仙崎・金子みすゞ記念館

萩駅から輪行する。

昨日来た長門方面に向かって戻る。

JR西日本のポスター

「それぞれの、夏が始まる」(笑)

仙崎駅に到着

仙崎駅に到着。

仙崎は金子みすゞの故郷だ。

町中に色んなところに、金子みすゞの歌碑がある。

みすゞ通りを散策しながら、金子みすゞ記念館を訪れた。

ここ?

金子みすゞ記念館とはどこにも書いてないぞ?

金子みすゞの生家の書店ということだが、普通の家そのものじゃないか。

こんなところに勝手に入っていいのか?

近づいて裸電球の下の短冊を読んでみると。

お~

こんなに小さく「金子みすゞ記念館」と書いてあった!

「戸を開けてお入りください」ですか。

はい。では遠慮なく。

失礼します~

と、そっと戸を開ける。

あらっ

みすゞさんが、本を読みながら店番してらした・・・

こんにちは~

なんか当時にタイムスリップしたよう(笑)

中は当時の様子がそのまま残してあります。

井戸

台所

通りに面した二階の部屋

ところどころに、場所にちなんだ詩が掲げてあります。

「ぽかりと浮かべた木のきれ」はここにある訳です。

五右衛門風呂ですね!

こんな生活の中であの詩はうまれたんだなぁ。

ツバメが!

建物を出ると、頭の上をツバメがたくさん飛び交っていてびっくり!

ツバメが巣を作りやすいように、板が取りつけてありました。

本物のツバメなんて、生き物を愛した金子みすゞにふさわしい素敵な演出♪^^

隣には立派な建物の金子みすゞ記念館がありました。

私のブログのキャッチフレーズ「みんなちがって、みんないい」のオリジナルです。

一度、ここを訪れたいと思っていました!

彼女の色んな作品を見ることができます。

金子みすゞ好きな方はぜひ一度お越しくださいね~^^

仙崎は大陸からの引き上げ地点

この仙崎は日本の敗戦後、博多や舞鶴と並んで満州などから引き揚げてくる日本人の受け入れ港でした。

実は私の祖母と幼かった父は、ハルピンで終戦を迎え敗戦から2年半かかって、ようやく日本に帰ることができました。

一般人には満州鉄道にも、船にも簡単に乗ることができなかった。

その過酷な逃避行の最中に命を落とす人は少なくなく、多くの子供が残留孤児になりました。

父も背後からソ連兵が銃撃する中を逃げたそうで、左耳の上を銃弾がかすめた跡がありました。

当時のことはあまり話してくれませんでしたが、広島出身ですから、ここ仙崎に上陸したのではないかと思っています。

子供だった父がここ仙崎港にたどり着いたから、今の私があるわけで、そういう意味で私にとってはとても感慨深い場所です。

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