ペシャワール会の中村哲医師の講演会に行ってきました。
福岡県出身の彼は1986年にパキスタンのペシャワールに赴任するが、隣国アフガニスタンから多くの患者が山を越えてやってくる。
現地アフガニスタンに診療所を作ったが、問題の本質は大旱魃による水不足にあると気づく。
一本の水路を作ることは、数百人の医師にも勝ると考え、白衣を脱いで水路を掘り始めた。
半信半疑だった農民も手伝い始める。
現代の技術ではなく、古来より日本に伝わる「蛇カゴ」や、福岡県の筑後川に江戸時代より残る斜め堰(山田堰)による取水口など数々のブレイクスルーを経て、水路を完成していく。
こうして書けば簡単なように見えるが、どうして水路作りはまったくの素人の中村医師がここまで学んで実行できるのか。
7年間かかって総延長25kmを完成、
水路の両岸には柳を植えた。
日本でも福岡県の柳川など、川沿いの柳はおなじみの景色だが、柳は根が太くならず、細かい根が石を抱きかかえて固定するように伸びて、蛇カゴの針金が15年くらいでダメになっても、その後も水路の石を安定させる働きがあるそうだ。
こういう日本の先人の知恵をつかって水路を完成させた。
こうして死の沙漠と恐れられたガンベリ沙漠は緑の大地に変わり、
彼の手がけた治水工事によって60万人が生活できるようになった。
中村哲さんは日本人の良心と、頭の良さと、技術、勤勉さ、粘り強さ、誠実さを体現した人だ。
アフガニスタンは必ずしも治安のいい所ではないが、現地の人たちもタリバンも、元ISの兵士も彼を守ってくれるという。
まさに日本国憲法の前文、
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」を地でいく人である。
現在70歳を越えた彼は、この地に水路の職業訓練学校を作り、この技術と知識を次世代に伝えて、アフガニスタン全土で、アフガン人自身の手でこういう工事が行えるようにしようとしている。
水路の横に立つ(中村メソッド)の碑
日本にはもう偉人と呼べる人はいないと思っていたが、彼こそは現代日本人の偉人だろう。
講演会では、彼のサイン入りの著書「天、共に在り」を購入したが1日で一気に読んでしまった。
「第1回城山三郎賞」「梅棹忠夫山と探検文学賞」などを受賞しており本としてもとてもおもしろいのでぜひお勧めします。
彼の活動を資金面で支えるのは日本で募金活動などを行うペシャワール会事務局であり、
ここは日本で最も募金を有効に使っているところだろう。
寄付の多くは高価な重機などの購入等に使われるそう。
おはようございます。
素晴らしい記事をありがとうございます!
安倍ナチ政治の日本の中にあって、日本人であることが恥かしいと思うこの頃でしたが、本当の日本の良さを体現しておられる中村哲氏に、久しぶりに胸が明るくなりました。
私も自分の足元で喜びを見つけられるように、人生を楽しんで生きたいと存じます。
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