榎本さんとの出会いから数か月経ち今更ながら不思議な感じを感じております、宗教観にビッグチェンジ!(そんなに甘いものではないでしょうが・・・≫ブッダにしてもキリストその他空海さんをはじめあらゆる指導者にしても聞いて存在を知っている程度でしたが、今は確実に繋がっている!と思える様に成ったことです、そうなんです、遠隔が時空を超えて作用している事実を知りましたので・・・物凄いことですよね!
ビッグバンによって宇宙が創造されたのは観測された科学的事実です。
その真実はひとつですが、その時々の文化に属する人が、その文化の言語で、その文化に属する人にわかりやすく伝えようとするため、さまざまな差異が生じていますが、その差異はもちろん本質的なものではありまえません。実際の水を、「水」と感じで表すか、Waterと表すか、サンスクリット語でउदकम्と表そうが、その表現というのはいずれも本質ではありません。どうでもいいことです。
言葉や表現は本当にどうでもいいのです。
水のごくごく飲むことが本質です。(笑)
ああ、これが水だ!
この感覚です。
それをイエスも、ブッダも、空海も、一生懸命表現してくれた。
ほかにもたくさんの人がベストを尽くしてくれた。
そして、これらすべての人に共通することは、決してその表現の違いで争うことを望んでいないということです。
大切なのは「表現」ではなくて水そのものです。
そして水というものはどこでも同じです。
そのどこでも同じものが本質です。
ビッグバンによって宇宙のあらゆる地点において、その本質は同じでしかありえません。
もし何か争うことがあるなら、それは本質でない部分です。
どうでもいい文字で「表現」された部分に関することですね。
そして、その本質的でないことで争うのは本当に愚かなことです。
喉が渇けば、ぐぐーっ飲んで「ああこれが水だ!」とそれぞれの言語で表現すればいいだけのことです。
それを誰がどのように表現したからと言って、どうでもいいじゃないですかね!(笑)