これぞ日本人!【愛媛県宇和海自転車旅】その1

大分県も3か月以上コロナ感染者はゼロであるが、同じくゼロだった対岸の四国愛媛県が補助金5千円出すから、大分県人旅行にカモーン!と呼びかけている。

大分県からは佐多岬半島の付け根、八幡浜にフェリーが出ており、ブロンプトンを持って乗船したのであった。

八幡浜に到着。

塩パン発祥の店 八幡浜パンメゾン

今では全国に広がった塩パンの発祥の店は、四国愛媛の八幡浜パンメゾンだそうだ。

立ち寄っておやつの塩パンを買っておく。

宇和海の道は自転車旅にぴったり

「日本全国津々浦々」という言葉があるけれども、宇和海沿岸はまさにその言葉通りだ!

「津」とは、船着き場。「浦」とは海などが陸地に入り込んだ所。であり、宇和海沿いルートは写真のような津々浦々の連続である。

道は海沿いに曲がりくねっており、ほとんどの車は内陸の便利な国道56号を走る。このルートは地元の車がたまに通るくらいで、景色もいいしのんびり自転車で走るにはぴったりだ。

岬のぉ~♪

はずれにぃ~♪

少年は、魚釣りぃ~♪^^

海の暮らしを感じさせる景色

海の暮らしを感じさせる景色にたくさん巡り合える。

多島美の景色が続く

右手には多島美の景色が続く。

島を見ながら塩パン食べた^^

くじら島

宇和海のモン・サン・ミッシェル

モンサンミシェルとは、聖ミカエルの山の意味だが、こちらの島にはお地蔵様が鎮座しておられた。

洋の東西を問わず、人は陸繋島を見ると聖なるものを感じるらしい(笑)

それにしても見事な段々畑よ!

一所懸命

「遥かなる宇和海

天に至る蒼い段畑

父祖の限りない愛郷の心は

熱い農魂と化し

みかん百年の歴史を越えて

今君たちの鼓動につながる

・・・」

熱いぜ!

宇和海沿岸はリアス式海岸であり海から急に山になっている。

平地も水も少なく米は作れない。

今ではこのあたりの山には縦横に作業用のモノレールが走っているが、

こんなものがなかった時代、

先人はこの急斜面をよじ登って開墾し、苗木を担ぎ上げ、重いみかんを担ぎ下した。

そのご苦労たるや・・・

広島でも大分でもみかんは作っているが、こんな急斜面では作っていない。

そんなもっとなだらかなところにあるみかん園でも最近は放棄されている。

それなのにこんな急峻なところのみかん畑が今もこんなに見事に手入れされているのに感動してしまった。

米がとれないこういう土地では、漁業と、そしてどんなに急峻でも意地でも山を開墾して生きていくしかなかった。

こんな山で育つものはみかんしかなかった。

「一所懸命」という言葉があるか、一つ所で命を懸けて生きていくという意味だ。

今ならこんな暮らしにくいところはさっさと引っ越してしまうかもしれないが、昔はどんなところでも「一所懸命」生きていくしかなかった。

そんな熱い祖先の思いが受け継がれ、現代でもこんなに見事に手入れされている。

大分でも広島でももっとなだらかなみかん園が放棄されつつあるのに、本当に頭の下がる思いであった。

日本の食生活はこういう人たちによって支えられている。

これぞ日本人!

そんな宇和海に「源蔵前」という小さな浜がある。

そこの浦人15人が15メートルの木造船を作って、磁石を頼りに太平洋を横断しアメリカ、サンフランシスコ北に到達したというのだ!

宇和海沿岸は米もとれない厳しい土地だ。

今みたいに便利な道具もなかった。

自分たちの山に生えている木で作った船と、漁業で培った航海術と、熱い思いだけしかなかった。

私も含めて現代の親で、青年期を迎えた自分の子供が、船を作って太平洋を横断すると言い出したとき、応援してやれる親がどれだけいるだろうか?

この米も採れない小さな浦の人々は、自分の大事な跡取り息子がこういうことを言いだしたとき、応援してやれるだけの度量をもっていた。

太平洋横断のための船を作り、兵糧米20俵を集めるのには小さな集落の総力をあげなければできない。

腕の立つ船大工がいて、彼らの思いを意気に感じて、自分の持てるすべての能力を使って、近海用の船を遥かに上回る耐久性、復原性を持つ船を作ったに違いない。

こんな小さな集落にそれだけの知識と度量と、胆力と実行力とがあった。

なんとも豊かである。

ホームセンターに行けばマキタの電動工具でも何でも買える我々よりも、ノコギリやノミしかなかった米も採れない土地に住む彼らの方が、遥かに豊かであった。

豊かさとは一体なんなのか?

我々は祖先の切り拓いた畑を放棄して都会に出て一体何を手に入れようとしているのか?

いろいろ考えさせられた。

こういう米も採れない土地でも「一所懸命」に生き、息子たちの船を作ってアメリカに行ってみたいという「生活の何の足しにもならないこと」を、「よし」とそれを実現させてやるだけの度量と知識と実行力を親は持っていた。

これが日本の津々浦々の、ほんの小さな浦のひとつにもあった。

これぞ日本人だ!

今はコロナで急激な変化に見舞われている人も多いが、日本人はどんな場所でも、「一所懸命」に生きて無から有を生み出し、見事に豊かに生きていく知識と胆力と実行力をDNAとしてみんな受け継いでいる。

今こそ、この日本人としてのDNAを活性化させて、この浦人たちのようにたくましく、そして豊かに生きていきたいものである。

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