思考は現実化するというのは今、世の中に広く受け入れられている。
私もそう考える一人だ。
なら思考を上手に使って素敵で素晴らしい自分の現実を創造していきたい。
ではなぜ、「思考は現実化する」のか?
その理由をしっかり理解し、それが確信になると、「思考が現実化」する力が強くなる。
なぜなら「そりゃあたりまえだ!」という状態から「思考」するからだ。
確信から「思考」を使う。
その確信がエネルギーを動かす。
自分の胸を実感しながら女性に告白するのと、「ボクなんかダメかも」とおどおどしながら女性を口説くのでは、ずっと前者の方がいい結果をもたらす。ん!?たとえが違うかな・・・まぁいい・・・次!
さて、現実とはいったいどのようになっているのだろうか。
物理学者は長年宇宙を観察してきた。
すると宇宙の星々はみんな地球から遠ざかっていることを発見した。
宇宙は膨張している。
それを逆算すると約137億年前には宇宙は1点であり、そこからビッグバンを起こしたというのが宇宙の結果からみた物理学者の理解だ。
最新の物理学ではその宇宙誕生の以前は、時間も空間もない「無」があったとしている。(プラズマとマイナス粒子が相殺されて0になっている状態。)
そりゃまぁ1点だから空間はなく、移動できる場所もないので時間もないわなぁ。待ち合わせ場所に行くために時間をあわせる必要があるけど、はじめっから一緒じゃん!
今これをご覧のあなた!
パソコンでマウスで操作して見ているあなた!
スマホでスクリーンを指でタッチして操作しているあなた!
マウスもスクリーンも手も、物質のすべては原子と電子でできていることは理科で習った。
原子が直径10cm野球ボールだとすると、約1km先に電子があり、電子の大きさはまだわかっていない。そのくらい小さい。
まあ要するに、マウスもスクリーンも私たちの手も、ほとんど空間でスカスカなのだ。
そんなあなたと私がハグしたらどうなりますか!大きさもわからないほどの小さな電子が1キロ先にあるだけです。
ハグしても、ほとんど宙を切り、空間と空間が重なりあうだけで全然を実感できないじゃないですかっ!
私たちがものに触れて実感があるのはお互いに「反発する力」があるからだ。
だから、私たちの現実を作っているのはこの「反発する力」だ。
それを物理学者は「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」などと呼んでいるがここでは深く触れない。
モノじゃない!
モノは無い。スカスカだ。
この世は「力」すなわちエネルギーで構成されている。
エネルギーというのはプラスマイナスが打ち消しあうと最終的に0になる。
だから宇宙が最初、無「0」であったということと、つじつまがあう。
ちなみに「観察者効果」と言って、素粒子の振る舞いは「観察者の期待」に結果が左右されることが物理学者の実験でわかっている。
観察している人が「こうなるんじゃないの」と思えば、現実はそう振舞う。
「思考が現実化する」ことは「観察者効果」によって物理学者が証明している。
さて、ここまでは物理学者が望遠鏡やら顕微鏡やら計算式やらを駆使して突き止めた現実の理解だ。
ここまで理解は世界共通であり、誰が確かめてもそうなる。
問題は、なぜ無から今私たちが生きている宇宙が生じたかということだ。それに物理学者は答えることができない。
宇宙の始まりの1点には空間も時間もなく、物理法則が働かないため計算もできずお手上げなのだ。
そりゃそうだ!
それを私たちが今経験している「思考が現実化する」、物理学者の言う「観察者効果」から迫る。
ところで、これを読んでいるあなたには意識がある。
私にも意識がある。
気づいている。
しかし科学は意識とは何かという問いにも答えられない。
意識は顕微鏡でも望遠鏡でも、その他の機器でも測定できないからだ。
だから、意識は科学では取り扱えない。
意識も科学はお手上げなのだ。
しかし、あなたには意識があり、私にも意識がある。そのことはみんな知っている。
私たちがご飯を食べようが、恋をしようが、意識がなければいったい何になるのか!
意識があるからこそ、私たちはご飯がおいしいとか、胸のときめきを感じることができる。
ああ人をハグするってこんなんだ(*^^*)と理解できる。
意識こそが私たちに現実を体験させ、理解させている。
しかし、意識がなぜあるのか、意識とは何なのか科学には答えられない。
なぜ無から宇宙が生じたのかも科学は答えられない。
しかし、物理学者の観察結果は宇宙は無から生じたことを示しており、意識があることはみんな知っている。
ここに「思考が現実化する」ヒントがある。
最初はすべてが無だった。
しかし、意識だけがあった。
その意識を宇宙意識と呼ぼうが神と呼ぼうが何でもかまわない。
意識があった。
そして、その意識が思考した。
「私って何なのか?私を知りたい。」
その神と呼ばれる意識は自分自身を知りたいと強く思考したために、その「思考が現実化」し、無からビッグバンを生させたのだ。
総体としては0の無からプラスとマイナスのエネルギーを分離して膨張させ、宇宙を創造した。
神が自らを知るためだ。
だから、宇宙そのものが神の意識による「思考の現実化」だ。
さて、その現実化した宇宙を知覚しているのは何か。
意識だ。
そして私たちもまた意識をもつ。
私たちもまた意識をもち、「思考を現実化」させる存在なのだ。
私たちの本体は現実を知覚する意識であり、思考によって現実化する創造者なのだ。
その本体を私たちは魂と呼ぶ。
魂は不死と言われる。
臨死体験をした人は横たわる抜け殻となった自分の体をよく上から観察している。
医者は私たちの肉体が死んだと判定しても私たちの本体である意識は死なないのだ。
私たちの本体は意識であり不死である。
肉体が死んでも私たちの本体である意識は死なない。
死んだ自分の体を見ている意識が、本当の私たちだ。
宇宙は無から始まった。
ならば今宇宙に存在するあらゆるものは、無すなわち神から生じた。
この世のすべては「神の変形」である。
あなたも神であり、私も神だ。
この宇宙に神でないものなど何ひとつ存在しないのだから!
なぜならすべては神の意識から生じているからだ。
神が「思考を現実化」させて宇宙を創造したから、
私たちも「思考を現実化」させる存在なのだ。
神は「神に似せて人を創造した」という創世記第1章の記述はそのことを示している。
仏陀の理解に般若心経がある。
そこに「色即是空、空即是色」という一文がある。(葬式などで聞いたことがある人も多いのではないだろうか。)
日本では色欲を滅却するための経文だと思っている人もいるが、ぜんぜん違う。英文だとわかりやすい。
サンスクリット語から訳した般若心経(Heart Sutra)の英文ではこの部分は「matter is void,void is matter」となっている。
つまり、「物質は無であり、無は物質である」と仏陀は述べている。
仏陀は最先端の現代物理学が解き明かしつつあることを、2500年前に理解した。
それが仏陀の偉大なところだ。
仏陀は神という言葉は一切使わない。
真実の究極は無であったことを理解したからだ。
仏陀は自らの像「仏像」を作ることをかたく禁じた。
道を求めるものが、究極の実在「無」ではなく「像」を拝むようになることがわかっていたからだ。
だから真に道を求める者は一心に座禅を組み、無に向き合う。究極の実在、無をつかもうとする。
茶道、華道、柔道、空手道、剣道、合気道、香道、・・・あらゆる求道はさまざまなルートからその真理を目指すものだ。
話がそれたが、私たちが現実と思っているマウスやディスプレイは実はスカスカの空間であり、本来プラスマイナス0のエネルギーで存在している。
そして、無からそれらの存在を生じさせたのは、宇宙意識や神などと呼ばれる「意識」であり思考だ、そして私たちも同じ意識と思考をもつ。
魂が生まれることもなく死ぬこともない永遠の存在なのは、神の意識が宇宙の誕生前から存在しているからだ。
その神の意識がなぜあったのはわからない。
それはなぞだ。
しかし「意識」こそが神そのものであり存在の源だ。
だから私たちは思考によって現実を創造し、意識によってそれを知覚する。
それは神そのものの働きであり、私たちは神のミニチュア版なのだ。
神は全知であり、すべてを知っていると言われる。
それは私たちひとり一人が自分の意識で自分の現実を知覚しているからだ。
意識の総体である神がすべてを知っているのは当然なのである。
なぜなら神は私たちの意識を通じてすべてを知っているからだ。
意識が神だからである。
最先端の宇宙物理学は無から宇宙が生じたことまでは突き止めたが、なぜそうなったのかは説明できない。そこから先は物理法則が働かず、意識は観測できないので科学は迫るれない。
意識や思考は客観化できない。
しかし、ここまで述べてきたことで、なぜ無から宇宙が生じたが、なぜ「観察者効果」があるのか、なぜ「思考が現実化する」のか、なぜ魂は不滅なのか、なぜ神はすべてを知っているのか、というすべてが説明できる。
だから私たちは神と同じ意識をもつ創造者として、自らの現実を創造する存在だ。
私たちは、宇宙の誕生前からある意識で、無から生じた物質を身にまとう、「思考によって現実を創造する」共同創造者なのだ。
そして、その創造を意識によって知覚する神そのものなのである。
なぜなら宇宙のすべてが神だからだ。
ならどうやったら「思考を現実化」するのか。
実はすでにずっと現実を創造し続けてきた。
宇宙の創造は、思考と創造の連続だ。
それしかない。
私たちが私たち自身をか弱くもろい、被害者だと思えば、その現実を創造する。
私たちは究極の無や、神と一体であると思えば、そのような現実を創造する。
それをなしとげたのが仏陀であり、イエスだ。
それは私たちがただ単に現実はどのようなものかという理解(体得)を反映しているだけだ。
そして、神はあらゆる「思考が現実化」を許している。
だから自分自身に関する理解、思考を変えることによって、自分の現実が変化する。
あなたは自分自身をどのような存在だと考えているだろうか。
もし、それが気に入らなければ、自分自身に関する思考を変え、それを保持し続ければ、エネルギーのルートが変わり現実がシフトする。
どうせあなたの体も、あなたの現実もスカスカなのだ!
「思考の現実化」の仕組みはこのようになっている。
人を裁き、罰を与える、人を神の持ち物などと考える思考は、天動説と同様極めて幼稚であり、最先端の物理学が観察している宇宙や現実を説明できるものではない。
現実の結果をうまく説明できない思考はすべて迷信である。