なぜ私が浄化できることがわかったのですか?

前回からの続き

> それに、榎本教授の伝授ですが、切れてないでしょう!(間違っていたらごめんなさい)
> 今も変わらず伝授が使えていることを考えると、正義はどちらにあるのか。。。

 なぜ私が浄化できることがわかったのですか?

>直ぐにわかりましたよ。
>今回の件を知って、
>榎本様の事件前後を確認すると、却って精霊(自然の力のいうところの守護霊)が小川先生より沢山ついておられるのですから!
>榎本様は自然の力より高いところと繋がっています。
>従って自然の力の伝授を使おうと思えばいつでも使えます。
>ご安心ください!

 へぇ~っ

 自然の力にも結構冷静に妙なことを調べている人がいるものだ。

 気づいていたらさっさと教えてくれればいいのに、私も結構深刻に落ち込んでいたんですよ。

 しかし結果から判断すると、この女性だけが正確に状況を把握していたわけだ。

 私の実感でも「事件前」よりずっと浄化のキレがいい。

 そう言えば以前、私がブログに東北弁の方の浄化結果を書いて眠っていたら突然小川先生から電話がかかってきたことがあった。
 「おはようございます。」(榎本)
 「何寝ぼけてるんですか!今夕方ですよ!」(小川先生)
 「榎本先生 裏切り者になってますよ」(小川先生)
 「えっ 私が裏切り者ですか!何でですか!」(榎本)
 「だって浄化した結果をあげてるじゃないですか!今日は朝から、全員伝授が切れてるんですよ!」(小川先生)
 「え~ 知らなかったんですよ。浄化して結果が面白かったので記事アップして寝ちゃってました!」ということがあった。
 もちろんその記事は取り下げた。

 全員伝授が切れている時でも私は浄化できてることがよくあった。
 これは小川先生も実際に知っている事例だ。

 もちろん他にもたくさん「私しか知らない事例」がある。

自然の力時代はタブーだったので黙っていたが、もう伝授者ではないので、個人の経験として、結果に学ぶだけだ。

以前から伝授がなくても私の浄化はまったく影響を受けていなかったのだ!

 そう言えば「後ろにたおれる」も私はぜんぜん倒れない人だったなぁ。
 
 わざと踏ん張っているわけではないのだが、実際倒れないのだからしかたがない。

 そう言えば、私が初めて自然の力を知ったころは、浄化の力の違いは「守護神様」の数だけだった。

 あのころはシンプルでよかった。

 あのころの自然の力が大好きだ。(まだ無限の力と言っていたかな。)

 いつの間にか「守護神様」のことには一言も触れられなくなっていたなぁ。

 「守護神様」のことを言わなくなったのはいつの頃からだったろうか。

 私も最近ではすっかり「守護神様」という言葉自体を忘れていた。

 こうして、昔の言われていた「守護神様」のことを覚えていて、今でも冷静に数えている人がいたとは!

 私の理解では真実は常にシンプルだ。

 最近の伝授ときたら、得得特別伝授、特別伝授、継続伝授・・・・

 覚えているのさえ大変なくらい複雑になってきた。

 真実というものはそんなものではない。

 愛をもって、自分に誠実で、自分の言葉に嘘がなく、自分の魂や神様に対して恥ずかしくない自分であれば、十分なはずだ。

 もし私が自然の力時代よりも浄化のキレがいいのなら、私に今も愛があり、自分に誠実で、自分の言葉に嘘がなく、自分の魂や神様に対して恥ずかしくない行動をしている、それを見ている守護神様が、それをよしとされ、以前にも増して、私についてくださった。
 
 ただそれだけではないだろうか。

 そして、それさえあれば、得得特別伝授、特別伝授、継続伝授などはそんなものは一切失っても何ら影響を受けることはないのだ。

 そんなものはぜんぜん関係なかった。

 すべてを失ったと思っていたが、何も失ってなどいなかった。むしろ力が増していた。

 今私はそれを自分の経験と結果から完全に理解した。

 もう怖いものなど何もない。

 たったひとりで自分の魂に正直に生きるのみだ。

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