太魯閣(タロコ)峡谷を歩き終えて、バスに乗ったが宿の最寄りの新城駅では停まらず、10数キロも離れた次の海辺のバス停で降りるはめになってしまった。
宿の方を見るとこんな感じ。
実は今朝は夜明け前に、宿の人に「きれいだよ」と勧められて近くのビーチに行ってご来光を見ていた。
今朝見た太魯閣(タロコ)のビーチからのご来光
バスで降りた地点から宿まで10数キロはずっと浜でつながっており、浜を歩けば宿に着くはずだ。またバスに乗って折り返すのもおもしろくないので、このアクシデントを楽しみ、浜を歩いてみることにした。
しかし、私も今日は1日中さんざん太魯閣(タロコ)峡谷を歩きまわったのだが、まだ十数キロほど歩こうとするのだから結構歩くの好きなんだなぁ~と我ながら思う(笑)
こういう海と空と山しか見えないところを波の音と、潮の香り、心地よい風に吹かれて歩くのって最高のぜいたくだ。
この海岸はほとんどゴミもない。とてもきれいな浜だ。
こういうきれいなビーチがずっと続くところは意外に少なかったりする。
広大な景色の中を歩き続けるのってほんと癒されるわぁ~
こんな広大な浜をただただ歩き続けると、2年前のスペイン巡礼を思い出す。
1時間くらい歩いたころだろうか。
十字架の石を見つけた。
私はこれまでにこんな見事な十字架が刻まれた天然の石を見たことがない。
裏もきれいな十字架なのだ。
ちいさい石だし、おみやげに持って帰ることにした。
この石を拾ってふと水平線の方を見ると、雲が巡礼者の形をしていた。
帽子をかぶってリュックを背負った巡礼者が左足を曲げて風に向かってまた一歩踏み出そうとしている。
スペイン巡礼の時のこの巡礼者像のイメージ。
不思議ぃ~
十字架の石を拾うことならたまにあるかもしれないが(いや、ないぞ!)
それと同時に、巡礼者の雲が現れるなんて!
ちょっと、ぞくぞくっとしてしまった。
まぁ人は誰しもそうかもしれないが、私も生来の巡礼者なのかもしれないなぁとふと思う。
歩くの好きだし(笑)
そんなことを考えながら、山と海と空だけのシンプルで広大な景色の中を波の音を聞きながらただただ歩き続ける。
私は何かを所有したりすることよりこういうことが一番ぜいたくなんじゃないかと思う。
どんな高価な絵でも、その中を歩くことはできないが、広大な大自然は生きた美術館であり、その生きて変化し続ける「絵」の中を自分もこうして歩くことができるわけだから。
どうして人は額縁に入った歩くこともできない絵に何十億円も出すのか?(笑)
そんなものよりタダで歩ける生きて変化する広大な海岸の方がよほど素晴らしいじゃないか。
バスを降りて歩きはじめた地点と宿までの間に地図では川があるが、
こんな風に川が伏流水となっており、ずっと浜を歩いて行けた。
この川の地点で3分の2、もう2時間は歩いた。
すっかり日暮れだ。
向こうの明かりのあるあたりから歩いて来た。
前方に怪しい飛行物体が!
UFOかっ?!
近づくとドローンで遊んでいた。
遠くから見た時は、かなりびっくりした^^;
もうさすがにここまで暗くなると、道路に出て歩くことにする。
セブンイレブンのCITY CAFEで冷たいシェークを飲んで一息つく。
ふぅ。
しかしまだ3分の1、1時間はあるぞ・・・
またとぼとぼと歩きはじめる。
するとどうよ!
まもなく原チャリのおっちゃんが現れて、身振り手振りで俺の肩につかまれ、送ってやるからという。
原チャリに二人乗りだし、ノーヘルだし・・・と戸惑っていると、
一生懸命、身振りを繰り返すわけです。
言葉も通じないのに。
で、乗りました。
おっちゃんの肩温かいぜ。
思わず涙が出てしまった。
実は、かなり疲労困憊していたから・・・
日本人だとわかると、私が歩きはじめた花蓮(ファーレン)か?新城(シンジャン)?と聞いていたのを「シンジョウ?」か、日本語読みで言い直してくれた。
「イエス、シンジャン」と答える。
私は本当は新城(シンジャン)駅のバス停で降りるつもりだったのだ。
おじさんは宿まで送ってくれた。
私が「感謝、謝謝你」というと「不用謝」(ぷようしぇ)と手をふり、
夜道を走り去って行ったのであった。
かっこよすぎるぜ!
おっちゃん!
今日は十字架の石を拾ったり、巡礼者の雲をみたり、不思議な一日だった。
しかし、ほんとうの救世主というのは、こういうただのおっちゃんの中にいるのだ。
そう感じた夜なのであった。
バスが駅に停まらず、ずいぶん遠回りになったが、ええ経験したなぁ~
今日は台湾で一番いい経験をした。