マニュアル化可能な仕事は必ず自動化され機械にとって代わられます。魂を持つ人間にしかできない仕事、心こそが力を発揮する仕事に打ち込むべきなのです。

マニュアル化可能な仕事は、必ず自動化され機械にとって代わられます。魂を持つ人間にしかできない仕事、心こそが力を発揮する仕事に打ち込むべきなのです。

自分の仕事のマニュアル化をやっている人は、自分の墓穴を自分で掘っているのと同じです。

マニュアル化され、交代可能な仕事がここ30年間ずっと時給が変わっていないことをみてもそれは、明らかです。

教育関係のお仕事をされている方からメールをいただきました。

「学びのプロセス」については、私自身の大きなテーマでした。 先生方に「大切なことを教えずに子供自身に気づかせる授業」をいかにして実現してもらうか。
でも時間は無限にはないので多くの授業では教えてしまうのです。 もしくはこれ見よがしに教える側にとって都合のよいヒントが用意されているのです。

一見合理的でその場は先生の計画通りに無駄なくキレイに流れるのですが、そういうクラスの子は教科書とは異なる新たな課題を前にすると自力では手も足も出ない。そしていつも教師の用意してくれる便利なヒントを求めてしまう、もしくは途中で諦めてしまうのです。
一方で時間はかかっても試行錯誤しながらああでもない、こうでもないと考え方を議論した経験をもつ子たちは本質的な理解が進んでるので少々難しい問題に出くわしても 何とかして解決の糸口を見つけられる傾向が強いのです。・・・かと言って丸投げで「さあ、考えてごらん!」はこれまたダメな訳で

まさに個々の学習状況に即してつまづかせたいところや議論させたいところを的確にとらえて与え、必要に応じて個々の求める支援を効果的に講じていくこと。そんな支援が子供を自立させ、主体的にするにはとても大切だと思っています。

>たとえば「ああ、見えない力ってあるんだ!」というのも立派な気づきです。
>それが見えない世界の存在への気づきにつながります。
>また、浄化しても再発したりする場合もあります。
>ご指摘の通り、その人にはまだ学ぶべきことがあるからです。
>それを一緒に学ぶのが、一つの大きなポイントです。
>それは自分が好きじゃなかったり、憎しみであったり、恨みであったり色々です。
>そこをうまく伝えるのが一つの腕の見せどころです。
>ポイントを的確につかみ、その人にわかりやすい言葉と表現で、受け入れられるタイミングで伝える必要があります。
>それはとても人間的な仕事です。
>たくさん経験を積めば積むほどいいです。

先日の先生のメルマガのこの記事を読んだとき思わず声を上げてしまいました。まさに私の求めていた問の答えがここにあると思ったからです。
この記事を読んだ後に、他の記事を読み返すと初読では気づかなかった先生の言葉の深さが心にしみて胸が熱くなりました。( 2017年1月8日 21:05)

そうでしたか。

そう思ってもらえればうれしいです。

遠隔浄化というのは実際に痛みや症状がある人と1対1なのです。

その人から見たら私は100%なんですよ。

そして人それぞれ人生はさまざまでありバックグランドやトラウマ、心の葛藤もさまざまです。

でもそれを「自分で作っている」で終わってしまっては、何にもならないんですよ。

ひとりひとりにメールのやり取りで背景をつかみ、実際に原因となっている心の葛藤を解放しないと遠隔浄化の存在意義などないのです。

だから、この人にとって症状を動かすためには何が必要なのかと1回1回が真剣勝負なのです。

本質的でないことや冗長なことをあーだこーだやっている場合ではありません。

そんなわかりにくことをやっても伝わりません。

常に意味あること、簡潔でわかりやすく要領を得ていることを追求せざるをえないのです。

私はそういうことにしか関心がないのです。

それしか遠隔浄化を人の役に立つ意味あるものとして世に出すことはできないと思っています。

世の中には数え切れないほどの症状や不幸があるし、世の中には数えきれないほどの幸福があります。

それらをすべて本人が今までも選んきたし、いつでも違う現実を選ぶことができると考えています。

問題はどうやって無意識に望まぬ結果を選んでしまったことに気づき、望む結果を意識的にもたらすかなのです。

そこにいかに最短で橋を架けることができるのか。

それこそが「力の使い手」のチャレンジなのです。

ですから、無限のチャレンジがあるのです。

この無意味さと、冗長さがあふれるこの世において、「力の使い手」のチャレンジは無限にあります。

そしてこのチャレンジの基盤となるのが「気づき」です。

「力の使い手」の仕事は極めて人間的なものです。

ぜったいに機械に置き換えることができないものです。

これからどんどん情報化・自動化が進展するでしょう。

自動レジは実用化されています。
列車はモノレールなどでは自動化されています。
自動車もまもなく自動化されるでしょう。

医師も機械で測定し、マニュアルに沿って診断しているのですから、機械の方がミスなく正確に薬を処方するでしょう。

そういう「マニュアル化」可能な仕事はどんどん消滅していきます。

ところが「力の使い手」の仕事は決して自動化できないんですよ。

安保徹先生が指摘しておられるように諸病の原因は心のストレスです。

心というのは測定できないんですよ!

計れないのです。

脳波は計れます。

しかし心は脳にあるんじゃないんですよ。

臨死体験において天井からベットに横たわる自分の身体を見つめ、自分の体にすがって泣く家族を思いやる存在。

それこそが人間の本体であり心のありかです。

その心のありかであり魂と呼ばれる人間の本体は、科学には測定できないのです。

つかめないのですよ!

しかしそれが人間の本質であり、あなたなのです。

その思いから、言葉が生まれ、行動につながっているのです。

その原因となっている心のもつれを解消しないと、その結果である言葉も行動も、その人の人生の何も変わりはしないのです。

私たち「力の使い手」は決して測定しえない、自動化されえない、同じ魂をもつ人間にしかしえない仕事をやっているのです。

マニュアル化可能な仕事は、必ず自動化され機械にとって代わられます。
魂を持つ人間にしかできない仕事、心こそが力を発揮する仕事に打ち込むべきなのです。

>  浄化の方法等のノウハウも勿論ですが、それ以上に 人生を変えるくらいの大きな学びが始められそうで ワクワクしています。
> そして先生から頂いた学びを職場へ学校現場へそしてそれぞれの学校で育つ子供たちへと返していけたら幸せだなと思います。

それがあなたの選択であるならばそれはそれで素晴らしいことです。

過酷で無意味な職場なら、そこを去るのはご本人の自由ですし権利でもあります。

しかし誰かが教育をよりよきものに変えていかなければいけません。

誰かがそれが自分の役割と感じ、取り組む人が必要なのです。

しかしそれを決めるのはご本人です。

中から変えるのか、外から変えるのが、別の方法で影響を与えるのか、さまざまな方法があります。

今はネットを通じた素晴らしい教育もあります。

うかうかしていたら学校教育自体が、キリスト教の神学みたいになってしまいます。

去年の夏スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラのセミナリオ(神学校)に泊まりました。

古いとても立派な建物です。

かつては大勢の学生が学んでいたに違いない寮制のセミナリオです。

もう学ぶものがいないのでしょう。

今は巡礼宿として使われていました。

真に人々に貢献しない教育はどんなに今、立派で尊敬されていても、やがてこうなっていきます。

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