ご質問をいただきました。
実は人間関係、人付き合いの浄化を依頼されているのですが、
どう施したら良いのか分かりかねていました。 そこに先日 恋愛運と金運を上げる浄化方法のメルマガが届いて、
そのやり方から派生させればイケるかな?と読みましたが、 いまいち掴みきれないままです。 恋愛はルンルンとした状態を意識し保つとありましたが、
円滑な人間関係はどの様に意識して取り組んで貰えば良いのでしょ うか?(2017年5月9日 23:32)
「幸せになるたったひとつのルール」とは
「幸せになるたったひとつのルール」とは、
「自分にとって嬉しくないことのすべてから立ち去り」、「自分にとって嬉しいことを自分自身にどんどんすればいい」だけです。
そして、「人には自分がしてもらったら嬉しいことをしてあげます。(自分がされたら嫌なことは人にもしません。)」
それが幸せになるためのルールです!
円滑な人間関係のためにも同じです。「自分にとって嬉しいことを自分自身にどんどんすればいい」だけです。
「人には自分がしてもらったら嬉しいことをしてあげます。(自分がされたら嫌なことは人にもしません。)」
それだけです!
そして、「自分にとって嬉しくないことのすべてから立ち去る」ことです。
「人に何かを求める」というのはすべて不毛なこと
人には自由意思がありますからね。
人はコントロールできません。
コントロールできるのは自分だけです。
ですから「人に何かを求める」というのはすべて不毛なことです。
「人に何も求めなければ」人間関係に何のトラブルも生じません。
とてもスムーズです。
人生のすべてを「自分にとってうれしいことを自分にすること」と「人には自分がしてもらったら嬉しいことをしてあげる」ことで構成します。
人生のすべてを喜びの分かち合いで構成します。
「人には何も求めません」。
ただ一緒に喜びを分かち合ってくれる人と分かち合えばいいだけです。
「人からは何も求められません」。
ただ一緒に喜びを分かち合おうとしている人と、喜びを分かち合えばいいだけです。
それだけです。
「円滑な人間関係に意識して取り組む」には「人に何かを求めないですむ自分になる!」こと
人間関係のすべてトラブルは「人に何かを求める」ことから生じています。
ですから「円滑な人間関係に意識して取り組む」には「人に何かを求めないですむ自分になる!」ことです。
人には自由意思があります。
「人に何かを求める」ことは不毛なことです。
それは「人をコントロールしようとすること」です。
それをし続ける限り、人間関係のトラブルは絶えることがありません。
なぜなら人には自由意思があり「人はコントロールされたくない」からです。
「人に何かを求め」「人をコントロールしようとすること」とは人の自由意思「人はコントロールされたくない」という本性と必ず衝突します。
ですから、「人に何かを求め」「人をコントロールしようとする」限り、人間関係のトラブルは絶えないのです。
「人に何かを求め」「人をコントロールしようとする」限り、人間関係のトラブルは絶えないのです。
例えば、自然の力の人たちは「私が遠隔浄化できなくなった」という根拠のない嘘に基づいて、掲示板に「私〇〇は、自己責任で榎本氏を裏切り者認定します。神様に感謝です。」などと全員が書きました。
それまで7年半の間、友達だった人です。
円滑な人間関係だった人たちですよ。
ところが彼らが根拠のない嘘に基づいてそうしたいことを私にとめることはできないのです。
それは彼らの自由意思ですからね。
もちろんそういう根拠のない嘘で、そういうことを書かれるのはイヤですよ。
嬉しくないです。
で、私の選択肢はひとつです。
「自分にとって嬉しくないことのすべてから立ち去る」ことだけです。
だって自由意思があるから彼らがそうすることは止められないのです。
私はもちろんこのブログを通じて、1年半以上の現在まで「それは嘘ですよ。私はずっと遠隔浄化できていますよ!」と主張していますが、それでも彼らがそれを取り下げないのなら、それはそれで彼らの選択です。
私にはどうしようもないことです。
私側の問題じゃないんですよ!
私は誰とでも友達です。
自然の力の人たちとも友達ですよ!
自然の力を去った人が多いですけどね。
何のわだかまりもないし、いつでも友達です。
普通に話もできます。
実際話をしている人もいます。
でも「自然の力の現役の伝授者」は私と連絡取るのはもちろん、私のブログを見るだけで伝授が切れる。と言われているんですよ。(なんともろい!(笑))
ちなみに「力の使い手」さんはどれだけ自然の力の人のブログなどを見ても何も問題ありません。浄化できなくなったりしません。そんなにもろくないです。(笑)神が人に自由意思を与えているのに、私が制限することなどあるはずがありません!(笑)
もし人に自由意思を与えてうまくいかないのなら、「その教えが間違っている」からです。それは真実とは何の関係もないのですよ。だって神が人に自由意思を与えているのですから!
できることは「ああそうですか、残念ですが。」と立ち去るだけです。
ほかのすべての人間関係がそうです。
ご存知のように不本意なことはあるものです。
「そんな不本意なことをされるのはイヤです。」と言った方がいいですよ。
しかし、それで「そうか。もし自分がそうされたらイヤだな。」と考えてくれないなら、立ち去るだけです。
しかたないんですよ。
私は7年半ずっと円滑な人間関係を持ってきたし、今でもいつでも誰とでも円滑な人間関係を持てます。しかし、それができない考えをもっている人達もいるのです。
それはそれで、しかたがたないんですよ。
立ち去れないのは「あなたが」相手に何かを求めているから
もしそれでそこを立ち去れないなら、
「あなたが」相手に何かを求めているからですよ。
しかし相手は、その求めに応えない自由も持っています。
いくらこちらに正当な理由があってもです。
そこにい続けるとケンカになるんですよ。
理不尽だから。(笑)
でも「あなたが」相手に何も求めていなければ、立ち去れるのです。
ケンカが好きですか?(笑)
ならいつまでもそこにとどまってケンカしていればいいです。
ギクシャクした人間関係を「楽しめば」いいです。
しかしイヤなら相手に求めてもしかたありません。
立ち去るのみです。
そして立ち去るしか選択肢はないのです。
相手は変えられませんから。
自由意志の原則は絶対なのです。
円滑な人間関係のために取り組むべきことは
円滑な人間関係のために取り組むべきことは「自分にとって嬉しいことを自分自身にどんどんすればいい」だけです。
「人には自分がしてもらったら嬉しいことをしてあげます。(自分がされたら嫌なことは人にもしません。)」
それだけです。
そして、「自分にとって嬉しくないことのすべてから立ち去る」ことです。
もし、そこを立ち去れないなら「自分は」一体何を相手に求めているのだろうか?と考えることです。
そして、「それを相手に求めなくてもいい自分になる」ことです。
それが円滑な人間関係のために取り組むべきことです。
最終的には「人には何も求めず」「喜びを分かちあう」人たちと喜びの分かち合いだけの人生を生きてください!
そして、最終的には「人には何も求めず」「自分にとって嬉しいことを自分自身にどんどんする人」そして、その「喜びを分かち合いたい人」とつきあえばいいのです。
「人に何かを求める人」とは付き合う必要なないのです。
だって人間関係のトラブルが絶えないから!(笑)
「人に何かを求める人」は自分が不機嫌になったりしたら「人をコントロールできる」と思っています。
いつまでもそういう人の機嫌をとりたいのなら、ずっとそこにいてください。
なぜあなはたその人の機嫌をとるのか?
それは「あなたが」その人に何かを求めているからですよ。
「もう私は人の機嫌を取りながら生きるのはイヤだ!」と思うまでそこにいてください。(笑)
心底そう思ったら、「自分にとって嬉しくないことのすべてから立ち去れる自分になる」ことに取り組んでください。
そして、「人には何も求めず」「自分にとって嬉しいことを自分自身にどんどんする人」そして、その喜びを分かち合いたい人とつきあって、喜びと喜びの分かち合いだけの人生を生きてください!
それが円滑な人間関係のための取り組みです!