「自分に素直に生きている人」と「自己中心的な人」

ご質問をいただきました。

「心の問題はアダルトチルドレンで、小さい頃から生き辛く、
その影響で10年位前から鬱になりました。

特に人間関係で「自己中心的な人」を見ると怒りを感じます。
ですが、最近「羨ましい」という気持ちが隠されている事に気付きました。

心の中では、
「自分に素直に生きている人」と「自己中心的な人」は違う。(正義感?怒り?)
でも、自分を表現出来ている点は同じだ。
「僕はそう出来ない・・・」と落ち込む。
みたいな制限や葛藤みたいなモノがあります。

こう言った事が、頭の中を グルグル回って偏頭痛が起き寝込みます。

自分の人生なのに、自分がいないような感じがして」(2016年1月29日 11:27)

まずですね。

人はみな「自己中心的」です。人は自分の五感に従って情報を自分の脳で判断して生きています。「自己中心的」な生き方以外にあり得ないのです。それこそ、親の顔色をうかがって生きたり、先生の顔色をかがって生きたり、上司の顔色をうかがって生きたり・・・
それこそが異常な生き方です。そんな人の人生は幸せではないです。

しかしそれが一切の強制がない「自分の選択」ならいいんですよ。
通常は力関係がある場合はそれは「自分の選択」ではありません。何らかの「強制」が働きます。それが「あなたのため」「愛から」という美名があってもです。

人は誰もが「自分の人生」を生きたいんですよ。
それが誰もが等しく持つ魂の根源的な欲求です。
神様が人に自由を与えたということは、神様が人に魂を与えたということです。

例えば、幼い子供がいるお母さんは「子供中心」に生きている人が多いですよね。
でもとてもみなさんとてもいい表情をしています。

それは「自分の選択」だからです。強制が一切ありません。

「自分に素直に生きている人」になるためには「自己中心的」でなければダメなんです。

そして「自己中心的」に「自分の選択」で「愛」を表現するようになるのす。

それ以外ではあり得ません。

愛を表現できる人は「自己中心的」に生きて十分に強くなった人です。

強くなければ愛せないんですよ。

私は思春期、父親と本当に激しい反抗期を経験しました。
私の父は相当頑固者でしたからね。(笑)

しかし私は一歩も引かなかった。
いちいち書きませんが、それはすさまじかったですよ。
取っ組みあいもやりました。
私は2階の階段から、大きな姿見の鏡を1階に向けてたたきつけたこともあります。
父親は自分の部屋に木刀をもって寝てました(笑)

しかし、私は男兄弟3人なのですが、成人して一番父の面倒をよく見たのは私ですよ。
私は長男ではないです。
あとの二人は結局、わだかまってるんですよ。
まぁ親父はほっとけと、白けてるんですね。

しかし、もう私はやるだけやったから、もう何もわだかまりがないんです。
すっかり自立していますしね。
悪感情がないんですよ。

それでですね。
親に抑圧されて嫌な場合は、自分の思いを抑圧せずに思いっきりぶつかった方が、後で親子関係がよくなるということを私は経験的に知っています。

父親にしてみたら私は「自己中心的」で「わがまま」で「言うことを聞かない」どうしようもないヤツだったと思いますよ。

しかしその「自己中心的」なヤツが、結局一番「自分に素直に生きている人」になり、晩年の父を一番愛して面倒をみたわけです。

父は去年亡くなりましたが、実家を出て以来、孫を連れて親父と一番一緒にご飯を食べたのは私です。色々世話をしに帰ったのは3人兄弟の中で私なんですよ。

それがものごとの真実です。

素直に言うことを聞いていたらダメなんですよ。愛せないんです。
ただ怖いから卑屈になってるだけなんですよ。
それがずっと尾を引くんです。

「自己中心的」な人、自分を大切にする人が、「自分に素直に生きている人」、心から愛せる人になるんです。

植物の種が落ちて、大地に根を出します。

自己中心的ですよ。

近くにどんな植物がいようと根を張っていきます。
遠慮などしてないですよ。
そこで遠慮したらダメなんです。
育たないんですよ。

お父さん木が横にあるから僕は根を出すのをやめよう、お父さんに迷惑をかけないように親孝行しよう、なんて思ったらダメなんです。

生命はそんな風にできてないんです。

自己中心的にどんどん根を伸ばせ!

それが神の意向です。

そして、しっかり大地に根を張ったら、
大きな幹に育ったら、
無数の花を咲かせて、咲き誇り、
あふれんばかりの果実を実らせて、
大きく育った自分の幸を地球の生命にお返しするのです。

自己中心的にならなければ、花や果実という愛を実らせることはできないんです。

生命はそのように設計されているのです。

たとえお父さん木の背を超えてしまい、自分の日陰に入ってお父さん木が枯れてしまうことになってもです。

いつかはお父さん木もそうなる日が必ず来るんです。

しかしお父さん木は死んでなんかないんですよ。

あなたの果実の中の種子に無数の自分のDNAを残したのです。

お父さんの命はそうやって受けつがれていくのです。

親を超えていくのが一番の恩返しです。

たとえ親自身がそのことに気がついていなくてもです。

自己中心的にスタートしなければ、発育不全になり決してあふれる愛を地球にお返しすることはできないのですよ。

あらゆる抑圧を跳ね返して、自分の人生を生き抜くことが大切です。

神様がそのように生命を設計されたからです。

しかし、自分が大きく育てば、大きな愛を大地にお返しすることになるのです。

必ずそうなるのです。

まず「自己中心的」に自分の人生を生きるところからはじめてください。

「自己中心的」に生きている人を見ると「羨ましい」のは当然ですよ。

生命はそもそも「自己中心的」なものだからです。

しかし、大きく育った生命はいつの日か、無数の花をつけ、たわわに実った果実を地球にお返しし、生命を育む存在になるのです。

必ずそうなります。

それが生命のあり方です。

tree

 「自分に素直に生きている人」と「自己中心的な人」その2(2016年11月28日追加)

子どもは自己中心的におっぱいを飲み、泣き、どんどんたくましくなればいいんです。

さて、十分に自己中心的になり、しっかり強くなりました。

そこからの 「自分に素直に生きている人」と「自己中心的な人」の違いです。

これはもう「相手をコントロールしたい」か、「相手を自分の思うように動かしたい」か、これが基準になります。「支配」です。

自分の幸せに関して、自分のハートのおもむくまま、自分の喜びに従って、どんどん幸せになればいいのです。

それが「自分に素直に生きている人」です。

何も問題ありません。

素晴らしいことです!

さて、十分に強くなったのはいいですが、それを自分以外に向ける人がいます。

「相手をコントロールしたい」、「相手を自分の思うように動かしたい」人です。

これが「自己中心的な人」です。

自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せにすることは何も問題ありません。それこそが素晴らしい人生です。それが「自分に素直に生きている人」です。

しかし、自分もそうなら、自分の周囲の人すべて、あなたも「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに」しなさいね!言わなければなりません。

自分は「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに」生きているのに、

相手には「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに」生きることを許さない人。これが自己中心的な人です。わがままな人ですね。

「私は自由に生きたいの」これは何も問題ありません。誰もが求めることです。素晴らしいことです。

「私は自由に生きたいの」でもあなたは「自由に生きちゃダメよ」あなたの考えがどうであれ、私の言うことを聞きなさい!これが自己中心的な人です。

自分と、他人に違う基準を適用する人です。

「私は自由に生きたいの」「あなたも自由に生きてね」あなたも「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに生きてね!」

これが「自分に素直に生きている人」です。

素晴らしい生き方です。

さて、あなたの側に自己中心的な人がいたらどうするのか。あなたをコントロールしようとする人、支配しようとする人、あなたの気持ちに関わらずあなたにあなたの気持ち以外の基準を押し付ける人です。きっとあなたのためよ!これが常識よ!などなどというでしょう。

しかし、自分に素直に自由に生きる生き方ほど素晴らしい生き方はないのです。

自己中心的な人がいたらどうするのか。

去るんですよ!

静かに去るんです。

ご意見は聞きました。

どうもありがとう!

そして去るんです。

にっこりして静かに去るんですよ!

そして「私は自由に生きたいの」「あなたも自由に生きてね」あなたも「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに生きてね!」という人と友達になるのです。

そういう人と恋人になるのです。

そうでないなら、ひとりの方がましですよ!

どんな人でも自分の幸せを犠牲にしてまで付き合う価値はありません。

自分の人生において、自分を幸せにするために「自分に素直に生きる」ことほど素晴らしいことはないからです。

そして「私は自由に生きたいの」「あなたも自由に生きてね」あなたも「自分のハートの喜びにしたがって、自分の人生をより幸せに生きてね!」という人を探すのです。

そのお互いの自由な幸せと喜びの探求をわかちあうこと。

それが素敵な恋人であり、素敵な友だちです。

あなたがそうなら大丈夫です!

類は友を呼びますから。

そんな人はいっぱいいますよ。

もちろん私もそうです!

恋人になりますか?(笑)

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『「自分に素直に生きている人」と「自己中心的な人」』へのコメント

  1. 名前:あやのん 投稿日:2017/05/24(水) 10:28:35 ID:248f365b3 返信

    いくらハートに自由が一番いいからといって、大抵の人であれば不快に思う発言を繰り返すことで、不快な思いをしていることを伝えてきたならば、ごめんなさいという気持ちを持つことは大切だと思いますか?それとも、自分の自由を邪魔する人と考えますか?

  2. 名前:榎本 投稿日:2017/05/25(木) 11:03:43 ID:874033986 返信

    あやのんさん

    こんにちは!

    >大抵の人であれば不快に思う発言を繰り返すことで、不快な思いをしていることを伝えてきたならば、ごめんなさいという気持ちを持つことは大切だと思いますか?

     もちろん大切だと思いますよ!

     しかし、「大抵の人であれば不快に思う発言を繰り返す人」は、そもそもそのことに気づいていないし、その人なりに「正しい」と思って言っているのです。

     それが大抵の人から見て不快でもですよ!

     ですから「大抵の人であれば不快に思う発言を繰り返す人」に対する対策は、その人がいかに間違っているか説得することではなくて、その人の前から「静かに去る」ことなんですよ。

     「大抵の人であれば不快に思う発言を繰り返す人」は世の中にいくらでもいますから、そういう人をいちいち説得して回っていたら、人生がいくつあっても足りないのです(笑)

     それにその人にも「大抵の人であれば不快に思う発言」を「正しい」という思う自由があります。

     ただ、その発言の結果を受け取るのもご本人です。

     そのプロセスに干渉することはないのです。

     ただ「静かに去って」自分の人生を楽しめばいいのです!

  3. 名前:あやのん 投稿日:2017/06/08(木) 06:18:38 ID:aa736f742 返信

    返信ありがとうございますm(_ _)m

    仮にその方が、近しい家族や友人であった場合、静かに去ることは難しいこともありますよね。その場合は、伝えて理解し合えるならその方がいいかとは思うのですが、相容れない場合は辛いなぁと。

    きっと私の価値観として、平等、寛容を大切にしていることが起因しているのかもしれませんが、「ごめんね。私はそうなんだ。不快に思うならあなたといる場合は控えるね。」という柔らかい姿勢が取れない人に対して、不快に感じるのだと気付きました。

    柔らかい姿勢を取ることと、自分を貫くこと。その行動の違いの結果として、いい面、悪い面、 どのような人生になるのか。どちらがいい悪いの話ではなく、気になります。

  4. 名前:榎本 投稿日:2017/06/08(木) 08:44:11 ID:e1ab2c446 返信

    あやのんさん

    >仮にその方が、近しい家族や友人であった場合、静かに去ることは難しいこともありますよね。その場合は、伝えて理解し合えるならその方がいいかとは思うのですが、相容れない場合は辛いなぁと。

     もちろん理解しあえるならいいですね。それができないからトラブルになります。

    >きっと私の価値観として、平等、寛容を大切にしていることが起因しているのかもしれませんが、「ごめんね。私はそうなんだ。不快に思うならあなたといる場合は控えるね。」という柔らかい姿勢が取れない人に対して、不快に感じるのだと気付きました。

     誰でもそうです!
     結局「本当の自分」でいさせてくれない誰に対してもみな不快感を覚えるんですよ。みんな自分自身でいたいですからね。
     
     平等、寛容、柔らかい姿勢、私もブログの上に書いていますが「みんな違ってみんないい」、それらが認められない人がいて、その不寛容を自分にされたらみな不快です。

    >柔らかい姿勢を取ることと、自分を貫くこと。その行動の違いの結果として、いい面、悪い面、 どのような人生になるのか。どちらがいい悪いの話ではなく、気になります。

     すべての人に対して「柔らかい姿勢を取ること」「みんな違ってみんないい」という寛容な姿勢をとること。そしてお互いに自分自身であることを貫くことを認めることは両立します。というよりそれらは同じことです。

     みんながそうである世界は素晴らしい世界ですよ。

     問題は「みんな違ってみんないい」「その人がその人であること」が容認できない人がいるということです。その人に対しては「静かに立ち去る」ことをお勧めしたわけです。それができずに「自分が自分であること」を許してくれない人に妥協した場合どうなるか。
     その人の前では、「本当の自分」でいることができず、「その人が気に入る自分」を演じ続ける必要があるということです。
     
     その人の前にいる時間が長ければ長いほど、「本当の自分」でいられないから疲れます。

    >どのような人生になるのか。

     誰かに気に入られるために演じ続ける人生ですね。

     まぁ要するに「自分がない」人生です。

  5. 名前:あやのん 投稿日:2017/06/19(月) 05:55:11 ID:d49f406cc 返信

    意見や気持ちを伝えた場合、
    その人が受け入れなくとも、
    もしくは受け入れられないとしても、
    「あなたはそうなんだね」とお互いに理解を示す姿勢であれば、気にいる自分を演じずとも、平穏に事なきをえるのだと理解できました。ありがとうございます。

    謙虚に自分自身のことを省みることが、プライドが高くできない「私は私だから」と開き直り、逆に攻撃され音信不通になり無視される、という事件がありましたが、それもこれも含めて「あなたはそうなんだね」と、どこかの地点で諦め受け流せばよかったのかと思えました。そして、静かに距離をとることが大事にもならず最良なのですね!次からそうします♪

    物事を深く考察することを大切にする価値観を持った人との時間を大切にしたほうがいいですね(笑)
    スッキリしました!!
    ありがとうございました\(^o^)/

    • 名前:榎本 投稿日:2017/06/19(月) 07:26:52 ID:1f60b64a0 返信

       あやのんさん

      >意見や気持ちを伝えた場合、その人が受け入れなくとも、もしくは受け入れられないとしても、「あなたはそうなんだね」とお互いに理解を示す姿勢であれば、気にいる自分を演じずとも、平穏に事なきをえるのだと理解できました。

       その通りなんですよ!

       別に批判したり、上から目線でいう訳じゃないんです。

       ただ広い優しい心で「あなたはそうなんだね」とお互いに理解を示せばいいだけなんですよ。

       たったそれだけのことです。

       たったそれだけですべての人間関係のトラブルは防げるんですよ。

       金子みすゞがとても素敵に「みんなちがって みんないい」と表現しています。

      私はあまりにもこの言葉が気に入って、ブログの上に書いてるくらいですよ!(笑)

      >それもこれも含めて「あなたはそうなんだね」と、どこかの地点で諦め受け流せばよかったのかと思えました。そして、静かに距離をとることが大事にもならず最良なのですね!次からそうします♪

       そうです!そうです!

      「大抵の人であれば不快に思う発言を繰り返す人」は、そもそもそのことに気づいていないし、その人なりに「正しい」と思っていますからね。

       それも含めて「あなたはそうなんだね」と理解を示し、私の考えはちょっと違うけど、私は私でいたいからと言って静かに立ち去ればいいのです。

       「あなたは間違ってる!」と説き伏せようとすることはないんですよ。

       それは「みんなちがって みんないい」を認めていないことだし、お互いに争い傷つけあうだけです。
       
       多くの人が静かに立ち去って行けば、「あれ、何だかさみしくなってきたぞ。みんなと仲良くするにはどうしたらいいのかな」と自ら考えるかもしれません。

       しかし、相手を批判すると、相手も余計に自己正当化し、「あなたこそ間違ってる!」と言いつのり、そうしている間は決して「みんなと仲良くするにはどうしたらいいのかな」と思いを巡らすことはないのです。

       その人が静かな時間をもって「みんなと仲良くするにはどうしたらいいのかな」と思い巡らすことで、初めてその人の中にも別の理解を受け入れる余地ができます。

       だから、広い優しい心で「あなたはそうなんだね」、「あなたが私が私自身でいることを認めてくれないのは残念だけど、私は私でいたいから」と言って、静かに立ち去ればいいのです。

       そして、その人も少しさみしくなって、静かに「みんなと仲良くするにはどうしたらいいのかな」と思い巡らし、「あなたがあなたでいることを認めてあげられなくて、ごめんね」と言えば、

       「そうなの。私が私でいることを許してくれるのならうれしいわ。」とまた仲良くすればいいんです。

       別に相手が、そう思ってくれなくても、自分は自分でいることを大切にし、「みんなちがって みんないい」と思っていると、類は友を呼び、そんな人たちと必ずたくさん縁ができますから、そんな人たちと楽しく過ごせばいいんです。

       私が私でいることを許してくれない人から静かに立ち去っても何も困らないし、実は以前よりもっと幸せになるんですよ!(笑)

       これは多くの人が気づいていない、人生の最大の秘密のひとつです(笑)

       しかし、人はそのことに気づいていないから、自分が自分でいられないみじめな関係にしがみつき続けるのです。

       今のこの関係を失ったら、どうなるか不安なのです。

       ただ、その不安ゆえにみじめな関係にしがみ続けているんですよ。

       手放せば、すぐに以前よりもっと幸せになるのにね!(笑)

       
      ですから、「静かに距離をとることが大事にもならず最良なのです」

      「本当に」最良なんですよ!

      >物事を深く考察することを大切にする価値観を持った人との時間を大切にしたほうがいいですね(笑)

       そういう時間は素敵です。

       ただ何も考えず、誰かと静かな時間を過ごすのも素敵ですよ。

       ノリノリの曲で踊ったりするもの大好きですけどね(笑)

  6. 名前:あやのん 投稿日:2017/06/21(水) 08:07:04 ID:88439f13b 返信

    榎本様、ありがとうございます!
    だいぶんと全体を見渡せる視野を得ることができてきました!

     別に批判したり、上から目線で伝えた話をした訳ではなく(多少「やめて!」という
    辛い気持ちは入っていましたが)、私自身はその辺りをかなり配慮していました。

    ただ、彼女はプライドが高く(自分で言ってます)、私とは同い年ということもあるせいか、どうも私の話しは聞き入れたくないという感じが強かったように思います。

    どうもその姿勢が、私自身の「平等を大切にする」「謙虚さは大事」という価値観からか、私もプライドからなのか、カチンときてしまったようです。

    彼女いわく、私が「彼女が彼女でいさせてくれない」「いつも変えようとしてくる」、「助言を聞きたい時は人を選ぶし、私の言い方が腹がたつから言ってくるな!」とのことでした。

    悪い部分について伝えるに止め、「理解しろ!」というような姿勢でしつこく言いすぎず、悪い部分をもっていることも含めて「今のあなたはそうなんだね。私の考えはちょっと違うし、治した方がいいと思うけど、伝わらず残念だわ。」とさらっと流せば、結果的に求めていた着地点に、良好な関係のまま辿り着けたかもしれないなと思います。

    そして、「私の方ができてないことが多く自分はいつも許して譲ってるのに、一方的に言ってこられたらカチンとくる」とも言われました。私は「ストレスをためて陰口を言うより、その時に伝え説明する方が思いやりがあると思うのですが、もしかするとプライドの高い彼女としては、何も言わないことが人に対する思いやりだったのかなと気づきました。

    彼女いわく、「みんなちがって みんないい」を私ができていないし、彼女自身は変わる気はないから、これ以上一緒にいると私が可哀想だと言葉を残して去りました。

    私と彼女の関係性の中では、静かに距離をとることが大事にもならず最良でしたが、周囲との繋がりを鑑みることもなく、あれだけ仲良く辛い時には支えるような時間を過ごした友達期間を完全にムシして、結婚式にも呼ばないという判断には、あっけにとられるしかありませんでしたが(笑)
    むしろ、彼女とは、長く付き合っていくのはムリだと気持ちが切り替わり、スッキリしました。もちろん、そのことを誰かにグチを言う時間すらもったいないので、どうのこうのしていません(笑)

    その後も彼女の振る舞いは変わらず、色々な人が彼女を理解できずか、我慢ならず口々に腹ただしい気持ちや困惑してしまっていることをポロポロもらすことが続いています。

    人からの助言を謙虚に受け取らず、自己正当化で反撃してしまったが故のツケですね。
    賢い所もある彼女なので、おそらくそのことに気づいた時には、振る舞いを変えていける可能性はあるかと思いますが、それよりも自己愛の方を大切にする人なのかもしれません。

    彼女が改心してきた際には、「私もあなたに謙虚さがないことにカチンときてしまって、あなたがあなたでいることを認めてあげられなくて、ごめんね」と素直につたえようと思います。

    「みんなちがって みんないい」という価値観は一致しているはずなのですが、別の部分での価値観違いや、状況が理解できず、思いやることができなかった私の至らなさについては反省したいと思います。

    コミュニケーション力不足は、お互い様ですね(笑)

    更に「自分が自分でいることを大切にする」
    彼女から学ぶことで自己把握?成長?にも繋がりました!!

    私自身、母親によるトラウマの反応があり、
    特に上下関係のある職場で苦労することが多かったのですが、彼女を理解することを通して、魔法が解けたかのように、気にならなくなりました!本当にびっくり衝撃です!(笑)

    自分が自分でいられないみじめな関係にもかかわらず、なくなるのが不安でしがみつき続けるのは、自己受容できていない部分を他者に求める所からも起因してそうですね。

    私が私でいることを許してくれない人から静かに立ち去っても何も困らないし、実は以前よりもっと幸せになれるということは、彼女自身が見本となって見せてくれていますが、
    手放すには自己愛が大切。けれど、それを優先しすぎると、この人は「思いやりがない」というようなことになりかねないものだということも学ぶことができました。

    そして、これもまた彼女から学んだことになりますが、物事を深く考察することを大切にすることも大切ですが、「ただ何も考えず、誰かと静かな時間を過ごすのも素敵」ということも合点がいきました。

     気の合う仲間とノリノリの曲で踊ったりする時間に物事を考察してたら、楽しめませんもんね(笑)私が誰もいない所ではノリノリ、知り合いがいる場合は、大人しくしているという所があるのは、そういう性質があるためなのかなぁとも思いました(笑)

    「人生の最大の秘密のひとつ」
    完全にインストール完了しました\(^o^)/

    この課題に向き合うのに、
    実は昨年の春から、今年の夏まで
    かかりました(笑)
    私にとってはとても大切なことだったので
    向き合ってまた一つ強くなれたと思います!

    お付き合い頂き、感謝しております!
    榎本様、ありがとうございました!!

  7. 名前:榎本 投稿日:2017/06/21(水) 17:04:00 ID:1d995e468 返信

    あのやんさん

    >多少「やめて!」という辛い気持ちは入っていましたが

    そういう意思表示は大事ですね。
    意思表示しないといくらでも、そういうことをしてくる人がいますからね。

    >悪い部分について伝えるに
    >治した方がいいと思うけど、伝わらず残念だわ

     この時点で「相手がいいか悪いか」自分には相手を裁く権利があると思っているんですよ。
     何がいいか悪いかなど誰にも決められなんですよ。

     例えばアフリカにある病気の遺伝子を持った人たちがいます。
     その遺伝子を持っている人はとても早死にするんですが、しかしある流行病が流行する時、その遺伝子を持つ人だけは感染せず生き残るのです。
     「私たちの普通の理解を超えた存在意義があるものも少なくありません。」
     
     私たちにできるのは「私はこうだと思う」「私ならこうする」というところまでです。

     誰に対しても、「あなたのここが悪い」「あなたはここを治すべきだ」とは言えないんですよ。
     もうこの時点で相手を「裁き」「コントロール」しようとしていますからね。

     私たちは神じゃないんですから、誰も裁いたり、コントロールしたりできないんです。
     いえ、実は「神でさえ」人を裁かず、コントロールされません。
     
     それほど自由意志というのは大切なものです
     
     もし神が人をあることで裁くなら、人の自由意志など何の意味もないんですよ。

     もし神が裁く必要があるのなら、神の定める一定の守るべき基準があるのなら、はじめからそのルールからはみ出さない人間を創造すればいいだけの話です。
     
     全知全能の神はそのくらいのことができないほど無能ではありません。

     人間に見えないルールを作って知らせず、自由にさせておいて、人間がもしそれに触れたら裁くというのなら、全知全能である神は、小さき人間に対してなんとサディスティックなことでしょう。

     神はそんな無慈悲な存在ではありません。
     
     神でさえ、誰も裁かず、支配されません。
     

     そして、もし神が人の自由意志を大切にして、決して人を裁かれないなら、どうして人間が、もう一人の人を裁けるでしょうか。

     私たちは誰に対して、「あなたのここが悪い」を裁くことはできません。
    「あなたはここを治すべきだ」とコントールすることもできません。

     ただ自分の意見をいい、「自分にとって不快なら」その人の前から静かに立ち去ればいいだけです。

    >彼女いわく、「みんなちがって みんないい」を私ができていないし、彼女自身は変わる気はないから、これ以上一緒にいると私が可哀想だと言葉を残して去りました。

     それでいいじゃないですか!

     彼女は、あのやんさんに「あなたのここが悪い」と裁かれ、「あなたはここを治すべきだ」とコントールされるのが不快だったのです。

     実はすべての人が、相手の基準で裁かれ、治せと言われることが不快です。

     そして、それを不快に感じた彼女は立ち去った。いいじゃないですか!

     ケンカせずに誰もが自分が不快に感じるところから去ればいいんですよ。

     それでいいです。

    >その後も彼女の振る舞いは変わらず、色々な人が彼女を理解できずか、我慢ならず口々に腹ただしい気持ちや困惑してしまっていることをポロポロもらすことが続いています。

     そしたら、不快な人がまた去ればいいんですよ!

     世の中にはケンカが好きな人もいますからね、好きな人同士でやるのは止められないし、自分が好きでなければ「私は好きじゃないから」と去ればいいんです。

    >「みんなちがって みんないい」という価値観は一致しているはずなのですが、
     
     
    「みんなちがって みんないい」とは、そもそも 誰に対しても、「あなたのここが悪い」と裁かないし、「あなたはここを治すべきだ」とも言わないことです。

     それでは相手の違いを許容していることにはなりませんからね。
     
     ただ不快なら我慢することはないですよ。自分が静かに立ち去ればいいのです。

     「好み」があるのは当然だし、自分は自分の「好み」の人生を生きていいんですよ。

     しかし誰に対しても「自分の好みに合わせてふるまえ」とは言えないだけです。

    >彼女を理解することを通して、魔法が解けたかのように、気にならなくなりました!本当にびっくり衝撃です!(笑)

     それは素晴らしいですね!

     自分の周囲に起こることは、すべて自分の内面が外に写された鏡です。

     そのように人間関係を使うのが最も賢い方法です。

     つまり自分を自分で変える鏡として使うということですね。

    >自分が自分でいられないみじめな関係にもかかわらず、なくなるのが不安でしがみつき続けるのは、自己受容できていない部分を他者に求める所からも起因してそうですね。

     その通りですね。

     自分の不安、不足感、みじめさ、・・・そういうもの他者で埋めようとするとその関係は必ずみじめなものになります。

    >手放すには自己愛が大切。

     その通りです。

    >けれど、それを優先しすぎると、この人は「思いやりがない」というようなことになりかねないものだということも学ぶことができました。

     そして最大の思いやりとは「その人がその人であることを尊重することです」

     人は自分にないものを人に与えることができません。

     ですから、「自己を尊重できる人」だけが「他者が他者であることを尊重できる」のです。

     ですから、「手放すには自己愛が大切」というのは本当にその通りなのです。

    「自己を尊重できない人」は「他者も尊重できない」からです。

    >この課題に向き合うのに、実は昨年の春から、今年の夏までかかりました(笑)
    私にとってはとても大切なことだったので向き合ってまた一つ強くなれたと思います!

     何かのお役に立てたのならよかったです!
     

  8. 名前:あやのん 投稿日:2017/06/22(木) 00:35:34 ID:a7b52d533 返信

    人の気持ちを察したり、配慮する想いやりよりも、自分の気持ちのままのわがままな発言を優先する。

    このことで不快に思っているということを伝えたのにも関わらず、譲渡する姿勢もなく、理解を示すこともなく。そのように感じる相手が悪い、相手が変わればいい、私はいつもそうしてる!という発言は本当に理解の範疇を超えて混乱したいたのだと思います(笑)
    ごく一般的なアサーションスキルで話しをして理解を深めたかっただけで、変えてやろうとか、上から目線で裁くつもりはなかったのですが、ただただ理解不能で反応がチンプンカンプンでした。言わなきゃよかったとも思ってきています(笑)

    ん?なんだか、彼女自身が私が意見を押し付けてきていると感じていること自体に問題がありそうに思えてきました。

    違いを理解することと、許容すること。
    それは似て非なるものですが、
    彼女は違いを理解するということに価値感を置いていないためか、私の姿勢を見誤り、強行手段をとったように思えます。
    理解の姿勢を示すことがそんなにも難しいことなのでしょうか?
    私にはどうしてもわかりません。。

    やはり穏便にコミュニケーションを取ることもできた方がいいのではと思いますが、彼女は不器用なくらいに正直な人なのかもしれませんね。逆にわかりやすくていいのかも(笑)

    私は距離が近くなると、その人との関係性が悪くなるから人にあまり近づかない方がいいと彼女に言われました。が、彼女の上っ面な付き合い方、共感性も乏しく思いやりのない適当な対応の方こそ、関係性が悪くなる原因のような気がします。

    その点については、今の彼女はそうであると許容していますが、他人の気持ちに理解を示すといった配慮ができない彼女に言われたくないことだな!とは思います。

    否定的なことは言わず、あなたはあなたでいいけど、これについてはどう思うの?という話し方だったのにも関わらず、過剰な反撃を示す彼女はきっと日々ストレスだらけなのにも関わらず、彼女なりの思いやりで直接伝えることはせず、その人がいないところで愚痴をわめきちらすことで発散しているのかなと思い、そっかー、という感じです。
    仕方のない人ですね(笑)

    正に、自分の周囲で起こることは、自分の内面の鏡ということ!!

    彼女は人に対して、思いやりのない振る舞いをすることを自分自身に許している、すなわち、同じことを人からされても文句は言えないでしょうし、この人同じことしてきた!と勘違いして憤慨してしまうのですね。

    私自身がスッキリしたのは、自分勝手な都合で思いやりのない振る舞いをされた時に相手の気持ちを優先し、場の空気を大切にしすぎる所が問題点と気づいたので、ガマンして憤慨することがなくなり、相手と同じく自分の気持ちを優先してもいいんだと許せたことが大きかったように思います。私自身も自分を一番大切に守ることを許すことで、呪縛から解き放たれました。

    裁くことと許容することの、
    中間として、理解を示すこと。
    これが一番大切なことなのではないかと思うので、自分の気持ちを優先させつつ、理解を示すという姿勢を大切にしたいと私はそう思います。

  9. 名前:榎本 投稿日:2017/06/22(木) 08:32:00 ID:5743f9010 返信

     あのやんさん

    >私自身がスッキリしたのは、自分勝手な都合で思いやりのない振る舞いをされた時に相手の気持ちを優先し、場の空気を大切にしすぎる所が問題点と気づいたので、ガマンして憤慨することがなくなり、相手と同じく自分の気持ちを優先してもいいんだと許せたことが大きかったように思います。私自身も自分を一番大切に守ることを許すことで、呪縛から解き放たれました。

     それは素晴らしですね!

     そして呪縛から解放されるとは、もう彼女に意識を向けることがなくなったということです。
     許すというは、関心を緩めること、そしてそれに対する「関心」を手放すことです。

     簡単に言うともう彼女のことを思い出すこともないという状態ですね。

     そして自分は自分で喜びあふれたことを思考し、喜びあふれた日々を生きる。

     それが「みんなちがって みんないい」です。

     

  10. 名前:あやのん 投稿日:2017/06/30(金) 23:33:48 ID:5e434726c 返信

    ありがとうございます。
    本当にその通りです。
    30歳まではイライラしたことがなかったのですが、最近やたらと感情的になっていました。その原因が解明でき、自分のスタンスを取り直せたことはとても大きなことでした。

    今日も母から、文句を言われたのですが、「あなたはそう思うのねー」とさらっと流すことができて本当に心地よい気分が訪れました✨こんな世界があったのですね(^_^)

    お付き合い頂き、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします♪

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