「とっても満たされて、これ以上何が必要なんだろう、って」人生を創造する方法

幸せになる方法

 「神様がこのまるごとのわたしを愛して創って生かしてくださっているのだから、これでいいんだ!」ってことですね。の続きです。

 Mさんから、

特に社会に出てからは、多分自分にそぐわない尺度ばかりを
手当たり次第握りしめて、必死に歯を食いしばって生きてきました。
(だから、今顎とか顔とか頭にもこわばりとか疲労が出てるのかなぁと思います。
歯を食いしばって生きてるなんて思ってなかったけど、
自分で自覚しているより、食いしばって耐えてたんでしょうね・・・
何もしなくても顎とか奥歯のあたりがしんどいんです。。えーん。)
だから、成功しなかったんだと思います。自分にどれも合っていないから。

でも、その成功しなかったことで、良かったんですね。
自分が自分を大切にして、幸せにする道で花開くことが、「成功」なんですよね、きっと。

 

そうなんですよ!

実は自分の本来の道でないことで成功しそうになると、魂はちゃんとそれを妨げようとしてくれるんです。

何しろ、なまじ成功してしまうと、もう引き返せなくなり、自分の本来の道に戻ることが非常に難しくなるからです。

多くの人が、内面では満たされていないのに、物質的な豊かさに囲まれることによって、「幸せなフリ」をしているんですよ。

みんなが羨ましがってくれるから「自分も幸せな気がする」だけなんですけどね。

そして、「幸せなフリ」を演じ続けることから降りられくなるのです。

ですから、自分の本来の道でないことで、成功しなかったということはとてもいいことです。

大回りをするところだったからです。

そして、自分の本来の道に従っている時は、喜びを感じ、なんかしらうまくいくものなのです。

それが本来の自分の道に従っているサインです。

 

自分にくつろぐことができないと、恋とかできないんですよ。
>  ふたりで過ごしていても、「何かしなきゃ」「何かにならなきゃ」「何かにならないようにしなきゃ」がずっと底流で続いていますからね。

>  「心ここにあらず」というのはこういうことを言うのです。

なるほど。。本当にそうですよね。
くつろげる自分で恋したいです。それ以外は苦行ですよね・・・爆。

 

苦行です。(笑)

そして、自分自身に見ることは相手にも見るんですよ。
つまり、相手も「こうしなきゃ」「こうならなきゃ」「こうしないようにしなきゃ」と思っちゃうんですよ。

常に自分を批判しているように、相手も批判してしまうのです。

お互いに苦行の人生です(笑)

 

って、くつろぐぞー!とは言ってるものの、
緊張する中での小休憩くらいしかわかってない位なので、
くつろぎの達人榎本さまに(笑)確認しておきます☆

「くつろぐ」っていうのは、
過去も嘆かず未来も憂わず、ただ今生きているからいいんだ。
そんな感じですとーんとしている事で合っていますか?

あっています!あっています!

「過去は嘆く」必要はありません。

前はこうだったから、今度はこうしよう!と思えばいいだけです。

「過去を嘆かず」とは

「過去を嘆く」とは繰り返し、繰り返し、あの時はこうだった、その時はこうだったと、
以前の苦痛を反復することです。

繰り返し、繰り返し、マイナス感情を味わい、嘆くことです。

思うことは実現しますから、その嘆き、悲しみ、怒りを何度も繰り返すことで、今の現実に再現させてしまうんですよ。

本当はもうそうしなくないのに、繰り返してしまう。

それが「過去を嘆く」ということです。

前はこうだったから、今度はこうしよう!は過去を参考にするだけで、囚われていないんです。

参考にしたいときはいつでも参考にし、囚われないでいられることです。

過去から自由なんですね。

 

「未来を憂わず」とは

「未来も憂わず」とは、無意味に未来を不安に思い心配し続けないことです。

例えば、このままお米を食べ続けたら、2月には底をつくということがわかったとします。

それは「現状から未来を想定する」ことです。

それは当然必要なことです。

何時の電車に乗らないと、待ち合わせに遅れるとか、

このままのスピードでブレーキを踏まなかったら、前の車に追突するとかです。

そういう未来を想定することは極めて健全なことであり、必要なことでもあります。

さて、そうして未来を想定したら、間に合うように、家を出ればいい。ブレーキを踏めばいいわけです。それが今すべきことです。

「未来を憂う」とは、不必要に不安心配し続けることです。

こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう・・・

もし病気になったらどうしようと思い続けたら、病気になります。

思うことは現実化するかです。

ですから、不必要な未来を思い続けないことです。

 

未来を想定して、予想される結果が不本意なものなら、それを回避する行動をとるだけ

未来を想定して、予想される結果が不本意なものなら、それを回避する行動をとるだけです。

このまま体重が増え続けたら肥満になることが予想されたら、食べるのを減らすか運動をすればいいのです。それを理解することはいいことですが、いつまでも太ったらどうしようと心配ことは無意味です。

心配するとは、いつまでも「ぶつかったらどうしよう ぶつかったらどうしよう・・・」と思い続けて、ブレーキを踏もうとしないことです。

当然ぶつかりますよ(笑)

さっさとブレーキを踏めばいいのに。

必要に応じて未来を想定したら、ぱっとこそから思考を離し、対策を考え実行に切り替えるだけです。

それをせずにいつまでも、未来を不安心配し続けることが「未来を憂う」ことです。

実は「過去を嘆く」も「未来を憂う」も同じで、「必要に応じて、そこから思考を切り離すことができるか」どうかがポイントです。

過去の思考に巻き込まれてしまってはダメだし、未来の思考に巻き込まれてしまってもダメなのです。

それが「自由」のなんたるかです。

自分に役立つ思考に自由に切り替えることができるし、必要なければくつろぐこともできる。

それを選べることが自由なのです。

「過去を嘆く」も「未来を憂う」もそこから思考を自由にできないことが問題なのです。

 

「あなたがあなた自身でいること」を受け入れない人々に対してNOの意思表示することは大切です。

 

 戦おうとも、防御しようともせず、
ただこのわたしこのままで、あるものを受け取り、ないものも受け取り、
肉体的にも精神的にも、ここにいる、ってことですかね。

 

世の中には残念ながら、「あなたがあなた自身でいること」を受け入れない人々がいます。

「あなたは間違っている!あなたはこうすべきだ!」と言う人たちです。

もしあなたがそういう人に対して、「 戦おうとも、防御しようともせず」にいたら、

あなたは好きなだけ抑圧され、利用されるでしょう。

 

「あなたがあなた自身でいること」を受け入れない人々に対してNOの意思表示することは大切です。

NOを言うことを「戦う」というのなら、戦うことも必要です。

私はNOということを「戦い」だと表現したくありませんけどね。

意志表示することはコミュニケーションです。

しかし、残念ながら大きな声を出し、強圧的に、ある種の暴力で自分の意志を通そうとする人たちがいます。

そういう人たちに対して、「戦おうとも、防御しようともせず」にいたら、決して「あなたがあなた自身でいること」はできないのです。

ある種の隷属的な関係の中に自分をずっと閉じこめておくことになります。

そこから自分を救うためであれば、防御した方がいいし、戦うべきでもあります。

さて、それを達成して、誰かが「あなたがあなた自身でいること」に干渉することがない状況になりました。

その時は、

「ただこのわたしこのままで、あるものを受け取り、ないものも受け取り、肉体的にも精神的にも、ここにいる、ってこと」

でいいです。

今の現状を受け止めることからはじまります

今の私の現状を受け止めるってことです。

今の現状を受け止めないと、どうなりたいかもわかりません。

体重が増えているのに、体重計にも乗らず、「体重が増えている」とという現実を受け入れないなら、決して体重をコントロールしようとは思いません。

まずは、自分の現状を受け止めることは必要です。

そして、誰かに好かれるためでもなく、誰かに認められるためでもなく、もちろん栄光のためでもなく(笑)

ただ単にそうしたいから、そうするのです。

体重をコントロールして、美しく健康であることが「自分の喜び」だからです。

今は食べることが喜びであれば、食べることを大いに楽しいんだらいいのです。

しかし、ずっと食べ続けていたら、やがて食べ続けることに喜びを感じなくなるものです。

「自分の感覚」「自分の喜び」に従っていたら、ちゃんと食べることを楽しみながら健康で美しい状態のバランスが見つけられるのです。

今まで、期待されない事、期待にこたえられない事にすっごくおびえてきました

今まで、期待されない事、期待にこたえられない事に
すっごくおびえてきたな、って、榎本さまの文章で自覚しました。
バカだと思われたくないし、バカにされたくない、で必死で。

 

それってすごく疲れるんですよね(笑)

一度期待されなくてもいい、期待に応えられなくてもいい
バカだと思われてもいい、バカにされてもいい

と覚悟を決めると非常に楽なんですよ。

まずですね。

誰かの期待に応え続けることは「無理」なんです。

人は自分のことじゃないから好き勝手に「期待」するんですよ。

あなたはこの方がいい、こうした方がいい、これができたら、もっとこうした方がいい、キリがありません。

 

「私はあなたの「期待」に応えるために生きているわけではありません。

何か「期待」したいことがあれば、あなたは自分で自分に期待して自分で実現すればいい。

私は私で自分に期待したいことを自分で実現するから、ぜひあなたもそうしてね。」

と言えばいいんですよ。

そのことで、あなたががっかりするならがっかりしても結構!
そのことで、あなたが私をバカと思うのなら、バカと思われて結構!

こういうことはしっかり、「防御した方がいいし、戦った方がいい」のです。

いざ中学受験をして進学をしたら、家柄や学力、外見、キャラクター、あらゆる面で自分より上な人がいて、本心の部分では、自信を打ち砕かれたんです。

私、物心ついた時には、気付いたら「いい子」「優秀な子」だったんです。
ただ自分が出来ることをしているだけで、周りの大人には褒められるし、
勉強も結構できたんですよね。

 

あ~
これが上に書いた、
「なまじ成功してしまうと、もう引き返せなくなり、自分の本来の道に戻ることが非常に難しくなる」ということです。

変に成功してしまうとかえって面倒ですね。(笑)

私なんかイカダ組んで海に出たりして遊びまわっていて、全然期待されてなかったから気が楽でしたよ(笑)

でも、いざ中学受験をして進学をしたら、
家柄や学力、外見、キャラクター、あらゆる面で自分より上な人がいて、
本心の部分では、自信を打ち砕かれたんです。
なのに、それに気づきたくなくて、認めたくなくて、

変にとりつくろったり振る舞ったり、周りの人を見下したりして自分を保ってました。
それから、それを続けたまま生き続けてきたんだなって。

「 家柄や学力、外見、キャラクター、あらゆる面で自分より上な人がいて、 本心の部分では、自信を打ち砕かれたんです。」

こんなことで自信を打ち砕かれることはないんですよ!

「家柄」だったら天皇陛下が一番ですが、天皇陛下は子供のころイカダを組んで海に漕ぎ出したりできませんからね。

あ~私はイカダで海に漕ぎ出せて幸せだと思うんですよ!

実際そうですから。

天皇陛下も今度生まれ変わったら、きっとイカダ作って海に漕ぎ出したいと思いますよ!

「外見」「キャラクター」というのは、ひまわり、朝顔と同じで、誰かが誰からより上というものではないのです。

もしあるとしたら、それは本来ひまわりである自分を十分に発揮したか、本来朝顔である自分を十分に発揮したか、
つまり自分自身を十分に発揮した人は、「外見」も「キャラクター」も輝くものなのです。

変にとりつくろったり振る舞ったり、周りの人を見下したりして自分を保ってました。
それから、それを続けたまま生き続けてきたんだなって。

そもそも誰かが誰かより上だとか下だなどという「尺度」自体を放棄して生きたらいいんですよ。

それがある限り、世界一の金持ちにならない限り不幸だし、天皇陛下にならない限り不幸ですよよ!

そうなったからと言って必ずしも幸福だとは限りませんしね。

ようするにそういう尺度はどうでもいいんです。

「みんなちがって みんないい」のです。

 無駄とは言いたくないですけど、無駄にあらがってきたなぁ、わたし・・・笑。

それは誰もが通る道です。

誰もが程度の差はあれど、外部の尺度に自分を合わせようとしたり、自分の尺度に誰かを合わせようとするものです。

それを越えるために、一度はその不毛さを経験する必要があるのです。

当たり前だ、これに従わなければならない、と思って握りしめてきた数々は、自分を根底から幸せにするものではないんだな、って改めて思いました。

 

当たり前だ、これに従わなければならない、と思って握りしめてきた数々は
自分を根底から幸せにするものではないんだな、って改めて思いました。

正しいと思っているもの、されているものから外れるのがこわかったし、

今でもこわいけれど、
でも、ちゃんと自分で自分を幸せにする選択肢を選ばないといけないんだ、って 決意を迫られている感覚がします。
ていうか、決めます。はい、選びます、1つずつ。

 

はい。
というか、自分を幸せにする選択が正しい選択ですよ。

それ以外はすべて間違った選択です。

人を犠牲にしたり、抑圧したりしないのであれば、自分が幸せになる道こそ正しい道です。

誰もが幸せになりたいですからね。

みんなが素直にそうしたらいいですよ。

そうすると人類すべてが幸せになります(笑)

 

 あらゆる尺度を手放して、ただ自分の存在そのものを全身で感じると、
とっても満たされて、これ以上何が必要なんだろう、って感覚がわいてきます!
これが大切なことなんですね!

 

素晴らしいです!

その「 とっても満たされて、これ以上何が必要なんだろう、って」感覚

今、それを感じていますよね。

それをいつも感じて自分の考えと身体になじませます。

それを自分の「普通の感覚」にします。

すると思考は現実化しますからね。

 

ほら、「 とっても満たされて、これ以上何が必要なんだろう、って」現実が

自分の周囲に創造されていくんですよ!

思考は現実化は法則ですから、そうでしかありえないのです。

これが「 とっても満たされて、これ以上何が必要なんだろう、って」いう人生を創造するコツなのです。

 

わたし、美しいと感じるものを観てときめくのが好きなんだ!って湧いてきました。

自分の感覚を捨て置いてきたので、
ひとつひとつ取り戻してきます!
本来はわたし、美しいと感じるものを観てときめくのが好きなんだ!って湧いてきました。

 

それは素晴らしい感覚ですね。

そうやって美しいものを観てときめいていますよね。

その姿が、美しい「外見」であり素敵な「キャラクター」なんですよ。

ほら!

もうこれで、美しい「外見」と、素敵な「キャラクター」を手にし、「 とっても満たされて、これ以上何が必要なんだろう、って」人生を創造しました!

簡単でしょ!^^

コメント

Loading Facebook Comments ...

最近のコメント