになろうというものです(笑)
そういう意味で四国遍路は非常にシブイ、いぶし銀的な伝統のよさがあります。
女性が書いてくれる納経所もたくさんありました。
きっと書道の高段位を持つ地元の名手なのでしょう。
ある女性は華やかで伸びやかな筆跡であり、おばあさんの書き手はこれまた枯れたわびさび的なええ感じの字を書かれるのであった。
こんな感じなので、書道に造詣のある方にとっては御朱印集めはなかなか味わい深いものになるでしょうか。
お遍路とスペイン巡礼の比較その4 おせったい
スペイン巡礼では、待ちゆく人たちや巡礼者同士がよく「ブエン カミーノ!」(よい巡礼を!)と声をかけてくれる。
外国を旅してこんなに声をかけてくれることは巡礼以外にはない。
それだけでも励まされ心楽しいものだ。
さて、四国では地元の人がお遍路さんに自発的に「おせったい」をしてくれる。
それを今回私たちも体験した。
以下はある1日に私たちが受けたおせったいである。
・あるお寺の門前のおばあさんがやっているお店で手作りのかしわ餅などをいただいた。
そうしたら「これはおせったい」とよく冷えたアイスコーヒーを3杯ごちそうしてくれた。
・ある田舎の雑貨屋的なお店で2リットルのペットボトルのお茶を買った。そうしたら「これはおせったいです。」と売り物のおせんべい一袋を持たせてくれた。
・その店先でお茶を飲んでいると、自転車が一台パンクして空気が抜けていた。ガレージの日陰で、バケツにお水を使わせてくれてこころよくパンク修理をさせてくれた。
・お昼にある定食屋さんでご飯を食べた。ご飯の盛りも、通常よりかなりよかった気がした。会計の時に、「おせったいさせてください。」と金額の端数を受け取らなかった。
・パンク修理が思わしくなく途中でまた空気が抜けてしまった。ある交差点の木陰で空気を入れていたが、なかなかうまく入らなかった。するとある男性が車を止めて声をかけて事情を知ると、パンクした自転車のタイヤと次男を乗せて自転車屋まで往復してパンク修理をさせてくれた。
見ず知らずの赤の他人にここまでしてくれる所が他にあるだろうか。
私は経験がない。
スペイン巡礼でもこんな経験はしなかった。
私は四国遍路の際にはおせったいをしてくれることがあるとは聞いていたので、私も自転車よりも疲れる歩き遍路さんに出会ったら「おせったい」しようと、ある疲れた時に食べるといい私のお気に入りのおやつをすぐ取り出せるように、ウエストバックの一番外のところに入れておいた。
ちょうど車でパンク修理をさせてもらって交差点で待っている時に、ひとりの若い女性歩き遍路さんが、「五番札所はこちらですか?」と道を尋ねてきた。私たちはすでに五番は打っていて、場所を知っていたので「すぐこの下ですよ。」と教えてあげた。
その女性遍路さんは「もう過ぎてしまったかと思って心配してました」と笑顔で先を急いだ。
私は道を教えてあげてよかったなと思っていたのだが、しばらくして私が持ってきた「おせったい」をあげる絶好のチャンスだったのに、私は道を教えてあげることに夢中になってしまい「おせったい」をすることをすっかり忘れていたことに気づいた!
せっかくウエストバックの一番外に用意してあったのに!
あ~
私は、自分が情けなかった。
せっかくおせったいができるチャンスだったのに!
私は自分が用意していたことさえすっかり忘れていたとは。
それに引き替え、四国に住む人たちが何とスマートに自然におせったいをしてくださることだろう。
私はこれを本当にすごいことだと思う。
日本中で、いや世界中で、こんなことをしてくれる人々はどこにもいない。
私にはお寺を廻って唱えるマントラの意味などわからないが、弘法大師・空海が、こんな世界中のどこにもないような、自発的な心のこもったホスピタリティを人々に定着させ、1200年も経った今も、それが人々の生活の一部となってごく自然におこなわれていることを本当にすごいことだと思う。
弘法大師・空海は本当に多くの人々に真の優しさを定着させた偉大な人物なのだなとわかる。
こんな仕事をした人が世界中にいるだろうか?
今回の自転車遍路は10か寺ほど打って一旦切り上げたが、私はまた機会をみてこの続きをやって、四国の人が身に着けた「おせったいの心」を私自身が自然にできるように、彼らを見習いながら、また続きの遍路をしてみたいと思うのであった。