ご長男が今月は1日しか登校しておらず、ご主人が海外へ単身赴任で不安だおっしゃるかたからご連絡をいただきました。
ある症状に対して、「何か直面せずに避けているようなことはありませんかね。」とお聞きしたところ、
ズバリご指摘の通りです。直面したくないこと、どうしていいかわからないことで一杯になってます。(ご長男が不登校、 ご主人が海外へ単身赴任で)今まで1ヶ月も離れて暮らしたことがないのでさすがに寂しく、いつまで我慢しないといけないだろう、と夜中不安で泣いてしまうことも。月末に一時帰国、 また1週間したらまた戻ってしまう喪失感。 絶望感に近いかも。そのくらい心が萎縮してしまっている。 わたしがどっしり構えられてない不安な状態なので、どっしり構えられたらとおもいますが、今はかなしい、辛い、不安だ、をなんとか日々ごまかしながら生活している感じがして実にひょろ ひょろです。
ご長男はご長男で自分の人生を切り拓かないといけません。
どうせ親は先に肉体を離れるのですから。
ですからそれを、あなたさんご自身が自分の人生を切り拓くことで、態度で教えるんですよ。
>と不安になったり、
> どっしり構えられたらとおもいますが、
> 今はかなしい、辛い、不安だ、
「今はかなしい、辛い、不安だ」と思うとそうなります。
ポイントは「同じ現実をいくつも解釈できる」ということです。
そして自分の未来をつくるのはその「自分の解釈」です。
思うことは現実化しますからね。
「今はかなしい、辛い、不安だ」
今、まさにご長男がそういう面を見せているのかもしれません。
少なくとも「なんとかなるさ」
その状況にあるってことは、自分にはその状況に対処できる力があるからです。
「なんとかなるさ」と思わないと、解決策は出てこない
少なくとも「なんとかなるさ」と思わないと、あなたの思考には
わかりますかね。
すべての現実は自分がどう考えるかで作っているからです。
たとえば、ご主人が単身赴任されたのは「自立するチャンスだ」
何か仕事をして収入を得るのもいいチャンスです。
そういう「自立する姿勢」がご長男にも「自立する姿勢」
家のなかが「自立し自分の人生は自分で切り開くオーラ」、雰囲気が出てくるのです。
人のオーラというのは伝わるんでですよ。
唯一接するお母さんがこれだけ恵まれた生活の中で「
ご長男もこれだけ恵まれた生活の中で「今はかなしい、辛い、
どんな状況でも「なんとかなるさ」という意志をもって、
感化されるんですよ。
同じ状況を「私は恵まれている。チャンスだ!」と捉える人がいます。
あなたと同じ状況を「かなしい、辛い、不安だ」
あなたと同じ状況を「なんとかなるさ」と思う人がいます。
あなたと同じ状況を「私は恵まれている。チャンスだ!」
あなたはどういう未来が欲しいのでしょうか。
恵まれたチャンスあふれる未来でしょうか?
なら「今の現実」を誰がなんと言おうと「私は恵まれている。
もし、あなたがそう思えないというのなら「
だって、同じ状況を「私は恵まれている。チャンスだ!」
状況は変えられない、変えられるのは自分の解釈だけ
いいですか、状況というのは変えられません。
起こっていることは起こっていることです。
そこに人間の自由はないのです。
選択の余地はないのです。
起こっていることは起こっていることです。
それがあなたの現実です。
変えられるのはその現実に対する「あなたの解釈」だけです。
よく人は自由意志を持っていると言われます。
自由意思というのは、「起こっている現実をどう解釈するか」
すでに起こってしまっていることに自由意志は行使できません。
「起こっている現実」 に対して解釈を選べない人に自由はない
私たちが自由意志を行使できるのは、「
この「起こっている現実をどう解釈するか」
今「起こっている現実」は変えられないけど、
「それだけが」人間の自由意志なんですよ!
起こっている現実を「どう解釈するか」ということについて、
「起こっている現実」
「起こっている現実」
「起こっている現実」
これは何度でも言って強調すべきところです。
「起こっている現実」
自由というのは「起こっている現実」に対して「どう解釈するか」ということについて万人に平等に自由が与えられているということなのです。
自分自身で「状況の解釈」を選べない人は「状況の奴隷」
「起こっている現実」に対して自分自身で解釈を選べない人は「
いいですね!
自分自身で状況の解釈を選べない人は「状況の奴隷です」。
あなたは今の状況に対して「今はかなしい、辛い、不安だ」
もしそうなら、あなたの未来は「かなしい、辛い、不安な」
思考が現実化するのは法則ですから変えられません。
思考は現実化するからですよ。
未来に起こる、
いえ、今起こっているかもしれない、
「かなしい、辛い、不安な」現実は「
思考が現実化するのは法則ですから変えられません。
私たちが現実を変えるためには、思考を変えるしかありません。
もし解釈を変えないなら現実は変わらない、なぜなら「それをあなたが選んでいる」から
思考を変えるとは、現実に対する解釈を変えるということなんですよ。
あなたと同じ状況を「かなしい、辛い、不安だ」
あなたと同じ状況を「なんとかなるさ」と思う人がいます。
あなたと同じ状況を「私は恵まれている。チャンスだ!」
他にも数えきれない解釈があります。
あなたがもし「かなしい、辛い、不安だ」と解釈するなら、
なぜなら「それをあなたが選んでいる」からです。
同じ状況を別に解釈する方法は、この世にはごまんとあるのに、
世の中に無限にある解釈の中であなたがそれを選び続けているのは
解釈というのは、単なる思考ですから、 今この瞬間別の解釈が選べる
解釈というのは、単なる思考ですから、
その人の人生の現実を作る唯一の主権者はその人であり、その人がその状況をどう解釈し、思考するかということに干渉できる人は誰もいないのです。
すなわち「なんとかなるさ」と今この瞬間解釈することができる。
「私は恵まれている。チャンスだ!」
思考というのはいつでも切り替えられるのです。
それが「人間が自由意志をもつ」という意味です。
思考が切り替えらない人に自由はありません。
もし切り替えたいと思うのなら、 今から切り替えなくちゃいけない。
もし切り替えたいと思うのなら、
何があっても「なんとかなるさ」と思わないといけない。
「かなしい、辛い、不安だ」
その瞬間に「なんとかなるさ」とつぶやかないといけない。
「かなしい、辛い、不安だ」
散歩に出て体を動かし、太陽と緑を目にして、
「かなしい、辛い、不安だ」
そして、自分と似た状況の中を「私は恵まれている。チャンスだ!
それを毎瞬、毎瞬、毎日、毎日続けなくちゃいけない。
そうすると「新たなに自分が与えた解釈に従って」
それ以外にはあり得ません。
とても簡単な事です。
ご主人と離れていて寂しいのなら、不安で涙がこぼれてしまうのなら、一緒に居たいのならご主人の所に行ってしまえばいいのです。長男君と一緒にね。長男君が不登校なら丁度良いじゃありませんか。人生は長い。学校に行くのが1年や2年先に延びたところでどうってことありません。かえって新しい環境の方が長男君には合うかもしれない。ダメだったら戻ってくればいい。
こうでなければいけないなんて決める必要はありません。
あなたは、貴方自身の為に良いと思う道を選んで歩んで行ってください。