新しい地球の出現の『進化』と自然災害などに対する心構え

4月9日に震度5強の地震があった、鳥取の「力の使い手」さんからメールをいただきました。

地震はこちらも結構揺れましたが、
おかげさまで被害もなく、平穏に過ごしています。
気にかけていただきながら、お尋ねするのも恐縮ですが・・・
これも新しい地球の出現の『進化』と
捉えたらよろしいのでしょうか・・・
たまたま今回は震源地ではなかっただけで、
もし当事者だったら、なかなかそのようには捉えることは
難しいのではないか、と正直思いました。
自然災害にあった場合、力の使い手としては
どのように自分を保てばよいか、教えてください。

 新しい地球の出現の『進化』について

人間の「文明」と「人間性」は足並みをそろえて進化する必要があります。

しかし、往々にして「文明」が先に進化し、「人間性」が追い付かないことがあります。

例えば、刀や弓、槍とかで戦ってる時代なら、「全体に」大きな影響をおぼぶことはないかもしれませんが、火薬、そして、核兵器、・・・と「文明」が進歩して「人間性」が追い付かないと地球が破滅してしまいます。

環境破壊や、生命の破壊(絶滅危惧種などの絶滅)もそうですね。

そういうことを始めた「高度な文明」と「低い人間性」の人類と地球が共存できなくなったとき、地球は自身と生命を守るために、人間を一掃してしまうことが過去に何度も起こっているようです。例えばノアの洪水とか、ムー・アトランティスの滅亡などとして伝えられていることもそうですね。

そういう時は「ノアの一家」のように平和な種族を地球に残して、そこから人類を再度始めるということが行われているようです。

さて、現在の人類はいよいよ核兵器やそれ以上の兵器を手にし、環境を破壊し、気候を変動させ、生命をどんどん絶滅においやっています。

1999年のノストラダムスの大予言とか、2012年マヤ歴による時間の終わりなどが話題になりましたが、いわゆる「人類のリセット」は本当にあり得る話だったのです。

非常に微妙なラインだったようですよ。

しかし、幸いなことに人類は「人間性の進化」を選択しました。

そして今後は、「志向の違う」人たちを今までの地球のように混合しないように分けて暮らすような方向に進んでいます。いわゆるパラレルワールドと言われるものですね。

地球は平和ないい星になります。

すでに地球は変化しました。

そして、その変化について行けない人たちが「地球を去る」という現象が起こっています。

それがある場合は病気や事故や自然災害といった形で現れることもあります。

特に自然災害は、地球の微調整であることが多いようですね。

そして人類も「平和な人々」が残ります。つまり、「高度な文明」を持っていても、お互いにケンカしたり戦争したりしない人々です。環境を破壊したり、生命を絶滅させたりしない人々ですね。

今そういう大きな変化が進行しているところです。

それが、新しい地球の出現の『進化』と呼ばれていることです。

 今回は人類は絶滅しない

今回は人類は絶滅しないと私は見ています。

人類は致命的な滅亡を回避しました。

全体として見ると人類は「ケンカの嫌いなとてもいい人」なのです。

だから人類は滅亡せずにすみました。

「お互いにケンカしたり戦争したりしない、環境を破壊したり、生命を絶滅させたりしない人々」となることを選択したということです。

かといって、地球上には今までそういう人ばかりではなかったですよね。

自分の有利な立場を守るために人々を支配する人がいますし、それを手放すまいとする抵抗もまだまだ続きます。それがテロなどの紛争として表面化しています。

また地球の微調整も続きます。もしかしたら、「部分的に大きな調整」も必要かもしれません。

まだ人類は全体として、「お互いにケンカしたり戦争したりしない、環境を破壊したり、生命を絶滅させたりしない人々」だけで構成されているわけではありませんから、まだまだ必要な調整や変化への抵抗、摩擦も続いていきます。

現在はそのような状態だと見ています。

どのように自分を保てばよいか、教えてください。

自然災害にあった場合、力の使い手としては
どのように自分を保てばよいか、教えてください。

まず「自然災害にあった場合」とされていますね。

そのように思わない方がいいです。自分で引き寄せてしまうかもしれませんから(笑)

もし地震などで揺れたら「いい感じにゆれてるな~」と思ったらいいです。

万一大きく揺れても「いい調整が行われている」と思ってください。

要はパニックにならないということです。

もしかしたら、大きな地震はあるかもしれません。

ある地域全体で揺れるものは、自分だけ揺れないということは不可能です。

しかし、その地震の中にあって、怪我をしたり亡くなる人もいるし、何事もない人もいます。

要はパニックにならず、ある意味「すげ~な」と楽しむ余裕をもっておくことです。

避難生活をすることもあるかもしれませんし、炊き出しをすることがあるかもしれませんが、それを含めて変化を楽しむことです。

それが「自分を保つ」ということです。

一番の対策は新しい地球に値する人になること

一番の対策は新しい地球に値する人になることです。

人の本質は永遠の魂ですから、誰もがいつかは肉体を離れる時がきます。

それが自然災害か、交通事故か、病気か、他のなにかであることはあまり重要なことではありません。

いつか来ます(笑)

それよりも、次に転生するなら、「高度な文明」を持ちながら、お互いにケンカしたり戦争したりしない、環境を破壊したり、生命を絶滅させたりしない地球に転生すべきです。

みんなが仲良く、自然と仲良く、美しい大自然との調和と生命の躍動にあふれた地球に転生し次の人生を謳歌すべきなのです。

もちろん一番いいのは、今の身体を保ったまま新しい地球の変化についていくことです。

このいわゆる次元上昇と呼ばれるイベントに、地球で身体を持って参加できる機会は宇宙で稀な機会であり、大変名誉なことでもあります。

この次元上昇と呼ばれる変化はのちのち宇宙中で語りつがれるような一大イベントなんですよ。

ですから、宇宙の他の文明の存在や見えない存在なども大挙して地球にやってきて、ことの推移を見守ったり応援したりしてくれています。もちろん宇宙の原則である、地球人の自由意志を最大限に尊重しながらです。

私たちが心がけること

私たちが心がけることは、「高度な文明」を持ちながら、お互いにケンカしたり戦争したりしない、環境を破壊したり、生命を絶滅させたりしない地球に自ら適応していくことです。

私は遠隔浄化を通じて、人の病気の再発を防ぐため、不幸や病気を防ぐためには「みんなちがってみんないい」とお互いがお互いを尊重することが大切であることに気づきました。

それは「高度な文明を持ちながら、お互いにケンカしたり戦争したりしない」、新しい地球に生きる上で必要な資質だったのです。

つまり、病気や不幸を防ぎたければ、「みんなちがってみんないい」を自分の人生に取り入れ、みんなと仲良く楽しく喜びにあふれて人生を生きていればいいのです。

私は子供の頃からどういう訳か嫌いな人がおらず、「みんなちがってみんないい」を実践してきたような形になってしまったのですが、幸い私は今まで大病もせず、大きな不幸も経験することがありませんでした。

ですから「みんなちがってみんないい」を自分の人生に取り入れ、みんなと仲良く楽しく喜びにあふれて人生を生きていれば、病気にならないということは私の人生経験からも言えるのです。

「力の使い手」とは、いわば自分の人生で「みんなちがってみんないい」を実践しながら、みんなと仲良く楽しく喜びにあふれて人生を生き、ご縁があった方を遠隔浄化でよくしながら、「みんなちがってみんないい」を実践しながら、みんなと仲良く楽しく喜びにあふれて人生を生きてもらうのが役割なのです。

それは具体的に言うと、家庭内の不和をなくしたり、人間関係の不和をなくすことです。

家庭内の不和や、人間関係の不和のあるところには、必ず「みんなちがってみんないい」ではない思考があるのです。

簡単に言うと「あなたはこうすべき」「あなたはああすべき」「これが社会の常識」「これが女(男)のつとめ」・・・みたいなルールの押し付けあいがあるのです。

「みんなちがってみんないい」とは、そういう価値観の違いを尊重し、お互いに押し付けあうのはやめようということです。

簡単に言うと、誰かを支配するのをやめようということです。

大きな声を出したり、不機嫌になって、自分の意向を通すのをやめようということです。

そういうことをする人がたまたま一国の大統領になると戦争を始めるからです。

そういう人はもう、新しい地球にはふさわしくないのです。

ですから、そういう人の人生には多くの人間関係のトラブルや不幸、不和があります。病気も生じます。早く気がつかないと病気が悪化して身体を離れてしまいます。

しかし多くの人が、そういう「思考」が人生の不幸や病気に関係しているとは思っていないのです。

それに気づいてもらって、病気や痛みを再発させず、みんなと仲良く楽しく喜びにあふれて人生を生きてもらうこと。

それが「力の使い手」のなすべきことです。

私も遠隔浄化などとできて不思議なことだなぁ~と思っていましたが、こういう変化の時代に見えない世界でも守護霊団と呼ばれる方たちが地球周辺に滞在し、そういう霊団と縁のある魂を使って変化を手伝おうとされているのです。

私がやっている遠隔浄化の「力の使い手」もその一環であることを明確に理解しました。

自然災害にあった場合、力の使い手としては
どのように自分を保てばよいか、教えてください。

私が言いたいことは、「自然災害にあわない」人になってもらいたいということです。

人類は全体として、1999年や2012年頃に予想されていた大きな大災害を何事もなかったかのように通過しました。

これが本来あるべき姿です。

ここまでのところ人類は非常によくやっているのです。

これからも「何事もなかったかのように」通過するのが一番いいのです。

そのためには、私の言葉でいえば、「みんなちがってみんないい」でみんなと仲良く楽しく喜びにあふれて人生を生きることなのです。

それが、「どのように自分を保てばよいか」という問いに対する私の答えです。

自然災害にあった場合にそうするのではなくて、「自然災害にあわないために」そうするのです。しかし、あっても「みんなちがってみんないい」で、その避難生活や炊き出しをみんなと仲良く楽しく喜びにあふれて生きることなのです。

同じなんですよ!

同じなのです。

自然災害があってもなくても同じなのです。

日常生活から同じなのです。

今日、今、家庭で言い争いしなかったか、人間関係は穏やかか、みんなと仲良く楽しく喜びにあふれて生きるかということが大切なのです。

それがないところに、不和、不幸、病気が生じていますから、ご縁があったところからそれを解消するお手伝いをすることです。それが「力の使い手としてはどのように自分を保てばよいか」ということです。

それは自然災害があってもなくても、起こっても、今日の家庭や人間関係の中でも大切なことなのです。

「力の使い手」の心構え

私はそれを「みんなちがってみんないい」と表現していますが、それがイエスの教える「隣人愛」(身近な人を愛しなさい)、意見の違いがあっても「赦しなさい」という教えなのです。

聖徳太子の言われる「和をもって貴しとなす」なのです。

日本国憲法の前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」も同じことです。

フランチェスコの平和の祈りも同じです。

「神様

私達を平和の道具とならせてください

憎しみあるところに愛

争いあるところに許し

分裂あるところに一致

疑いあるところに信仰

誤りあるところに真理

絶望あるところに希望

悲しみあるところに喜び

暗闇に光をもたらす者とならせてください

神様

慰められるより、慰めることを

理解されるより、理解することを

愛されるより、愛することを求めさせてください

それは

人は与えることによって受け

許すことによって許され

自己に死ぬことによって永遠の生命を生きるものとなるからです」

これもまったく同じです。

その実践は、まずは私たちの日常生活からなんですよ。

自分の家庭や人間関係で、意見の違いで「憎しみ、争い、分裂」を起こしていないか?ということです。

それはただの意見の食い違いで、「みんなちがってみんないい」ただそう思うだけで、すべて消え去ってしまうものでなのではないですかと問うことです。

そんなつまらないことに「執着」せずに、みんなと仲良く楽しく喜びにあふれて生きたらいいじゃないかということなのです。「執着を手放せ」というのが仏陀の教えですね。

それを自分の人生に実践することです。

人にもぜひあなたのやり方でそうしてみたら!と勧めることです。

それがどのような場面においても、力の使い手が「どのように自分を保てばよいか」ということの答えです。

イエスの教えでも仏陀の教えでも、フランチェスコの教えでも、聖徳太子の教えでも日本国憲法でも何でもいいんですよ!「みんなちがってみんないい」のです。

ただ、「みんなと仲良く楽しく喜びにあふれて生きている」という実践が大事なのです。

言葉の違いなどどうでもいいのですよ。言葉じゃないんです、心の状態です。

それが「力の使い手」の心構えです。

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