幸せになれない「幸せ観」

メールをいただきました。

自分の内側に思いめぐらせ始めてみました。
ずっと、何か大きな引っかかりがあって、自分の流れがせき止められている感覚があるけど、その引っかかり本体までたどり着けたことはなくて、この不自然な状態が当たり前になってしまっているなって改めて自覚しました。
何が原因かなと振り返っても色々色々ありすぎるんですけど。笑。
今改めて気づいたのは、物心ついた時からいつも1番欲しいものが手に入らないなってことです。
ある程度自分の考えを持ち出した頃に、誤った認識を持ったなら理解できるんですけど、ばかばかしいかもですがw幼稚園の時に、団地の仲良しの友達と同じ組になりたかったのに、自分以外みんな同じ組になったけど自分だけ違う組になってしまったり、年末の演劇でやりたい役があって、何人かやりたい人がいたらジャンケンで決める、ってなって最後の2人まで残ったのに、そこで負けてしまってやりたい役がやれなかったり。
(5歳の時の事なのに、負けて大泣きしたのは覚えています。笑)
それから、中学受験も1番行きたかったとこは落ちて2番目の志望校に受かりましたし、
あとはもう、好きな人が出来てもフラれるとか、試合に出ても負けるとか、
就活で行きたい企業には落ちるとか、ありすぎますね。笑。
それらが積み重なって「どうせ自分は最高の幸せはかなわない」みたいな縛りになっているのかな、とは思いました。

人間は特定の「結果」を求めることがよくありますが、それは必ずしも自分のために最善ではないということがよくあります。

例えば「幼稚園の時に、団地の仲良しの友達と同じ組になりたかったのに、自分以外みんな同じ組になったけど自分だけ違う組になってしまった」ということですが、かすかな記憶ですが私にも同じようなことがあった気がします(笑)

ところがふたを開けてみたら、新しい友達と楽しくやれて「自分の世界が拡がって」よかったなと思った気がしますよ。

「年末の演劇でやりたい役があって、何人かやりたい人がいたらジャンケンで決める、ってなって最後の2人まで残ったのに、そこで負けてしまってやりたい役がやれなかったり。」

私も何かそういうことがあった気がします(笑)

その反動かどうか知りませんが、小学校3、4年生のころお昼休みや放課後体育館の裏で男女混合で「演劇ごっこ」をするのが流行りましたね(笑)私は背が高かったこともあって「お父さん」とか「先生」役を仰せつかることが多かったですが、みんな一芝居終わったら次はやりたい役になってましたね。みんなそうやってやりたい役をやりたいがために「演劇ごっこ」が流行ったのかもしれません。それはそれで楽しい経験でした。

それは「やりたい役ができなかった」という反動が生み出したかもしれないですね(笑)

「それから、中学受験も1番行きたかったとこは落ちて2番目の志望校に受かりました」ということですが、私も同じような経験をしました(笑)

大学も第一志望は落ちましたね。しかし結局今のような人生を歩んでいるわけですから、それはそれで悪くないと思っています。いえ、よかったんじゃないかな(笑)

「好きな人が出来てもフラれる」とかも、私ももちろんありましたよ!(笑)

たしか小学校6年生の時だったと思いますが、好きな女の子の「家でん」に電話して、(その頃は携帯は普及していませんでしたからね)公園に呼び出したことがあります。「だってお友達でしょ!」と言われました。小学生の私はしばらくそれがフラれたという意味だことが理解できませんでしたけどね。「ああこういうアプローチはダメなんだ」と成長しましたね(何が!)(笑)

「試合に出ても負けるとか」それはすべてのスポーツ選手が経験することです!もちろん私も経験しました(笑)。オリンピックの金メダリスト以外2位以下全員負けています。それは普通のことです(笑)

「就活で行きたい企業には落ちるとか」それも多くの人が普通に経験していることです。むしろ第一志望に一発で内定もらう方が例外と言っていいでしょう。

それらが積み重なって「どうせ自分は最高の幸せはかなわない」みたいな縛りになっているのかなと

それ縛りでも何でもなくて、誰もが経験するありふれたことなんですよ(笑)

当たり前のことが積み重なって自分は最高の幸せになれないと思っているのと同じです。

最高の幸せって何ですか?

最高の幸せって何ですか?

すべての第一志望に受かり、東大を出て、第一志望のキャリア官僚になり、霞が関で出世することですか?

時々テレビに映る彼らのストレスフルな顔を見てください。

あの顔が幸せだと思いますか?(笑)

霞が関まで行かなくても、免許の更新とか、地元の役所に手続きの時に行って彼らの目を見てください。死んでますよ(笑)

公務員は最も認知症を発症する仕事のひとつです。

ところが今子供の「なりたい仕事」第一位は地方公務員だそうですよ。

彼らは最高の幸せを手に入れたんでしょうかね?

私は父が地方公務員だったのでよくわかります(笑)

そんな誰もが経験する「ごく普通の出来事」で私は幸せになれないと考えるなら、一生幸せになることはできません。

幸せになれない「幸せ観」

なぜあなたが幸せになれないのか?

それは「幸せになれない幸せ観」を持っているからです。

そんなごくありふれた普通の出来事で幸せになれないと嘆くなら、これからもずっと幸せにはなれないでしょう。

なぜなら、行きたかった第一志望校、就職先に就ける可能性は今となってはほとんどないからです。

そういう「幸せ観」を持ち、そういうことを後悔し続けるなら、これからも一生幸せにはなれません。

それは「幸せになれない幸せ観」なんですよ。

自分の幸せに役に立っていない「思考」です。

それに気づいたなら、もし自分の部屋がもはや喜びのないものであふれて片付かなくなっているなら、最初にすべきことは断捨離です。

ああこれはもう役立ってないな、いつまでも部屋に置いておいてもしょうがないから手放そうと決め断捨離することです。

その「幸せになれない幸せ観」のことです。

そうして部屋の中にある幸せに役立っていないガラクタをすっかり片付けたら、初めて何か新しいもの(思考)、自分が喜びを感じるもの(思考)を導入し、自分の部屋(人生)をより喜びにあふれるものにできます。

世の中には断捨離できない人は多いです。

まして目に見えない自分の思考の断捨離はもっと難しいです。

(本当に難しいのは、もはや役に立っていない「成功体験」を捨てることです。失敗体験ではなくてね。)

私は今まで馴染んだこれらの思考を捨てることはできないというのであれば、どうか自分の思いを尊重してください。

今生は無理かもしれませんが、いつかはそういう「外から与えられた価値観」ではなくて、本当の自分の幸せに向かって生きたいと決心するかもしれません。

それはあと100回の転生が必要かもしれませんが、かまうことはありません。

すべては自分のペースで決めていいのです。

うんざりするまで同じことを繰り返していいのです。

私には「その幸せ観」はあなたの役に立っていないし、実はそれを実現したいわゆる「勝ち組」にとってさえ役に立っていないと思います。

それはテレビに時々写る、第一志望校に合格し、第一希望の就職先に入れた官僚たちの顔を見ればわかります(笑)

あなたは彼らのような表情になりたいのですか?

もし「やってみなければわからない」と言うことであれば何生もかけて、そういう人生を達成してください。

ただ私の理解では今生のあなたに必要な経験は、自然とそうなるようになっています。

もしそれがスムーズに手に入らないなら、そもそもそれは今のあなたには必要ないし、むしろ邪魔になるから手に入らないのです。

あなたは心底(魂のレベルでは)そういう生き方を望んでいないからです。

いずれにしても人生の転換点というのは自分で決めるものです。

ご自分にとってより真にもたらす変化をもたらせるといいですね。

お返事です(笑)

榎本さま
ご返信ありがとうございます!
久々にブログの記事に取り上げて頂いた気がします。笑。
真摯な長文の解説、何度も読んでみました。
「そうだよね」っていう事を、真正面から突き付けて頂いて、上手く言葉で表せないのですが、「うん、そうだ。そうなんだ」って、ただそんな感じになっています。
なんていうんでしょう、コメントのしようもないというか笑。もう、そうです!って感じです。
自分に自信がなくて臆病すぎて、正論を目の前から言われると、自分を否定された気になって、言い訳したくなったり、悲しくなったり腹が立ったりで相手から逃げたくなるようなタイプなのですが榎本さまの言葉だと、なんだか不思議とスコーンと自分の中に入ってきて、響いてきました。
底抜けに幸せを体現している榎本さまのお人柄と、やさしさによるものなのかもしれないですね。
ていうか、わたしがうじうじしてたことって、客観的に見るとめちゃめちゃしょーもないですね!笑。
自分に自信がなくて、何か意味や価値を求めてしまって、
謎に過去の悲しい事一つ一つに重きを置いて、悲劇のヒロインぶっていたのかもしれないです。
でも、本当全然楽しくないんですよね。笑。
いいかげんそこに気づけや、って事で身体が色々サインを出してくれてたのかもしれないです。
このままだともう限界だよ!って。
丁度昼休みにyoutubeを観ていたら、「空っぽだとエネルギーが入る」という動画がオススメに出てきて、ハッとしていました。
家にしろ人間にしろ、空っぽになるからこそ新しいものがどんどん入ってくる、みたいな内容でした。
わたしという存在の中に、どれだけ今は使えないガラクタが詰まりまくっているんだろう、と気づかされたような感じなのです。
そこに、榎本さまからのご返信を頂いて、何かエネルギーを貰ったんですかね?
言い訳とか、無理かも・・・みたいな気持ちも全然浮かばず、シンプルにまっすぐ「そうだ、捨てよう」「生まれ直せば、生まれ変わればいいんだ」みたいな感覚です。
何かをなさねばとか、価値をもたねばとか、そういうのじゃなくて、ただ自分は自分でいるだけで完璧で、それ以上もそれ以下もないっていう、
シンプルな今を生きてみます。
「自分なんて」って思ってしまう根拠なんて、どれも自分が思い込んでいるだけで、本当は何の意味もないんですね。
わたしのしょーもない思い込み笑、から生まれたあの記事が、1人でも多くの、他の人のお役に立ったらいいなと思います。
浄化だけでなく、素晴らしいメッセージをありがとうございました。

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