両親の望まぬ妊娠をしてしまったYさん。
反対され、最終的には自分の人格が壊れるのを感じつつも堕ろす決断をしますが、時期的に間に合わず出産することに。
父親のいない子供はついに不登校に。
>何回か子供と一緒に死ねたら…と考えた事があります。でも、死ねませんでした。死ぬ気持ちがあれば、やりなおせると…。
・・・・
> 私の気持ちが落ち着けば、子供の気持ちも安定するのではないか?と思っています。
その通りです。
お母さんの気持ちが安定することが一番です。
自分の気持ちさえ安定していれば、人が何を言おうが気にならないのです。
〇〇ちゃんにとって、お母さんは港のようなものです。
学校で何があろうとも、ご両親やご家族に何を言われようとも、お母さんは防波堤になってくれる。
外海は嵐でも、お母さんのところに来たら防波堤の内側に入り、外の嵐が嘘のように穏やかになる。
そうしてゆっくり休んで、補給できると、また〇〇ちゃんは新たな冒険に向かって外海へ出ていく勇気が出てきます。
〇〇ちゃんの冒険の行動範囲はどんどん拡大し、行く先々で自分で、休息地を見つけ、補給できるようになっていくしょう。最終的には母港を必要としないまでに自律航行できるようになります。
そうでなければなりません。
最終的に、親は子供を大海に自由に解き放つために育てているのです。
それだけの勇気と、知恵、体力と自信、自分と人を愛する気持ちを養うのが親の仕事です。
間違っても将来、〇〇ちゃんに恩を着せて養ってもらおうなどと思ってはいけません。
それは愛ではありません。
取引です。
商行為ですよ。
今養うから、後で養ってという取引です。
子供が自立することは親にとって最大の喜びです。
私たちはただ、自由に飛び立たせるために、子供に膨大なエネルギーを注ぎ続けるのです。
子育てを通じて私たちは無償の愛を学んでいるんです。
なんの見返りもなくただ単に愛するという、純愛を学んでいるのです。
純愛こそがこの世でもっとも大切なものです。
相手に何か求めるのではなく、ただ一方的に愛する。
それを受け取るかどうかは相手の自由です。
もし、必要がなくなればいつでも自由に飛び立っていい。
愛は相手があるから存在するのではありませんよ。
完全に自分の問題です。
自分が一人で勝手に愛にあふれるのです。
見る人がいないからといって、花が咲くことをためらうでしょうか。
蝶がいまいが、ミツバチがいまいがそんなことは気にしません。
ただ単に自分で咲いて、美しさと香りを地上に解き放つのです。
もし、蝶やミツバチが来て自分の蜜をもっていってくれたらどんなに幸せでしょう。
子供がいて、自分の愛を受けってくれるということは、それだけで純粋な喜びです。
自分の作った食事を食べてくれる。自分の洗った服を着てくれる。
自分の愛を受けとってくれる人がいること自体が純粋な喜びです。
人は誰もが純愛を学ぶために地上に生まれます。
ご両親やご家族にとって血の繋がっていない〇〇ちゃんは、純愛を学ぶ上で
またとない神様からの贈り物です。
その学びをまずは自分から、そして家族に広げることが今生の学びです。
もう一度繰り返しますが、愛に相手は関係ありません。
人は自分一人で成長し愛を放つ存在になっていきます。
それはただ単にその人自身だけの問題です。
日陰に落ちたからと言って、花咲くことをあきらめる種があるでしょうか。
どんな条件に生まれても、種は自分なりに根を張り光を求めて成長していくのです。アスファルトだって突き破れるのです。
そうやって愛を放つ存在に成長しするのです。
〇〇ちゃんを通じて、純愛を学ぶことができた時。 〇〇ちゃんは大海に自由に羽ばたいていくでしょう。
それでいいのです。
しかし、ご自分は純愛を学び愛にあふれる存在になっています。
無条件の愛。
純愛は私たち人類のひとつの到達点です。
人間の純粋な開花です。
たとえ子供は去っても、あふれる美しさと香りと蜜をもとめて多くの蝶がご自身の人生に訪れることになります。それは必然です。
この地上に無条件の愛、無償の愛、貴重な純愛が咲いている時、人生に幸せの蝶がおびただしく舞うことになります。
自然はそのようになっています。
ですから何も心配することはありません。
今生は学びの特急券を神様にもらっただけです。
(〇〇ちゃんは現在元気に学校に登校しています。)