「力の使い手」さんに送っているメールをシェアします。
すべての人々に守護霊がついてくださっており、誰もが人生の要所要所で自分の魂が本来もって生まれた道を生きるように働きかけてくださっています。
私達はつい五感で理解できる、偏差値とか、社会的な評価とか、みんなが誉めてくれるからとか、家族や親や上司がそう言うからという理由で大事なことを決めてしまいます。しかし、本当はその人その人に、今生成し遂げたいことがあります。
その自分の魂に刻まれている今生のテーマを果たせるように、守護霊さまが手伝ってくださっています。
私達は、自分の魂や守護霊さまに意識を向けるとき、そこからインスピレーションを受けとります。
自分の魂や守護霊さまは常に、その人がよりスムーズに、自分で決めたテーマを学べるように支援してくださっています。
ですから自分の魂や守護霊さまは常に私達と共にいますから、救いは常に「この瞬間」起こり得ます。
いえ、むしろ魂も守護霊様も、「いつ受け取ってくれるのか!」と常に気づいて受け取ってくれるのを待っています。
人は「思いが実現します」この世はすべて物質だけであり、五感で感じられるものがすべてだと思うと、そのような人生を生きます。
いや人には気持ちがある、心がある、愛もある、目に見えないけど大切なものがたくさんあると気づくと、そのような人生を生きます。
そして、人には魂があり、霊があり、守護霊さまが自分で決めた今生の学びがスムーズに行くように支援してくれていると気づくとそれを自分の人生にもたらします。
私達が自分の魂や守護霊さまから支援を受けるのに必要なことは、ただ「気づく」ことだけです!
「思いが実現する」からです。
魂も霊も実在です。すべての人がもっています。
しかし、私達が「意識」しないものは人生には現れません。
例えばプロ野球に興味のない女性には、プロ野球球団は人生に現れません。
パン作りに関心がない男性の人生にはパン作りの知識は現れません。
「自分が関心がないものは、私達の人生に現れない」のです。
しかし本当は私達は全員魂や霊をもち、守護霊もついています。
魂や霊こそ私達の本質です。
なぜなら魂や霊こそ、私達の肉体の死後も幾多の転生を生き続け、決して死ぬことがないからです。
ですから、私達の本質である、魂のテーマに沿って物質世界を生きる時、私達の人生は充実し、目には生気が宿り、人生に意義を感じ、エネルギッシュに若々しく健康になります。
永遠に属する魂の活動だからです。
真に意義ある活動です。
永遠に刻まれる活動です。
それこそが私達の人生に意義をもたらす活動です。
それ以外の、お金も、家も、車も、服も、すべて死と同時に、朽ちゆく肉体と共に地上に置いていくものです。
私達は、あと何年かで失われるようなものに、あくせくしているとき、自分の人生を空しく感じます。
人生に意義を感じられず、満たされない気持ちが残ります。
その満たされない気持ちを、仕事のせいにしたり、彼氏・彼女のせいにしたり、家族のせいにしたり、誰かのせいにしたりするから余計に話がややこしくなります。お互いに「相手が悪い!」と思っているのです。
究極的に言えば、すべての不幸の源は、自分の人生に自分の魂や霊を存在させていないことにあります。
永遠に失われない魂に刻まれる活動以外に自分の人生を費やす時、誰もが自分の人生を空しく感じるからです。
その空しさは誰のせいでもありません。
自分の魂からのメッセージです。
自分の魂に耳を傾け、自分の魂に刻まれる活動を支援してくださる守護霊さまに耳を傾け、インスピレーションを受け取り、
その自分の胸の内からこみ上げる思いに従って自分の人生の舵を切るとき、自分の目に再び生き生きと生気が宿ります。
それこそが私達の身体を生き生きと健康にし、若返らせ、美しくするのです。
その輝く瞳以上に人を美しくするものはありません。
以下は「浄化を手伝ってくださる霊の方々への感謝はひとつの大きなポイントです。」と題して「力の使い手」さんに送ったメールをシェアします。
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浄化が不調になった「力の使い手」さんが
以下のメッセージをくださいました。
>今日、昨日よりは(手首の)可動域が広がったかなと思います。
・・・
>教えて頂いた、守護霊団に預ける様にイメージして浄化するようになりました。
内面が安定することで浄化も安定してきます。
神様、守護霊団によくしていただくと思うのは一つのポイントです。
私達は「神様・・・・」と思っておけばいいですが、実際は肉体を離れた人類にひと肌もふた肌も脱いでくださっている守護霊の方々が 私達の思いを聞いてくださっています。
(その方々も含めてすべては神様の創造によります)
そして守護霊団の方々はものすごく謙虚です。
地球界でのエゴを超越したからこそ、地上に転生する必要がなくなったからです。
本当は私達人類のことはほっておいて、素晴らしい天界を思う存分探求されればいいのです。
実際私達の地球界の大自然も素晴らしいものですが、天界は私達が想像できないほど素晴らしいところのようです。
時々、一度死にかけて生還された方々が、異口同音に「天国」の素晴らしさを語られますね。
ですから、憎しみや争いが絶えない、私達の物質の次元付近にわざわざ近づいて、私達に耳を傾け、浄化の手伝いをする必要などまったくないのです。
地球界にも悲惨な生活をしている人々に目もくれず、豊かな先進国に住み自分の幸せだけを追求している人はたくさんいます。
自分の幸せ、自分の探究心を追い求め、満たしていく冒険をすることは間違いではありません。
人間として、存在として素直な感情です。
あちらの世界にも物質の次元以上に素晴らしい冒険と探求があるようです。
しかし、私達を助けてくれている霊の方々は、そのような自分の楽しみはひとまず置いておいて、憎しみや争いや悲しみや怒りなどから抜けらず、物質次元に囚われ、身動きとれなくなって悲劇の中で涙を流し、あえぎながら果てしない転生を続けることしかできなくなっている人類に心を痛め、何とかその苦しみの連鎖から解き放つ手助けをしたいと、自ら買って出てくださっています。
彼等は私達を助けたからといって何のご褒美もあるわけではありません。
ただ私達を何とか助けたいと思われているだけです。
しかしなかなか私達は霊界からの思いも感じ取れず、自分勝手に物質世界の現実に腹を立て、怒り、嘆いてばかりです。
それでも彼等は粘り強く、決して諦めず、地道な手助けをしてくださっています。
昨今地球の物質世界では「思いが実現する」という考えがずいぶん広がってきました。それは彼らの働きかけの大きな成果のひとつです。
さて、そんな五感の中に閉じこめられ、物質世界で喜怒哀楽を繰り返す私達が、ふと、この浄化を手伝ってくださっている霊の存在の方々に思いをはせ、感謝する時、守護霊の方々は本当に喜んでくださるのです。
親不孝者で、やんちゃの限りを尽くしている極道息子が、ある日ふと「お父さんお母さんありがとう」と言うようなものです。
そんなことを言ってもらいたいとは露とも思われていませんが、それでもこの重たい物質世界の地球界に何とか、風穴を開けたいと本当に途方もない忍耐で働きかけを継続されておられるのです。
それはたとえていうと、一般の人は誰も近寄らない悲惨なスラム街を何とかしようと、どうしたら彼等を救えるのか、遠大で地道で継続的な働きかけをしている人たちがいるのと同じなのです。
豊かなところできれいな服を着ておいしいものを食べていた方が幸せに決まっています。
にも関わらず、それはひとまず置いておいて、悲惨なスラム街に地道な働きかけを続けているようなものです。
そんなある日、スラム街に住んでいた人がふとその働きかけに気づき「ありがとう」と言ってくれたら、その働きかけをしていた人が、どれだけ報われた思いをされることでしょう。
浄化を支援してくださる霊の方々もまさに同じです。
何も言われず、何も求められませんが、私達からの感謝を本当に喜ばれます。
私達からの感謝を大きなエネルギーに変えて自分達を鼓舞しておられるのです。
ですから、浄化をするときぜひ手伝ってくださる霊の方々に思いをはせ、感謝を捧げてください。