【絶望を経験したことがありますか?】10代後半の絶望と淡い恋編(笑)

【絶望を経験したことがありますか?】シリーズ2回目です(笑)

ここで唐突な質問ですが、
榎本さん、何もかもがどうでもいいと思えるくらいの、絶望って経験された事、おありでしょうか?
何が原因とかは関係なく、絶望そのものを経験した事があるかどうかが知りたいのです。
変な事知りたがりますよねー、全く。A(2017年1月29日 22:03)

絶望ですか?

わたしはまったく望みを失い、自ら命を絶とうと思ったことはないです。

でも「全損失」なら経験したことありますよ。

今まで大切だと思ってきたことをすべて失う経験ですね。

人生で2回あります。

一つ目は前回書きました。

もうひとつの方を書きますね。

10代後半のことです。
「絶望感」という意味ではこちらの方が大きかったですね。
まだ若くて立ち直り方がわからなかった。

2回目の方は、結構短期間で立て直していますからね。私も大人になった!(笑)

きっかけは高校の進路の失敗です。
学校の先生にも周囲にも「お前は大丈夫だろう」といわば太鼓判をおされていた進路の失敗ですね。
話せば長くなるので省略しますが、私は少々変わった進路を目指していまして、受験に失敗したら即、浪人一択という状況になかった。

まぁ茫然自失したわけです。
急に来年の4月から何をどうして生きていくのかまったくわからなくなった。

闇です。

まぁ世で言うと、突然会社がつぶれたりリストラ解雇されるようなものかな。
そりゃお父さんはつらい。
しかし、お父さんあなたにはがんばる理由がある。
大事な家族がある。
守るべき家族がある。
がんばれ!

しかし、当時の私には守るべきものが何もなかった。
自分の内面を見つめても動機が何もなかった。
これはつらかった。
部屋にひとりいても、何を目標にして生きていいのかわからない。
誰にも相談してもわかるものじゃないことはわかっていた。
自分で考えるしかない。
でもわからない。
時間だけがいたずらに過ぎる。

もうイライラして、どうしようもなくて、部屋の丸い缶のゴミ箱を蹴り飛ばした。
(かわいそうなゴミ箱!ごめんなさい。ボコボコにしちゃって・・・)

部屋にいても考えがまとまらず、ただ夜中に外に出て歩いた。
歩いていると気がまぎれる気がしたが、ダメだった。
何度も何度もコンクリートの電柱を殴りつけた。
手が痛かったけど、ただ何も見えない未来だけがあって、どうすることもできなかった。

自分にとって大切なことは何だろうか。
自分は何がしたいんだろうか。
世の中で変わらぬ価値ってなんだろうか。

そんなことを一生懸命考えた。
そうだな、この山とか空はずっと変わらないなとか、
よくわからないから坊主にでもなるかなとか、
どうやったら坊主(僧)になれるんだろうか調べたりしたけどピンとこなかった。(笑)

来る日も来る日もそんなことを考えて、まったく考えがまとまらないわけです。

この頃、もし何もかもうまくいかなくて、この日本で生きていけなかったら、「南の島に行って魚釣りして、バナナ食べて暮そう」と思っていましたね。
だから最悪でも死のうとは思わなかった。

でもどうしたらいいかわからない。
自分にとって何が大切かわからない。

そして何に向かって努力していいかわからない時、ほんとうにどうしようもないんですよ。
心の支えをすべて失ってしまうんです。

何か与えられて、するべきことがある人は幸せだ。

明日から何をどう行動していいかわからないことほど、つらいことはない。

自分で見つけなくちゃいけないのに、わからない・・・

まぁ部屋でどうしようもなくなって、かわいそうな缶のゴミ箱を蹴り飛ばし、夜中に外に飛び出しては時々電柱を殴るだけ。そんな繰り返しです。

なさけないわけです。

でもどうしたら、ここから抜け出せるのかわからなかった。

それで高校の頃、個人の小さな学習塾に通っていて、そこに小柄で地味な女の子がひとりいた。

まぁ淡い恋心ってやつですよ。

若い頃の富田靖子さんによく似た人です。

そうそう。こんな感じ。そっくり!

それで夜中にあてどもなく歩いていると、ふとその子のマンションに足が向くわけです。

そして道路から見上げて、部屋の明かりをみていると「ああ、あの子もがんばってるな」と暖かい気持ちになれた。

また、家の向かって歩き出すと落ち込むわけです(笑)

いくつもの夜をそんなことをただ繰り返していたわけです。

その子はもう別の塾に行っていなくなっていたけど、そんなことを繰り返していた。

俺は自分が何がしたいかわからないけど、あの子のことを考えている時は、心が暖かくなるなぁというのはわかった。

色々考えて考え抜いて考えまくって、自分でわかったことはそれしかなかった。

それで、ある時その塾の先生に聞いたんです。

その子のおじいさんが亡くなったと。

それで実はあの子はご両親がいなくて、おじいさんが育てていたけど、おじいさんまで亡くなって気の毒だという話を聞いたわけです。

残ったおばあさんとふたりで何とかがんばってくれたらいいがと。

それで私は決めたんです!

きっとその子はお金に困っているに違いないから、俺は金を稼げるようになって、その子にやろうと!

ほとんど話したこともないし、どこの高校に行っているかとか、何も知らないんですよ。

何も連絡手段がないし、あうこともなしい、何もわからない。

でもそれでもいいんだって勝手に決めたんです。

それしか自分が元気がでる方法がなかったから。

それで進路を決めた。

大学に行って経営学を学ぶ!

金を稼ぐにはきっとそれがいいだろうと。

で、浪人することにしました。

予備校も決めた。

とにかくできるだけのことはやろうと。

春になって桜が咲いて、あの子はきっとどこかの大学に決まってもう通学をはじめたかななんて漠然と考えていた。

その子のことは何もわからなかったし、知る方法もなかった。

とにかく修行僧のように猛勉強をはじめた。

風呂まで単語集を持ち込み、ぼよんぼよんに広がった。(笑)

そんな修行僧のような予備校生活を始めて2ヶ月目くらいかな。

奇跡が起こった!

そのマンモス予備校の校舎の廊下で、あの子とすれ違ったんですよ!

あの子も一浪して、同じ予備校に通ってる!

もうね。

胸がはりさけそうなくらい嬉しかった。

私は勝手にその子のために生きていたから。

でも何も声がかけられないんですよ。

ただ教室移動の人波に流されてすれ違いざまに会釈しただけ。

そしたら、会釈してくれたんですよ!

会釈してくれたんですよ!

会釈してくれたんですよ!

会釈してくれたんですよっ!

もう「会釈してくれたんですよ~っ!」と一万回くらい書きたい気分ですよ!

会釈してくれたんですよ~

いや、ただそれだけなんですけどね。

うれしいんです。

ひたすらうれしいです。

元気百倍というか一万倍なわけですよ!

それでね。

その後、その曜日のその時間の教室移動の時、
いつもその子が廊下で待っていてくれるようになったんです!

廊下の壁にぺたんと背中をつけてね。
手を腰のあたりにおいて壁にもたれながら待っててくれるんです。

あの子は小柄だから、人波の間から廊下のいつもの壁のところに頭が見え出して、
私が歩いてくる方向をちらちら見て気にしていてくれているんです。

私は背が高いからその子の頭だけ人波の間に見えた。

それでもう、私はどきどき胸が高鳴るんですよ。

うれしくて、うれしくてね。

でもそんな表情を出したら恥ずかしいじゃないですか!

だからできるだけ普段っぽい顔をして。

それでね。

会釈するんです。

そしたら会釈してくれるんですよ!(*^^*)

それだけなんです。

何も言えなくて。

でも幸せだったなぁ。

天にも昇る気持ちでした。

廊下で会釈するだけで。

結局気のきいたことは何も言えなかったなぁ。

「元気ですか?」って言って、うなづいてくれたくらい。

そのくらい・・・。

もうガラスの林檎なんですよ。

あなたを失くせば空っぽな世界。

大好きだけど、その子を失うと自分を支えているすべてを失いそうで怖いわけです。

まぁこういう恋はうまくいかないやね。

何も言えなかった。

それで1年がすぎ、私もなんとか大学に合格した。彼女も合格した、それも掲示板で知っただけ。何も連絡方法も聞けなかったから。今みたいにケイタイがある時代じゃないしね。

それで、ばたばたと入学準備に追われ、新しい生活に旅立って行った。

お互いに連絡手段も知らないままで。

それから8年くらい経ったころかな。

仕事も決まって働いていた。

それで職場の若い連中とスキーに行こうって誘われて。

私は九州で働いていたけど、雪質がいいとかで鳥取県の大山に行くことになった。

そのシーズンスキーに行ったのはその日だけ。

大山だけでもたくさんスキー場があるけど、その中のあるスキー場。

そのスキー場にもいくつかコースがあったけど、あるコース。

リフトに乗っていたら、前のリフトに乗っている女性がちらちらこちらを見ているわけです。

彼女だった。

もうその瞬間、あの19のころの胸の感じがそのままによみがえってくるわけです。

胸がきゅ~んとして。

それで会釈した。

そしたら彼女も会釈してくれた。

彼女があまり私の方を振り返って見るものだから、彼女の隣の男性がなんだろうってこっちを見てましたね(笑)

彼氏かな、友達かな、

彼女は遠慮なくこっちを見てから、友達かもね、仕事の同僚かな、

でも元気そうでよかった。

それで滑り終わって、次のリフト待ちのとき「元気ですか?」って言えた。

「はい」ってうなづいてくれただけだったけど、うれしかったな。

いい大人なのにね。(笑)

気の効いたことは何も言えなかった。

でも、未練とか、そういうのじゃなくて、すごくよかった。

あえてよかった。

元気そうでよかった。

その時ももちろん連絡方法も交換しなかったから、今はどうしているのか知らないけど、きっとどこかの空の下で元気にしてる思う。

彼女がいてくれてよかったな。

ありがとう。

ん!ぜんぜん絶望の話じゃなくなってきたじゃないか!

まぁしかし、この10代最後の経験が私のその後の人生に大きな影響を与えたのは間違いないわけです。

本当に大切なものって何だろう?
変わらないものって何だろう?

そういうことを探求せざるをえなくなっていきます。

そして、その探求がいまだに続いているわけです。

今の私は自分のやりたい事が「わかった感」があります。

しかし10代の私にはわからなかった。

まさかこんなことがしたかったとは!

世の中に存在しなかったことですしね。

これからは確かだと思った外の価値観が崩れ去ることも多くなります。

新しい時代に向かって、今までなかった「あり方」を自分で探らなければならない人もたくさん出るでしょう。

既存の価値観、自分以外の誰か「エライ人」の価値観に従って生きることは楽ですよ。

自分で何も考えなくていいから。

ただ与えられたレールに乗っていれば、まぁそこそこ生きていけるわけです。

しかし、それじゃあ「自分の人生」とは言えないわけです。

自分にとって本当に大切なものって何だろう?

変わらないものって何だろう?

と常に自分のハートで感じ続け、自分で考え続ける人生は、色々たいへんだけど、すごく楽しいんです。

誰かが企画したツアー旅行みたいな人生じゃなくて、行きたい場所から、泊まる場所、食べるものまですべて自分で探し、自分で決める個人旅行みたいなものです。

そりゃ個人旅行の方がはるかに手間はかかるし面倒ですよ。失敗もある。何かあっても誰にも何も言うことができない。

でも、その分忘れられない思い出もいっぱいある。

魂の旅路は永遠の個人旅行です。

その永遠の旅路の中で誰かに恋をしたり、家族になったりすることもある、しかし長くて今生限りの縁でしょう。

まぁ共に輪廻転生を重ねるソウルメイトもいるかな。

でも最終的には、自分の人生の創造、魂の成長はただ、ひとり自分で続けるわけです。

いろいろあっても、やっぱり個人旅行がいいわけです。

そうやって、その時々を全力で感じて、全力で考え、時にボコボコになっても大丈夫なんですよ。

なんかもがいてりゃ何とかなります。

ようやく最近、そんなにもがかなくても何とかなる方法がわかってきたかな。

ん!そんなことないって、さんざんもがいているだろって?

そうかも(^^;

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