こちらの記事にご感想をいただきました。
先生の自然菜園の記事は心なごみます。家を売って田舎で暮らす事も考える事があります。
今は田舎では畑などは放置されて草ぼうぼうです。
菜園のあるようなところでも安く借りたりすることができますよ。
うちは子供が不登校なので思い切って田舎暮らしも第二の人生いいかなと考えると選択肢が少し広がりました。
とてもいいと思います。
自然には治癒力があるんですよ。
それに不登校の子供さんでも植物や生き物との対話などはかえって優れた能力を 持つ子が多いのです。
のびのびできてとてもいいと思います。
日本のデフォルトなど現実味が出てきた感じが私でもします。
50兆円の税収のうち、40兆円を医療費に、10兆円を利息に、 足りない50兆円を借金する社会は異常です。
年金問題も騒がれていますね。
トランプさんは無茶な関税引き上げで、貿易などを停滞させて、 一度世界中をリセットしようとしているのではないかと思っている んですよ。
これは米ドルと米国債という紙切れが主要な輸出品であった米国に とって貿易の停滞は致命的なことですからね。自分で自分の首を締めている。
トランプさんは紙切れを輸出し続ける今までのやり方をやめようと しているように見えます。
添加物や農薬、遺伝子組み換えなどもそうですね。
今の利益追求社会はいろんな部分で病んでいます。
ところが当然ですが、自然はまったく病んでいないんですよ。
太古の昔から、調和のうちに自律的して生命を育み進化させ続けています。
自然は美しくすべてが健康的なんですよ。
ですから、 不登校というのはこんな病的な社会に自分を合わせるなんて嫌だ! というある意味まっとうな感覚なんですよ。
じゃあどうするのかというと、 社会よりも根源的な存在である自然と調和して生きるんですね。
社会というのは一時的です。
数十年前の戦前と今の日本の社会はまったく違います。
ソビエト時代と今のロシアはまったく違います。
社会というのはその時の権力者や制度による歪みや矛盾を抱えています。
社会主義には社会主義の資本主義には資本主義の歪や矛盾があるんですよ。
「人為的」なものにはどうしても矛盾がつきまとうようですね。
ところが自然にはそういうものはまったくないんですよ。
自分を今の社会に適応させて鋳型にはめていくことが嫌な人でも、 自然に沿っていくのが嫌だという人は、 この地球を転生に選んだ魂にはいないのではないでしょうか。
自然の上に社会は存在しますからね。
エジプトやメソポタミア文明のようにどんな偉大な文明でも、 社会が自然環境を壊して砂漠化してしまったら文明も滅びます。
自然が社会に付属しているのではなく、 社会が自然に付属しているのです。
社会がなくても自然は存在しますが、 自然がないと社会は存在できないのです。
自然は社会よりもはるかに時を超える根源的な存在です。
そういう流動的で歪や矛盾があり、 過ちを犯す社会に自分の鋳型にはめていくよりも、 自然と調和して生きることの方がより健康的です。
ですからアーシングとか自然に触れるだけで人は癒やされるのです よ。
特に今の社会は、国の借金や年金制度、食べ物の問題、・・・多くの資本主義の歪みや矛盾が限界に達しつつあるように見えます。
小さくても自分の自然菜園を持ち、自然のリズムとは何か、 自然の叡智とは何かを知り、自然の美しさを感じながら、調和して生きることは、 私達は本来地球の子であるという原点を思い出させてくれ、 永遠に健全な自然に私達が調和していくことを助けてくれます。
社会は矛盾が限界に達することがありますが、自然は常に健全に永続するからです。
私達は、自分をいかに社会に合わせるかよりも、 いかに自分を自然に適合させるかがより優先です。
なぜなら社会とは極めて一時的ではかない現象だからです。
そのはかなくもろい社会制度に自分を合わせていたら、社会制度が変わる時に自分も一緒に押し流されてしまいますからね。
通常私たちは、矛盾を抱え歪んだ社会にどっぷり浸かっているわけですが、 一方で永遠に健全な自然にいつも触れることができる接点として、 ささやかな自然菜園をもつことはとてもいいことだと思います。
そしてどんなに社会不適応でも、自然に適応できるなら、 ずっと健全に楽しく生きていけるはずです。
ですから、 まずはささやかでも自然菜園をされてみたらいいですよ。
とっても楽しいですから!(笑)
私はこの度、ゴボウがこぼれ種で自然に増える状態になりました。
まったく肥料も何もやってないんですよ。
自然の調和のサイクルの中で、すべて太陽や雨や風や草や微生物が面倒みてくれるのです。
自然というのはホントすごいのです。
まったく何の手もかけずに眺めているだけで増えていくのです。
(まぁこの夏は草がごぼうを追い抜きそうになると、ちぎって敷いていますけどね)
お金で人間が作ったものを買っていると「キリがないん」ですよ。
欲望にはキリがないです。
憧れのあの車を買っても、もっとすごい車が次から次に出てくる。
修理や維持費もかかる。
しかし、自然ってのは自分で環境に適合して進化して勝手に増えて、修理もいらなければ維持費も必要ないのです。
都会に住んで、究極的に満たされて死ぬ方法があるんですかね?
もっとあれも買いたかった、これも買いたかった・・・
私は「お金」によって何かを実現することで人生を体験していたら、決して究極的に満たされることはない気がしているんです。
自然に接して生きることは究極の趣味であり、究極の生き方だと思うんですよ。
まぁせいぜい部品点数3万点くらいの車は、ミツバチ一匹だけでも数え切れないほどの細胞で構成されているわけですから、もうその複雑さ、緻密さ、全体的調和、美しさと言ったら、人間の作ったもので比較できるようなものは何もないです。
例えば私のゴボウは最初に種を撒いた時よりも、自分で遥かにたくさん発芽するようになった。自分で適応進化しているんですよ。そんな機能は車にはないんですよ!(笑)人間の作ったものにはそんな機能はまったくないのです。
驚異ですよ!
驚嘆です。
人間が思いも付かないような変化を調和のうちに自分で成し遂げていくのです。
今の社会の諸問題を解決できる。
年金問題
例えば年金、政府によれば毎月5万円足らずに、退職時までに二千万円貯めておかないといけないそうですね(笑)
家族の食費のうち、五万円分を自然菜園や田舎暮らしでまかなうことは結構簡単だと思います。
まず第一に都会は食糧消費地であり、田舎は食料生産地です。
生産地プライスと消費地プライスはぜんぜん違います。
特に市場に出荷できない「規格外」の野菜や果物が出てくる直販所になると、また一段と違います。
直販所は、輸送も、広告も、立派な小売店舗も必要ありませんからね。
それにこの時期ヨモギパンを毎日のように焼いて食べてるわけですが、こうなると勝手に生えているものを毎日食べるわけですから、すっごくおいしいんですが、もうすっごく安くつきます。
私は都会に行って柑橘とかまったく買う気がしないですよ。
もう田舎から比べたら信じられないくらい高い!(笑)
同じ日本か!というくらい高い(笑)
こんなに高いんなら地元に帰って食べようといつも思います。
まぁ都会ではナッツとビールとか、バナナみたいな輸入品とかですね。
こういうのは田舎でも都会でも同じですから(笑)
あとは自然菜園があれば、何やかんやちょこちょこ生えています(笑)
秋になったら栗やグレートな柿もなる!
柿なんか4つ5つ食べて御覧なさい。もうご飯食べられないから(笑)
柿もまったく何の手入れもせずに成ります。
まぁ届かなくなった枝は切って、届くところになるようにはしていますけどね。
食糧問題
まぁ今添加物とか、農薬とか、遺伝子組み換えとか、雄性不稔F1とか、もう食べ物がどうなってるんじゃ!ちゅうかんじですが、自分の菜園や柿、ヨモギなどの自然なものを食べればすべて解決ですよ!
ストレス
なし!
人ごみがないからね。(笑)
人間関係がストレスな人は自然菜園いじって、料理したり、パン焼いたりしてりゃいいんですよ。(笑)
都会にはたまに出かけて、楽しめばいいんじゃないでしょうかね。
でも都会って今、そんなにいいものありますかね?
最近映画はぜんぜん面白くないし、本も必要なモノも何でもネットで買えるし・・・
情報もネットがあるしね。
もし何か都会にしかない、いいことがあればたまに出かければいいんですよ。
ということで、都会にあって田舎で手に入らないモノは何もないけど、都会では手に入らないものが田舎にはたっぷりありますからね。
自然です。